福島正則と加藤清正
この時、小田原城東側にて北条軍と相対していたのは前田軍である。
その前田軍の総大将前田利家の前で、福島正則と加藤清正は頬を膨らませていた。
「で、結局俺らは小田原には入れないと」
「本当にあと二日で動くのですね」
「ああ。明日にはこの陣を引き払い東へ下がる。そして代わりに徳川勢及び蘆名勢が入り攻撃をかける。
そなたら二人の役目は、その時この陣を突破して東へと逃げ込もうとする敵軍を狩る事にある」
利家の命令に、二人の若武者は不満しかなかった。
「この戦が終われば天下は関白殿下の下に一つになるんでしょう?そうなったらそれこそ俺達は無用の長物じゃないですか」
「これからは大名として領地を守り地元の民を慈しみ、さらに豊臣家に反旗を翻す者と戦うために兵馬を鍛えねばならぬ。それもまた十分すぎる役目だ。何せ関白殿下には子飼いの家臣が少ない。そなたらは明日の豊臣家を担う存在だ。こんな所で討ち死にする理由などない」
徳川の攻撃に伴い逃げ出そうとする兵を斬る——————————平たく言えば、落ち武者狩り。とても名誉ある役目ではない。
「関白殿下はそなたらの功績を評価しない人間ではない!」
「……」
「それとも何だ、石田三成みたいになりたいのか!」
「それは…」
そんな二人を制御する最高の切り札が「石田三成」と言うのも、あまりにも悲しい現実だった。
二人からしてみれば三成は文字通りの小利口小才子であり、後ろで好き勝手な事を言って秀吉に可愛がられているずるい男であり、自分たちの事を駒としか思っていない男だった。そんな男が自分たちの真似をするだけならばただの笑い者だが、二万以上の兵を預けられて一方の指揮官を任されたと言う事実は途方もなく不愉快だった。
そんな男が死んだ時ざまあみろとかよくやってくれた伊達政宗とか思わなかった訳ではないが、最後の最後まで逃げずに戦っていたとか聞かされた時には鵜の真似をするカラスだと笑うとともに少し嫉妬した。どんな苦難にあっても部下を守り最後まで逃げないなど極めて立派な武将の生き様であり、真似したくてもできない死に様だった。
「死んで花実が咲くものか。生き恥さらしても死に恥さらすな」
「……」
「関白殿下はそうやって生き延び、現在の栄光を得た。一時の名声に溺れるな。
それにだ、今の北条を倒してもそんなに偉くないぞ」
「はあ…」
「富士山の 高嶺に咲くや 三つの花 日月笑いて 赤く染まらん……」
「何ですかそりゃ」
「北条氏直が昨日こぼした短歌だ……あるいは辞世の句かもしれぬ」
そして利家が氏直と全く同じ歌を詠んだと言うのがどういう事なのか、わからない正則と清正ではない。
「氏直は城中にその歌を振りまいていると」
「誰彼構わずな。完全に諦めていると言う何よりの証拠だ」
富士山と言う日本一の山の高嶺に咲く三輪の花に向けて日も月も輝き、赤く美しく染まるとか言う風流な歌ではない。
自分では富士山と言う日本一の山の主のつもりだったが、実際はそれ以上の存在である秀吉に笑われ見下ろされるだけでありほどなくして赤く(=血に)染まるだけであると言う嘆きの歌だ。もちろん三つの花は三つ鱗であり北条の事だ。さらに言えば秀吉の幼名は日吉丸であり、「日月」ともかかっている。
「じゃそれこそ一気に」
「ああそうだ。小田原城内は一気に厭戦気分を通り越して恐慌に陥ってもおかしくない」
「今はまだ何とか耐えていると」
「耐えていない。信じがたい事だが氏照殿の離反も蘆名政宗の裏切りも騙りとしか思っていないらしい。兵たちには肝心なところで両名が埋伏の毒となり、我々を地獄送りにすると伝えているそうだ」
正則と清正は大口を開けた。
「あるいは三成と酒井殿を殺めた以上…いやだとしても政宗はともかく」
「当主の叔父が見捨てるなどあり得ないと言う単純な理屈だ」
清正のツッコミもすぐさま流される。
呆れた楽観ぶりだった。
すぐそばを見るだけでも、武田も上杉も親兄弟で家督争いをしていたと言うのに。なぜ北条だけは平気だと思えるのか。
「北条からしてみれば武田や上杉でさえも矮小だったのかもしれぬ。何せ関東平野は広くさらに肥沃だ。武田も上杉も山猿の集まりだったかもしれぬ」
利家自身尾張生まれの尾張育ちであり現在の領国は北陸の金沢と、関東にはとんと縁がない。正則と清正も尾張生まれ尾張育ちで、正直関東に縁がある人間など豊臣軍にはほとんどいない。強いて言えば真田昌幸・信繁親子ぐらいだが、それらとてせいぜい上野までで武蔵や相模の事などほとんど通じていない。もちろん関東平野の事を話に聞いていなかった訳でもないが、それでも百聞は一見に如かずだった。こんな所を治めていれば京を顧みずとも十二分に気宇壮大になれる。かつて源頼朝が天下を取るに当たりこの地を中心としたのがわかる気がしていた。
「関白殿下は源頼朝に会いに行き、自分を仲間に加えて欲しいとおっしゃるつもりらしい。元流人と百姓の自分は仲間だとな」
「そうですか……」
「とにかく一応予定は二日後だが、今日かもしれないし明日かもしれない。とにかく予定通りになった場合は先に述べたように、蘆名政宗と北条氏照両名に先鋒を譲り武器を持って向かって来た連中を斬る事!そうでない存在はわしが請け負う!
死ぬか降るか、どちらかしかないと思わせるのが役目だ!わかったか!」
「はっ……」
利家の言葉は時に激しく、時に優しい。秀吉に足りないものがあるとすれば、この点だった。
秀吉とて怒る時は怒るが、顔面に天下を蓋うほどの愛嬌がある反動のように迫力がなく、その怒りが感情ではなく理詰めめいているためかいっぺんに相手をひっくり返すような迫力はなかった。秀吉自身がそんな事をするような匹夫の勇の持ち主を相手にしてきた分だけ慣れており、そんな事をするのが無意味どころか逆効果だと悟ってもいた。
一方で利家はいざとなれば荒々しく吠えられる人間だった。彼の存在が豊臣家を支え、自分たちの背中を押してくれる。
(この人がいなければ俺たちはずっと三成と戦ってたのかよ……)
いや、自分たちの矮小さを思い知らされる。
過去になったはずの石田三成と戦い続け、羨み続ける人生。そんな永遠に決着のつかない戦いに駆り出される自分に脅え、それ以上に悲しくなった。
「関白殿下は過去の事でうじうじ言わないんですね、そうですよね…」
「そうだな、ただ…」
「ただ?」
「少し優しすぎる。そなたらの望みをかなえようとするかもしれん」
「俺たちの望み?」
「ああ、まだ戦をする気だろう。そなたらの行いに報いるために」
そして自分たちのために懸命であろうとする秀吉の思いもまた、二人にとって実にありがたく、重かった。自分たちがこんな所で終わるのは悲しいと思っているからこそさらなる働き場を提供してくれると言うとすごくいい主人に思えるが、そのためにはまた大きな規模の準備が要る。
「でもそれは」
「ああ。だからな、そなたらにはその行いを止める役目がある。止めねば関白殿下の天下は関白殿下の死と共に雲散霧消する」
——————————その自分たちのための行いで、自分が築いた天下すら失うかもしれない。
「だから」
「わかりました。おとなしく生き延び、関白殿下を支えます!」
「それだけではない。わしも最初は甘く見ていたというか考えたくなかったのだが、今になって思うとあの男に頼る他ない気がして来る」
「蘆名政宗ですか」
「違う……」
その最悪の事態を逃れるために何をすべきか、誰に頼るべきか。
その人間の名前を聞かされた二人が先ほどの数倍の大きさで口を開けたのにも構う事なく、利家は頭を下げる。
「利長にも言い聞かせておく。どうか頼む」
「ああ、はい……」
慶次郎に言われる前に、自分から気づきたかった。
でも絶対に気づけない名前。
(やはり小田原城もあの男により……)
利家は、山からの風もない初夏なのに寒さをこらえたくなった。
そして利家が寒さをこらえる間もなく、秀吉からの命令は下されようとしていた。




