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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第五章 北条の現実
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北条への忠義

 石川五右衛門が敗走した草むらの方を見ながら、風魔小太郎と片倉小十郎は並んで座っていた。



「相州の獅子、そう呼ばれた男の事を知っておるか」

「氏康公ですか」

「いかにも…あれは清濁併せ吞む器量を持ち、主たるに相応しい人間だった。川越の時は我はさすがにいなかったが、それでもできるだけ多くの戦いに従軍して来たつもりだった……」



 片倉小十郎は氏康のことをほとんど知らない。単純に氏康が死んだときまだ小十郎は十五歳だったし、陸奥と相模は遠すぎた。



 そんな氏康が名を挙げたのは三十二歳の時の河越夜戦である。そこまではどちらかと言うと親や祖父の七光り的な扱いをされていた氏康は、この戦いを機に一気にその名前を高めた。



「されど、いきなり小田原まで全軍を引きずりこんで籠城を決め込むなど、全く予想もしえなかった。まあその頃我は幼児だったがな」

「大胆な作戦ですね」

「上杉謙信が乗っかっていたとは言え他の連中は北条に敗れた寄せ集めばかり……そんなのとは言え落ちればそれまでの小田原に立て籠もる……大胆極まるだろう。寄せ集めを叩き、自らの手で防ぎたいか?」

「それは無論!」

「傲慢だな、自分が謙信に勝てると思っているのか?」


 いきなり本城まで敵を引きずり込むのは大胆不敵としか言いようがなく、それこそ陥落すればそれまでなどと言う場所で戦う事など小十郎にはとてもできない。


「だが氏康公はそれをやり、見事凌ぎきった……時に四十六だがな」

「なればこそ氏康公を尊敬していると」

「そうだ。

 それで、危ういと思うか?家ではなく人に仕える事を……」

「どちらが危ういかなどそれは時によると思います」

「もはや本性がそれなのだな。忍びの術をもってしてもそれしか出て来ないというのは、もうそういう事なのだろう……裏表も何もない、本性なのだろう……」




 小太郎が深いため息を吐くと、小十郎もそれに追従した。


 忍びと言うのは元から本来見られない物、見せたくない物を暴き出す生業であり、人の本性もまたしかりのはずだった。

 だから小太郎も自分なりに五右衛門と言う最も憎むべき存在を無様に破り小十郎の本性を引き出すつもりでいたが、それでも小十郎の本性はひたすらに誠実だった。


「五右衛門の敗北を喜んでいるだろう?」

「……ええ」

「無理をするな。そなたはもう下品になろうとしてもできぬ。秀吉とて上品を気取るにも限界があるようにな」

「嫉妬をどう抑えるべきなのでしょうか」

「抑えるな」

 だが小太郎からしてみれば、単純に気に食わないしそれでは五右衛門に勝てないと思っていた。

「秀吉も五右衛門も、武士にあらず。なればこそ武士に勝てている」

「武士の時代は終わると」

「終わるまい。秀吉の子はどうあがいても武士の中で育った子でしかない。秀吉とかいう天才が二度連続で現れる訳もない。源頼家も足利義詮もそういうことだ」

「ならば」

「くどいな。自分がいかに優秀か示すのは勝手だが、所詮は殺し合いの達人の集まりだろう。殺し合いが一番上手な人間が天下を握る、千年前から変わらん」


 いわゆる壬申の乱が起きてから九一八年、日本人は殺し合いの歴史からちっとも卒業できていない。疫病や飢餓だけでも人は死ぬのに、その上お互いがお互いの命を奪い合っている。


「族滅に族滅を重ねた鎌倉の世に、土岐も六分の一衆も上杉禅秀も鎌倉公方も、征夷大将軍すら殺された室町幕府の世。そしてその後は言うまでもない……だがそれは全て、滅びるべくして滅んだとも言える。また武士道がこの世界を支配する時代が来るかもしれぬ、だがそんな時代を待望するのは、自分の頭の上に刃が落ちるのを待つに等しい」

「…………」

「絶望したか?だが事実だ。もはや武士ではない人間が天下を取るのを邪魔する事など不可能だ。なればこそ我は、北条氏政を棄てた。ああ秀吉の子にかけたつもりはないぞ」

「氏政殿は…」

「あのお方は未だに自分が死にかけだと思っていない。上杉謙信や武田信玄をも跳ね返した成功体験だけが残っているのだろう。氏直殿も氏直殿でそれなりに視野はあるが、権力がなさ過ぎる。芦名様のような人間が例外と言うものだがな…………」




 小十郎は改めてうなだれていた。



 あまりにも破天荒な自分の主人に手を焼き、何とかして理想の当主様に仕立て上げようとしていた自分が、恐ろしくバカらしく見えて来る。

 ついさっき皮を何枚剝いてもオサムライサマだと言われた自分の本性を思い知らされてなお、小十郎はまだ抵抗していたつもりだった。


「複雑な話でもない。氏照殿も氏光殿も氏直殿よりは視野があり、北条の身の程をわきまえていらっしゃる。もちろん氏規殿もだ。あるいは秀吉は氏規殿を北条の当主に据える気だったかもしれぬがな。服従さえさせれば当主などだれでもいいのだからな」

「ええ…」

「まあ、そういう事だ。しばらくはお互い恩を売った存在に仇まで売る事になるがな。武士とか以前に人としてのけじめを付けねばならぬ。そういう事が嫌いな男にはできない事をな」

「えっと……」

「まだ不服か」

「いえ何、つい女子の事を思い出してしまいまして……」

「貴公の噓の下手さ加減には敬意を表する」 



 でも、敵わない。

 それこそ何をやっても上を取られ、抗えば抗うだけ差が開いて行く。


 これが五右衛門ならばいくらでもむきになれるのに小太郎だとここまで言いくるめられてしまう自分。

 肩書にあまりにも弱い自分。



「天下一の男に挑み勝って帰って来た男を蔑むのであればそこまでの女子……十の童女よりも幼き小娘。三十の主君が十六の側室を娶って文句を言うか?茶々と秀吉には三十の差があると言うのに」

「話を逸らさないでいただきたい」

「母と妻を使って主君を思うがままにしようなど傲慢……それだけの事」


 味方でなければ何度首を斬られているかわからないほどの切れ味。言葉の重さによりはっきりと認識できるほどの刃。

 いや、言葉が重くなければ気づけなかったほどの刃。


「ククク……残念ながらあの男はまだまだのさばる。あの男が例え消えようとも我はあの男を受け継ぐ……」

「受け継ぐとは」

「あの男はおそらく、この先の秀吉の狙いをわかっている……その秀吉の狙いを折る事があの男の夢……」

「その秀吉の夢が叶えばどうなると」

「延々一二三年、いやそれ以上に戦乱を繰り返して来たと言うのにちっとも懲りていない現実を証明する事になる……」

「まさか蝦夷地ですか」

「貴公がそう思うのならばそれでよかろう。まあまずは目の前の戦にて生き残ってからだな」




 小次郎の胸に、勝利の喜びなどなかった。

 自分の矮小さ以上に、無謀さに呆れた。

 

 その気になればいつでも自分を殺せた存在に吠え掛かっていた姿など、二目と見れた物ではない。


「まあ、今日の醜態を肴に一献傾けようか」

「でも貴公は」

「それこそ氏照殿に我がお頼み申す」


 酒に逃げる自分を恥じながら、小十郎は腰を上げた。尻は茶色く染まり、見るからにみっともなくなっていた。だが小十郎は今更顧みることもなく、茶色い尻のまま小太郎の後をとぼとぼ付き従った。







 そしてそれから二日後、小机城に一通の書が届いた。


 氏照の書だった。


「さあ、誰よりも大事な人間の下へ行こう……」

「ああ…」

 結局その後二日間、一滴も酒を飲まなかった小十郎はようやく腰を上げた。

「あの男も連れて行く……首に縄を付けてやったから安心しろ……」

「ありがたきお言葉……」


 小十郎は深々と頭を下げた。氏光だけでなく、小太郎にも。



 その姿があまりにも奇麗すぎた事を、重宗も氏光も小太郎も笑っていた。


 そして、織姫さえも。

片倉小十郎と言えば破天荒な政宗に手を焼かされる役どころってのが共通してますけど、それにしても我ながらこの小十郎は……。

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