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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第五章 北条の現実
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「芦名家」への命令

「豊臣秀吉とか言う人間に従来の尺度を持ち出したわらわが至愚だったと言う事かのう……」


 唐沢山城では出羽の鬼姫がすっかり角を折られた顔で座っていた。無遠慮と言うより無気力に足を投げ出し、明後日の方向を向いている。



 —————政宗が許され、政道と言うか伊達家も許され、北条家まで許されそうになっている。



「庶民から関白にまでなった人間が普通な訳がないと言う事でございましょう。そしてそれを読み切る辺りさすがは我が旦那様と言う事でしょう」

「いつまで旦那様でいるつもりじゃ」

「旦那様の口から妻ではないと言われるまでです」

 そしてこの娘もまた、許されると思い込んでいる。あれほどまではっきりと三下り半を突き付けられたと言うのに、まだ《《芦名》》政宗の嫁のつもりなのか。

「私は側室でも一向に構いません、はあ、はあ、何より……」

「それはただの不調じゃ」

 ただ少しばかり体調が悪いのをつわりとか思い込みつながろうとするその様は、正直悲しく痛々しい。


「小次郎と再縁しても良いのじゃぞ」

「政宗様のお許しあるまではお断りします」 

「自分が何を言っておるかわかっているのか」

「ええ」


 だがその痛々しさが自分だけが感じているそれだとしたら、自分は果てしなく間抜けだ。自分の危惧と言うか予想がああして大外れしてしまった以上、自分の言葉の説得力は失われる。その分目の前の人間の影響力は大きくなり、いかなる言葉でも通ってしまう。


「小机城にでも行く気か」

「はい!」

「今や北条は敵だ。わらわが北条ならば我らを通さぬ」

「でも氏照様と氏光様はお味方です」

「たかが知れておろう。それに武蔵と下総がどうなっておるのか知らぬのか」

「どちらも陥落寸前のはずです」



 これは嘘ではない。下総は佐竹軍と里見軍が挟撃体制を敷いており援軍のない当地の北条勢は追い詰められており、武蔵もまた忍城より西は豊臣軍に全て押さえられている。大半は小田原へと向かったが真田昌幸と大谷吉継と島左近が残った兵をきちんとまとめ、着実に五七の桐の旗を立てている。

「残存勢力はそれこそ東武蔵に固まっているはずじゃが」

 それでも両者の中間の東武蔵はまだ北条領であり、北条を捨てた人間が通れる場所ではなかった。

「忍城の当主の娘が今は小机城におります」

「それに何の意味がある」

「我が夫ともに石田三成を討ち取り、小机城にて徳川の将である酒井殿を討ち取った勇壮なる女武者だそうで」

「話を盛るな」

「盛っておりません。捕縛した石田軍の兵と徳川軍の兵が申し述べたのですから」


 そこに出て来る女武者とか言う単語に、もう出羽の鬼姫をして対応のしようがなかった。


 いくら出羽の鬼姫とか言った所で、実際に人を殺せるほどの武勇などない。あくまでも鬼のように気が激しく言葉が強いから言われているだけで、実際にこの手で人を殺した事などなかった。中国三国時代の孫尚香や源平合戦時代の巴御前のように武勇を好む女性がいなかった訳でもないが、あまりにも時代が古すぎる。


「…わかったもういい、せいぜいわらわも死出の旅路に付き合おう」

「ありがたきお言葉でございます…」

「だが今言ったようにこれは死出の旅路だ。残った兵たちに面通ししその決意と覚悟を述べてからだ」

「ずいぶんと悠長なんですね。もしかしてひるんでおいでとか」

「そんな訳があるか!わかったもういい、守将にだけ挨拶をしてとっとと出る!

 ……温かな 風に水のみ 薫り立ち 憂える我は 青き花木に」


 死出の旅路のはずなのに血の匂いなどせず水の匂いがあるのみと言い張られる。そんな「憂」いているはずの「己」はまるで赤とは真逆の青い花を咲かせる「木」—————すなわち「杞憂」を追っているにに過ぎないと言うのか。




「あの男はどこまで我々を惑わすのか……」

「あの男とは」

「自分で考えよ!」




 これまでの何もかもを打ち砕く存在を前にして、四十四歳の女はそう吐き捨てるのがいっぱいいっぱいだった。




※※※※※※




「我が弟への約定だけは違えないでいただきたい」


 母と《《前》》妻が自分へと会いに来ていることなど知らないまま、蘆名政宗は秀吉に深く頭を下げていた。

 ただでさえ凄味があった政宗だったが、弦月兜と甲冑によりさらにその力を増していた。もし横紙破りでもしようものなら、あの世からよみがえって豊臣の一族郎党を食い尽くせそうなほどには兵たちをひるませていた。


「わかっておる。そなたには四十万石、伊達小次郎には六十万石、そして北条氏照以下北条一族の生き残りには十五万石を保証しよう。官兵衛」

「心得ております」


 官兵衛は何通目かになるかわからないほどの書状を書き記す。それこそ伊達と芦名と北条だけでなく、満天下に自分たちの約束を披露するかのように。


「とは言え小田原城がそこまで乱れているのでしょうか」

「ああ、乱れておる。籠城などそれこそ場内の意志が一体となっておらねばできる物ではない。既に投降や内応を申し出ている連中もいるほどだ」

「小田原の兵は七万とも聞きますが」

「一万の兵の反乱に一万で済むわけがない。二万の損ではない、三万、いやそれ以上の損じゃ。既に小田原城内は火種一つで吹っ飛ぶ火薬庫と化しておる」

「浅学非才の身にはとてもわかりませぬ」

「北条氏政はな、まだ氏照が自分を見捨てたとは信じておらぬ。伊達政宗が心底からわしに服属したと思っておらぬ」

 無駄な悪あがきと分かっていても突っ込んだ片倉小十郎、それこそ主君が圧倒的な存在への捨て駒にされると思っていた小十郎は改めて大口を開けたくなった。

「どうした?まだわしが信じられぬか?」

「信じられませぬ」

「敵は強ければ強いほど良い……それがそなたの願望か」

「強者だと思って望んで弱者だったら肩透かしで済みますが逆は取り返しがつきませぬ」

「そなたはそれで良い、と言いたいがまだ政宗殿を子ども扱いしておるのか」

「わが命なら百万でも差し上げますが」

「それじゃから小田原が脆い理由もわからんのじゃろうな…」


 蔑みとか言うより悲しみに満ちた秀吉の最後の言葉は、あまりにも強烈な答え合わせだった。



「光浴び 輝く世こそ 追い求め 次なる血をば 戦の無き世」

「……はい…………」

「気にするな、わしもあいつは気に食わん。だがあいつがわしの役に立つ限りは使わせてもらうまでだ」



 政宗の当意即妙の三十一文字に、小十郎は深々と叩頭した。


 

 何度も何度も納得したつもりなのに、どうしても弾きたくなる存在。その男さえいなければと言う思いが抜けないまま今までの時を過ごし、今まさに一つのあまりにも安易で簡単すぎる決着があの男によりもたらされようとしている。


「案ずるな。わしはそんな男に飲まれはせんよ」

「信じております」

「そうじゃ、わしを信じておくれ、頼むからのう」

 

 気負えば気負うだけ、負けた気分になる。

 自分に全く及ばない力ではなく、及びも付かない力で負かされる。


 字面こそ似ているが全く異なる衝撃を放つ力を前にして、ただの人間には何もできない。


「頭をお上げください」

「何、これ以上気に病むな。攻撃の時は間近じゃ。歴史に一つの幕が下りる日はな」



(歴史の終幕に目の前で立ち会えるとは……わしは果報者よな)

 

 壇ノ浦の時の源義経も、鎌倉幕府の時の新田義貞も同じ気持ちだったのか。


 いや、鎌倉幕府を立てた源頼朝も、室町幕府を立てた足利尊氏も。


 小十郎が清々しく絶望する一方で、政宗は単純に楽しんでいた。




 ほどなく始まる、一つの歴史の終焉を。

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