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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第六章 おねと義姫と愛姫と織姫と
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領国分割

「氏光殿に氏長殿、貴公らはどうなさるのです」

「選択肢があるのですか」


 黒田官兵衛に対する北条氏光の言葉は少しの喜びと単純な驚きに満ちていた。


 一応進んで味方したとは言えあくまでも裏切り者であり、秀吉の言う事を唯々諾々と聞くしかないと思っていたからだ。


「まあその前に尋ねさせてもらうが、蘆名政宗の評判はどうじゃ」

「悪い話はございません。この戦における北条の勝利は実質伊達…いや蘆名殿の勝利である事を知っておりますから」

「氏照殿が八王子から玉縄に移り生き延びたのも蘆名殿のおかげになっているらしいですからな、実際は石川五右衛門の傀儡だと言うのに」


 傀儡と言うのも相当な言い草だが、実際氏照を八王子城から玉縄城へと移させたのは氏政であり、それ以上に五右衛門だった。




 実際里見氏が秀吉襲来に合わせ鶴岡八幡宮を攻めると言う報を振りまいたのは五右衛門であり、小太郎もそれを止めなかった。

 氏政たちもその噂に踊らされ、氏照と言う最強の戦力を玉縄城にやってしまったのだ。その結果が小田原城にどれほどまで影響したのかは、誰にもわからないし判断する気もない。実際それで小田原までの道が開いたはずの上杉軍は小田原攻撃にさほど関与せず、降参してきた兵を受け止めるのがせいぜいだった。


 そしてそんな事など、秀吉も官兵衛も感づいていたとしても証明はできなかった。




「石川五右衛門に、天下を…」

「盗ませる気などない。まず保つ気がない事はわかっているからな」

「これからは天下を守る戦いの始まりですぞ」

「…だな」

 

 秀吉の言葉が消えて行く。


 この次の敵は、本当に石川五右衛門なのかもしれない。だとして、今後どうやって戦えばいいのか。


「一銭斬りを頼む。そして検地も行い、怪しき人間たちを次々と捕えてくれ」

「はっ…」


 結局そんなありきたりな方法しか思い浮かばない。凡事徹底とか言ったとしても、それだけで桁外れな存在を捕まえられるのか自信がない。下剋上を極めて来た秀吉からしてみれば、そんな相手との戦いは未経験にもほどがあった。



 結局氏光は北条氏義に仕える事を選び、成田氏長は蘆名家の家臣となった。氏義の統治の困難さを思った氏光は北条の人間として新たなる北条の中核を守る事を選び、氏長は自分を守ってくれた政宗を選んだ。ちなみに北条氏規は氏照に仕える事が決まっている。



「結局関東はどうなるのでしょうか」

「里見は北条に対し長年戦い続けて来たからな、その存在を無下にはできん。一応昨日十日以内に当主自ら来いと出頭命令を出したがな、どこかの誰かが伝令をやったせいか明日か明後日には玉縄に入りほどなくしてわしの所へ来るじゃろう」

「すると安房だけでなく」

「上総もくれてやる事になる。北条を倒すために戦った以上、北条に悩まされて来た人間には優しくせんとな…とにかくそれについてはおいおい布告する」



 氏光と氏長を追いやった秀吉は、深々とため息を吐いた。



 北条と言う重石のなくなった関東がどうなるのか、正直予測も付かない。


 関東の反北条の在地勢力に褒賞を与えると同時に、蘆名政宗も押さえねばならない。

 だが氏政の愚を広めると言う名の侵攻正当化作業は同時に政宗の誠実さと武勇を広める行いでもあり、その分だけ政宗の統治の潤滑さを増す行いでもある。



(世の中の人間はわしが政宗に負けたと見るじゃろうな……仇討ちでもないが、わしの代わりに何とかしてくれ……)



 今更勝敗になどこだわる気もないが、豊臣秀吉と言う存在の威が落ちた事だけは変わらなかった。


 家康を移せなくなった以上、秀吉が頼る事の出来る存在は彼らしかいなかった。







 秀吉と官兵衛の頭の中で、関東と東北の領国割は既に決まっていた。

 

 北条家は上杉の子に小田原を継がせ北条家本体は伊豆に置き、蘆名家は残りの相模と武蔵を与える。


 政宗の弟の伊達政道は故地である米沢にて六十万石で入り、伊達が蘆名家から奪った会津には蒲生氏郷が入る。また伊達を六十万石にするために会津以外からも少し領国を徴収する事にしたが、それは最上家に加増し伊達の対抗勢力に仕立て上げる事にした。また津軽為信にも独立を認めている。


 そして関東は下野には堀秀治、政宗の物となった一部を除く武蔵には池田輝政、さらに下総には丹羽長重が入り、加賀小松城は前田利家に割譲される。そして越中は弟の長正に与えられる事となる。




 ————————————————————平たく言えば、織田家重臣の総動員である。


 北条家には上杉の一族を当主として押し込めて支配力を低下させたものの、それでも蘆名政宗の力は恐ろしかった。

 三十五歳の氏郷が最年長で後は二十代ばかり、と言うか堀秀治に至っては十五歳だが、それでも彼らの才覚は秀吉もよく知っていた。秀治が下野に入ったのは本来最年長として彼らをまとめる予定だった父の秀政が夭折した結果だが、それでも秀吉が見た所才覚に不足は感じない。

 一時百万石近くあった領国を取り上げ四万石にまでした丹羽家を分割とは言え八十万石近くに加増してまで関東を守らせるなど、朝令暮改と言うよりご都合主義にもほどがある。その際に召し上げ独立大名化させた数多の家臣も、向こうがその気になれば返すまであるとさえ秀吉は覚悟を決めていた。


「なあ、わしを無定見だと思うか」

「思います」

「そうじゃな。わしのやってる事は天下人としては失格なんじゃろう。蒲生や堀、池田はともかく丹羽まで駆り出すなど……」

「しかしそれもまた禊なのでしょう。禊は身を削ぎとも言いますからな。世間には長重殿が二十歳になったからとでも申し述べれば良いのです。無論、一時的に領国を召し上げた事については泥水を呑みますが」



 天下の闇を見る度に、あの男の影がちらつく。


 秀吉自身、信長などから比べればはるかに晩婚とでも言うべき二十六まで嫁がもらえなかったのは生まれもさる事ながら、ただでさえ人には言えないようなことをして生きて来たのもある。それこそ武士的な決まりのある殺生ではなく、人殺しや詐欺までとは行かないにせよ近い事はしていた。


 そんな後ろ暗い存在だった自分を—————。



「……なあ官兵衛、大友をどう思う。島津や立花が北条の兵を正確に討ったり確保したりしたと言うのに大友は…」

「それにも理由が必要でございましょう。幸い大友義鎮の評判は元から良くありません。島津や立花から情報を集めれば十分可能かと。しかしそれは」

「わしにはどうも戦い方がわからん。あの男との」

「そのための手段がそれですか」

「ああ。そなたを軽んじてしまってすまなかった。ドン・シメオン……」



 秀吉は耶蘇教の洗礼名で、官兵衛の名を呼んだ。


 大友家の先代の大友宗麟は熱心な耶蘇教徒で、豊後には今も耶蘇教徒が多い。と言うか義鎮を耶蘇教徒にしたのは宗麟ではなく官兵衛であり、その方向でも価値はある。

「南蛮には仏の教えや耶蘇教とはまた別の神の教えもあるそうです。その神との戦いを耶蘇教徒は千年近く続けているとか」

「ふむ…」

「ですがそれが途中から、いやそれとは関係なく耶蘇教徒同士で争い、七百年続く国を滅ぼしてしまったとか」

「何じゃそりゃ」


 耶蘇教の醜態とでも言うべき話に思わず笑ってしまった秀吉だったが、すぐに口を閉じた。

 日本の仏教界だって人のことは言えないが、そしてそんな事をしている人間の選りすぐりたちがここに来ているとしたら—————。



「大友義鎮の戦場での懈怠を調べ上げよ」




 秀吉は、確かに天下人だった。




 氏照に対しあれほどまで寛容な姿勢を見せながらも、時として冷酷になれる人間だった。

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