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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第六章 おねと義姫と愛姫と織姫と
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おね、棄へ不安を抱く

「風魔…!貴様!」

「我が子の教育の財にでもする気か……欲深い男よ……」


 事ここに至って半蔵正成はようやく小太郎に攻撃をかけるが、小太郎に軽くあしらわれる。技も力も正就を大きく上回っていたが、気が乗っていない。


「石川五右衛門と共に心中すればよし……我はただの邪魔者、いや護衛か?」

「風魔の術の流布をなぜ恐れぬ!」

「もし忍びの術が流出すると言うのであれば、それは教えた者の不覚……それだけだ。応仁の乱より百余年……いくつの物が滅んだか数えるだけでも人生を終えられる。風魔が消えてもそれでよし……我が手により消すもそれでよし……」


 小太郎自身そこまで破滅的でもない。ただ単に享楽的であり、それ以上に自身の運命を悟っていた。

 どんなに自由を気取ったところで、所詮は何かに拘束されている。石川五右衛門でさえも指名手配犯であり、半蔵親子のように命がけで自分を狙ってくる存在がいると言う不自由からは逃れられない。もちろん死からなど逃れようもない。


「銃が今よりずっと立ち回りに優れた武器となれば刀剣は脇役に落ちる、武人とは優れた銃使いの事を指す言葉となる……」

「刀剣が滅ぶと申すのか!」

「十数年前に織田信長は海戦にて鉄甲船を用い毛利と本願寺を圧倒した……当然ながらそこには大筒が何丁も付いていた。大筒を前にして細い刀剣で何ができる。

 そして我々忍びにとって最大の味方は闇だ……いずれはそれさえも失われる日が来るかもしれぬ…………さらに言えばいずれは合印や旗印などに頼らずともどの家の人間かわかってしまう時代が来るやもしれぬ……さすれば忍びなど消える。あるいはその仕組みを破る事になるやもしれぬがな…………クックックック……!」



 忍びが夜の城に入り込んで城主を暗殺するとか言うのは絵空事の類だとしても、忍びの本領は他国への潜入にある。そこで得た情報を主君の下へ持ち帰るのが主な役目であり、まず入る事が出来なければ話にならない。だが人間に頼らずともよその御家の人間を識別する仕組みができてしまえば、それこそ忍びは商売あがったりだ。暗殺など論外だろう。


 また単純に松明とも違う恒常的な照明ができてしまえば、それこそ夜間侵入などできなくなる。もちろん死角は存在するかもしれないが、松明以外では月夜ぐらいしか恐れる物のなかった夜が役に立たないと言うのは大打撃だ。


「そしてこれより戦はなくなるか減る……その時に忍びの術が生き残っているのか見物だ……」

「ほざくな!」

「これは事実だ。鎌倉の時代にはなかった銃が今この国を席巻している事実からは逃れようもない……もう三十年もすればまた世は変わる。どうしても忍びの力を見せたいのならば、その時まで待て…………五右衛門!」

「はいはいわかりましたって!とにかく俺はこれで勘弁させてもらうぜ!」


 半蔵正成が小太郎から離れ飛びかかる前に、五右衛門は筒を取り出して地面に叩き付けた。その筒の導火線にはあらかじめ火が点いていた事もありあっという間に火が進み、中身を燃やしにかかる。



「五右衛門…次に会った時が貴様の最期だ!」

「え」

「退く!」

 

 間に合わぬと知った半蔵は怒りを除くすべての感情を押し潰したような声で捨て台詞を吐き、未練がましそうにしている息子と共に消えた。



(家康がこれを許す訳もない……許すのであればそれこそ徳川そのものの沽券にかかわる。あるいはこれが最後の機会だったかもしれぬな……。忍びの出番そのものはまだまだ終わりはせぬが意味も変わってくるやもしれぬ……)



 徳川家康が石川五右衛門を殺す事そのものはいい。


 だがそれを服部半蔵と言う表向きには旗本である存在を用いてやるとなると戦力の私的運用であり、ましてや自分の領土でもない小田原城でやるなど不法侵入に類する。

 秀吉は無論北条氏義や景勝、もちろん政宗や氏照にも文句を言う権利がありそれこそ信用問題になる。部下が勝手にやりましたとか切り捨てられても笑えない。







 ドン、パン、パン、パラパラパラパラ……







 昼間だと言うのにそれなりに派手な音を立てた花火の音に、忍びと言う立場そのものの夜を小太郎は勝手に感じていた。

 その夜の闇を切り裂くように、大量の兵士が向かってくる。



「何事だ!」

「その旗印は……侍従様、申し訳ござらぬ」

「小田原にて私闘があったと言うのか!」

「全くその通りでございます。我が身はどうにか止めましたものの皆々様にはご迷惑をおかけいただき平身低頭するのみでございます」



 豊臣秀康率いる軍勢を前にして、小太郎は素直に頭を下げる。

 おそらくはこの花火の前から集められていただろう兵の数。

 ただたまたまちょうどこの時に出くわしただけ。


「そうか……貴殿がそれならばそれで良し。犯人は我々が捕まえておく。そなたは下がれ」

「ありがたきお言葉……」


 その上に余計な事を何も言わない。事態が済んだと見るやさっと踵を返す。



 小太郎もまた、そんな秀吉の養子に続くように消えた。







※※※※※※







 もちろんこの花火の音は茶席にも響く。


「こんな昼間から何じゃろうな」

「兵士なら山とおりますからね」


 それでも秀吉夫婦は何事もないように茶を口に運ぶ。金属音の代わりに鳴り響く花火の音は確かに平和と言えなくもないが、単純に流れとしてありえない。


「これまで味わったことのない茶でございました」

「上方では茶も上等なのでしょうか」

「恐悦至極でございます」

「まことに美味でした」

 その流れを全く顧みないように政宗と織姫は茶を啜り能天気に感想を述べ、義姫と小十郎は通りいっぺんの定型句を吐き出し、秀吉に強引に座らされ利休に茶を押し付けられた甲斐姫たちは何も言わない。


「とは言えさすがに少し騒々しく感じますが」

「静かにせいとでも言うか」

「この場を静かにする存在などそうそうおりますまい。それこそ兵を率いなければ無理です」


 かろうじて割り込めるのは愛姫だけであり、その言葉に対応する程度には秀吉も北政所も気が抜けていない。


 この戦いが五右衛門と誰かの戦いである事はもう全員わかっていたが、それを鎮めるには一人や二人では無理だろう事もわかっていた。

 たとえ秀吉が出て行った所で逃げ出すだけの五右衛門や普通に平身低頭する風魔小太郎とは違う存在が、この喧騒を巻き起こしている。

 平たく言えば極めて迷惑な存在だ。


「あなた様」

「わかっておる。五右衛門への憎しみを溜め込み、それを晴らすがために生きている存在を。

 戦場に憎しみは付き物じゃ、わしとてそれはよくわかっておる。されどその憎しみを割り切ってしまっている存在は、憎しみそのものよりずっと性質が悪い」


 殺し合いを生業とし、憎まれる事を承知でいる。武士としては当然だが、それを言い訳に人殺しを正当化されては困る。確かに石川五右衛門は人畜無害ではないし現に酒井忠次を死に追いやった張本人とも言える。実行犯はここにいる政宗であり最終的なきっかけを作ったのはやはりここにいる甲斐姫だが、そんな状況に持ち込んだのは五右衛門である。

 だがそれこそもっとも清算されるべき感情であり、家康から酒井忠次の死について嘆くような言葉を秀吉は聞いていない。単純に年齢も年齢だったし、主君の隠居してほしいと言う意思を半ば強引に拒んでここまで来た以上半分は自業自得だった。


「しかし憎しみ以外にも戦をする理由はございます。

 五右衛門は我が身に申し述べておりました。ここまでやってまだ戦をするのかと」

「どこにじゃ」

「海の先だと」

「琉球にでも行く気かだと言うのか」

「とぼけなさるな、まだまだ戦をしたい人間のために手近に広大な領国がございますでしょう。あるいはたやすく征服して南蛮諸国にこの国の威でも示しますか」

「な……!」


 

 この政宗の言葉におののいたのは、秀吉ではなく北政所と正則と清正だった。



「それは…」

「あなた様!」

「あやつめ、いつ何時……」

「本気なのですか!」

「あ、ああ……市松や虎之介に領国をじゃな……」

「欲張りすぎです!あなたはいくつなのですか!」


 だが秀吉さえも平静を装っていただけであり、北政所に追及されるや慌てふためく事しかできなかった。


「二人ともさらに領国が欲しいのですか」

「それはその、無論でございますが……」

「佐吉がそのために気を張りすぎて命を落とした事を忘れているのですか!」

「申し訳ございません、忘れておりました!」

「しゃんとなさい!」


 北政所の叱責と共に十五ほどしか年の違わぬ正則と清正が背筋を正し、釣られるように甲斐姫まで背を伸ばす。


「蘆名政宗。その方の言葉は誠なのですか、いや真であろうが構いませぬが」

「武士にとり領国は何よりも魅力的な物であり、とても分かりやすい自分の功績の証なのです。そのために某も戦って来ましたので」

「拙者は別に朝鮮に領国を得ようなどと」

「おやめなさい。朝鮮を得たとなれば誰かがそれを治めねばなりませぬ。その代わりの領国にはまた別の者が入ります」

「は、はい……」

「これよりはこの国を安寧にすることを第一とせねばなりません、そうですね」

「うむ、でもな、そのためには……」

「心得ております。私もあなたのために生涯を共にいたします」




 領国と言う名の報酬を寄越さない不当な主君を放逐するのは戦国乱世の習いであり、同時に宿痾でもあった。


 もし目の前の政宗ほどの人間ならばそれとも戦えようが、秀吉の子の棄丸はまだあまりにも幼い。

 そして秀吉は既に五十四歳。


(やはり…)


 北政所はこの時、もう一つの政宗の言葉に従う事と、秀吉の後の事を誰に託すかの答えについての一つの指針を決めた。




 そこに、政宗を動かした石川五右衛門の意が加わっている事を認めた上で。

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