三人の忍びと、ひとりの茶坊主と
「挨拶もなしかよ!」
「……!」
戦よりも性質の悪い刃傷沙汰が起きまくった小田原城の北西部にて、二人っきりの戦が始まっていた。
もっとも戦と呼ぶには片方はやたら逃げ腰で、もう一方が相手の命を奪おうと躍起になっていた。
「つまんねえケンカに俺を付き合わすな!」
「…………」
と言うか一対一である時点で決闘、と言うか喧嘩だった。
だが喧嘩などと言う言葉で戦いを矮小化する石川五右衛門に対し、喧嘩相手は無言で針を投げつける。先端がわざとらしいほど紫に輝くその針は、かすりでもすれば命を奪えるほどの猛毒が塗ってある。
豊臣軍が死体を回収し損傷した小屋や堀をなんとか整えたと言うのに、二人とも好き放題荒らしている。北条氏照や上杉景勝に怒られても仕方がない話だが、どちらも、自分が悪いとはびた一文思っていない。
「ここまでして俺様を殺して何がしたいんだよ!」
「…………」
半分わざとだがわめきまくる五右衛門に、無言の返答が返ってくる。言うまでもなくそれは針であり、強烈な悪意である。
敵意ではない。殺意でもない。
悪意である。
「いいよな雑兵は!個人の感情に走ってもな!その点は俺様と同じじゃねえか!」
五右衛門のさらなる挑発にも、相手は全く応じない。泥棒と一緒にされてもいいんだなと認めるような対応なのに、だ。
もちろんその代わりのように攻撃は来る。針に変わり手裏剣が飛び、五右衛門の体を傷つけんと欲して来る。素直すぎる軌道ゆえに五右衛門が避けるのは難しくなかったが、それでも下手な雑兵が振る名刀よりはずっと迫力があった。依然として本人の姿はない。
五右衛門が珍しく外壁に汚れのない小屋の後ろに隠れたが、その後ろの柱にはやはり紫色のシミができている。
「殺!」
ようやく出た単語はあまりにも短く、あまりにも機械的だった。文字通り、五右衛門の命を奪う事だけを目的とした機械の声。
「自分が何やってるのかわかってるのか半蔵!」
「……」
五右衛門が仕方がないとばかりに大きく後退しようと飛び退こうとすると、半蔵と呼ばれた男はひとつの球を五右衛門がひそめそうなほどの大きさの小屋に向けて投げ付けた。
「そんなもん持ち出してどうする気だよ!」
言葉など返って来ない。ただ視界を開き五右衛門を殺すがために投げられた球はその役目を見事に果たし、重病人の小田原城をさらになぶった。
「て、てめえ…!」
そして木材と一緒に降って来た存在こそ、五右衛門の心を痛めつけるには十分だった。
「これも俺様の責任か!文句ならば秀吉にでも行って来い!」
「わかっているなら死ね…!」
ようやくまともな長さの言葉を口にした半蔵は、守る物がなくなった五右衛門に対し一挙に距離を詰める。五右衛門も素早く懐から刀を取り出し、半蔵の一撃を必死に受け止める。
「こん中できっと兵糧とか宝とかの奪い合いでもあったんだろ!そんでたまたま血が外に出なかったせいで秀吉も見落としやがって!」
「……」
「それとも何かよ、俺が石田三成を殺したからだっつーのか!?何もかも俺様が悪いっつーのか!?」
二つの刀の音が鳴り響き、それ以外の音は五右衛門の声以外ない。相手のすべてを奪わんと欲する刃と、それをいなそうとするだけの刃。
どちらが鋭いのか、どっちが器用なのか。その勝負は明白だがそれ以外の勝負がどうなるかはわからない。得物そのものの質、持ち主の技量と単純な膂力。そして意欲。それらが命運を分ける。
片や殺意満々、片や完全な逃げ腰。そう書くと勝負は明白に見える。
——————————だが。
「逃げる、か……!」
「当たり前だろ!」
逃げ腰であればあっただけ、反応も早くなった。力を込めて相手を押し込み、大きく飛びのいて懐から一本の短刀を投げ付けた。短刀を弾き返した半蔵だが、その際にわずかに体勢が崩れ五右衛門を追撃できなくなり、それと同時に視線が泳いでしまった。
「てめえ……」
「何をやっている……?まあごもっともだがな」
五右衛門もまた、半蔵の目線を動かした存在に向かって力なく悪態をつくのがいっぱいいっぱいだった。
※※※※※※
「ずいぶんと騒がしい茶席ですね」
「普段命のやり取りをしているからこそ、かような場も良いのです。しかし秀吉様、何故官兵衛様を」
「官兵衛が断ったのじゃよ、上杉殿や徳川殿との役目があると言うてな」
「吉兵衛も一緒に囲みたかったがな…」
「それなら大坂にでも帰ったら一席囲むか」
利休から器を受け取った織姫が茶椀を掴もうとしながら口を開く中、豊臣家の人間たちは好き勝手に話している。口を開かない北政所も特に動揺する様子もなく、福島正則も清正に追従するように息を吐く。
「意味が分からぬのだが…」
「単純な事です、誰でも労少なくして大きな宝を得たいのです」
「そんなもんはないんじゃがな」
「蘆名様の母上と言う事でお先にどうですか」
「政宗、そなた妻より後でもいいのか」
「関白様」
「ではお先に」
義姫がかろうじて口を開くが、関白夫婦と利休の前にすぐ口を塞がれる。義姫をして政宗に救いを求める事しかできない。政宗は母の言葉に答えるように器を受け取り、適当に口を付ける。この時既に織姫は茶を口に入れていたが、それをとがめる存在などもう誰もいない。
「いかがでしょうか」
「このような茶は初めてでございます、と言うか茶自体の味がわかりませぬ」
「それは…」
「私はある意味わがままを許されておりましたが、しょせんは十にもならぬ娘のわがままでございました。茶など手に入る訳もなく、日々やせ衰える武士たちの背ばかり見ておりました」
「優美でしたか」
「とてもとても…」
最後の希望であった織姫を守らねば本当の蘆名家の復興は完全な夢と化すと言わんばかりに動いていた蘆名残党からしてみれば、織姫はもっとも自分たちを慕ってもらいたい存在だった。
「しかし今の私にとっては誰よりも優美な英雄は石川五右衛門様でございます。自分のあるがままに生き、決して誰にも縛られぬ姿はまったく優美でございました」
「同時に粗野だったでしょう」
「ええ。しかしそれが何とも格好良かったのです。私に声をかけるにもいちいち平伏し空腹をこらえている自分を気取っている姿は正直格好良かったです、多分」
それなのに主君が冷めきっているのは悲劇であり喜劇でしかない。それこそ伊達政宗の息がかかっているとも、かかっていないとも言い切れない見知らぬ男に主君が魅了されてしまったとなればそれこそ浮かばれない。
ましてや浪人ならともかく、天下の大泥棒と言う名の大犯罪者である。彼らがその名を知っていたのかいなかったのかはもはやわからないが、どちらにせよその男が今の織姫を作り上げ、同時に支えているのはゆるぎない事実だった。
「ですがあくまでも彼は盗人です。これまで幾多の罪を重ねております。為政者としては捕えねばなりませぬ」
「存じております」
「今もそのために戦っている人間は山とおります。わかるでしょう」
「尊大ながら既に蘆名政宗殿も我が夫の配下……いや、この国の全ての民は我が夫の配下になったと言っても過言ではございませぬ……」
「では今…」
「そういう事です」
金属音が野立ての場に響く。それに怒号が混ざる物だからとても落ち着きある茶席などとは呼べないはずだが、秀吉と北政所と千利休だけはまったく平然としている。いくら石川五右衛門に自分に対する確固たる害意がないとしても、福島正則と加藤清正がいるとしても、だ。政宗はそれに負けじと落ち着き払っているが、織姫は内心気が気でない。その金属音の意味を分かってしまっているからだ。
「……」
甲斐姫は自分の下に茶がなかなか来ないのをいい事に立ち上がり背筋を伸ばして気を張り続け、愛姫は政宗に追従するように平然を装いながらも手が震えている。義姫と小十郎は完全に気が抜けたような表情になってしまっており論外だった。
「ですがそれが叶わぬとなると」
「あなた様、この場で討てとお命じなりましたか?」
「捕らえよとは言ったが斬れとは言っておらぬ……まあ手違いと言うのはある物だからのう……」
この平穏と静寂を旨とするはずの茶席を戦場のようにしているのは、紛れもなくあの男だった。
秀吉と織姫、上下四十五の年の差がある上に性別も立場も違う人間が共に話の中心にする程度には力を持った男。
ましてや、二十三しか違わぬ親子など——————————。




