風魔小太郎
「兄上は許されたようです」
「そうですか……」
氏光と小十郎の顔は真反対だった。
小机城にて城主顔をしている氏光に対し、芦名家の代表のはずの小十郎は下人のような顔をしていた。ちなみに玉縄城は千葉直重が入っている。
「あなたにそんな顔をされていては私も肩身が狭うございます」
「ではどんな顔をすればよろしゅうございますか」
「もう少し柔らかい顔をしてください。そんなに難しいことでもないと愚考いたしますが」
氏光に言われるままに小十郎は顔の筋肉を弛緩させるが、そこには刀を突き付けられた処刑間近の人間が無理をしていきっているだけの、女はおろか男さえも寄り付かない笑顔があるだけだった。
「そんなにも大変ですか」
「いえ、その、ですが……」
「蘆名様はおっしゃっておられましたよ、小十郎殿はしかめっ面をするのが趣味だと」
「趣味ですか、そうですね、趣味ですね!」
小十郎は居直って見せるが、実際小十郎はあれだけ政宗に言われてもなお渋面を崩さなかった。張り付いているかのように渋い顔をやめず、笑顔という存在を忘れたかのように押し黙る。同じ旧伊達家・現芦名家の代表である亘理重宗が笑顔を絶やさない物だから、小十郎は余計に浮きまくる。
「未だ我が主君は関白殿下の下にあり事実上の人質、我々が受け取ったのはいつでも反故にできるような書状一枚!」
「それを振りかざせば徳川や上杉など諸侯をあっという間に疑心暗鬼に陥らせられる書状ですか」
「……」
秀吉・黒田官兵衛連名の書に、伊達家・芦名家、さらに氏照家の安寧を約束する旨字が躍っている。石高は六十万石・四十万石・十万石を保証するとか言うあまりにも調子のいい数。全部足せば一一〇万石、現在の「伊達家」とほとんど変わらない。最後の最後まで反抗してきた勢力に与えるにはあまりにも大盤振る舞いだ。最終的に戦勝した島津でさえも九州統一目前から六十万石まで削られたのに、これでは片びいきにもほどがある。
「この身も許されるかどうかわかりませんが、この身が許されるにせよ許されぬにせよ我々は兄や伯父たちと、さらに言えば友軍との戦いを強いられるのです。そこまでの禊を強いられると考えれば世間の留飲も下がりましょう」
「伊達も伊達で名家のつもりですが、北条も北条で名家ですよね!」
「悲観的な想像はお楽しいですか」
「下剋上など不可能な人間をもてあそぶのは楽しいですか」
大名と言う存在のあまりにも楽観的な言いぐさの連続に不貞腐れた小十郎は、どうにも孤独だった。
「うるさい!」
その孤独と無聊をなぐさめるのは、侵入者だけだった。
侵入者の登場とともに小十郎は腰の得物を抜き、立ちはだかる者すべてを刀の錆にせんと欲するほどの視線で方角をにらみつける。竜さえもひるませんとするその眼力だったが、氏光にはちっとも通じていない。
「雨の日の 三日見ぬ間も ありと見て なきを認めず 津波に笑う」
「小太郎か」
その侵入者の三十一文字に氏光が隣人のような物言いをするものだから、小十郎はなおさら面白いだけの人間になってしまった。
「私は何だ、たまたま二三日晴天が続いただけの天候を恨み、津波と言う名の大水を見てほら俺の言った通りだと喜ぶ人間だと言うのか!」
「残念ながら…」
「小太郎殿!」
「フ……それこそ武士であり、鴨とも言える……秀吉はそなたを買収し、芦名景綱に仕立て上げるやもしれぬ……」
「は…………」
そしてその侵入者が食わせた一撃のせいで、小次郎はただ刀を抜いたまま侵入者の方を向き、敵が来るのをじっと待っているだけの案山子になってしまった。ぱっと見は勇ましいだけに余計におかしく、それ以上に哀しかった。
「どうせよと言うのですか」
「信じよ、ただ信じよ……主を信じ、敵を信じよ……」
「そんな簡単に!」
「まったく、この風魔小太郎を信じられぬか…」
「いえそれは………」
「北条の忍びではなく、ただのこそ泥だとしてもか…まあ無理難題極まる話だがな、そのこそ泥に対する憎しみを抱くのをいい加減にやめろ……………」
「フフッ……!」
氏光が天井裏からの批評に噴き出すと、小次郎はようやく呪縛が解けたかのように刀をしまった。もちろんそれだけで目つきが元に戻るわけでもないが、無駄な力だけは抜けたようにへたり込もうとする姿は少しは愛嬌を買えた。
「なぜ、五右衛門を憎む?」
「憎むつもりなど!」
「ならばなぜ妬いている?」
「罪人の分際で我が主君に対しあまりにも図々しいからだ」
「命を盗む人間の分際でよく言う……そこまでも決まりが大事か。人よりも決まりが大事か。今の貴公には、十の娘の四半分(四分の一)の肝もない……」
「彼女のことはもっとわかりませぬ……」
石川五右衛門。結局その存在に小十郎は縛られている。
五右衛門の操り人形と化した主君を救おうと自分では懸命になっているはずなのに、時が経てば経つだけ味方が減っていく。あの男のせいで主君は安定を失い、伊達の姓も失い、妻まで失ったと言うのに誰も何の危機感も持っていない。
だから織姫とか言う五右衛門が生み出したも同然の蘆名の娘など、小十郎にとって理解したくもない存在の筆頭だった。
「氏光殿、亘理殿になぜ筆頭を変わるように言い聞かせぬ…年も上のはずだぞ」
「亘理殿は今も兵たちを鍛えている」
「いずれ来る同士討ちのためにか……小十郎殿にそんな覚悟があるか」
だがその織姫は今、亘理重宗や伊達成実と共に稽古に励む兵たちを慰労し、自ら食まで作っている。明らかに大名の妻であり、武士の嫁である。それに引き換え小十郎と来たらこんな狭い城の天守閣で筆頭家老面しながら、氏光と言う名の自分の同類項様にああだこうだ八つ当たりしまくっているだけでしかない。
「東西を 敗れど勝てど 駆け巡り 誰しもが見ぬ 五つ目の道」
「真円も 四方八方に 身に蒸して われて砕けて さけて散るかも」
小十郎の三十一文字は、小太郎のそれよりはるかに重苦しい。
「東西」に加え敗「北」、さらに「誰しもが見ぬ」つまり「みなみ」ない、自分が必死に駆け巡って来たはずなのに「東西南北」とは違うありえない五番目の方角を見せようとしている「五」右衛門に対する苦しみと憤りの歌。
それに対し小太郎は源実朝の歌を本歌取りし、平安の象徴のような真円も中央から東西南北の四方向だけなくその中間、さらにそのまた中間の中間のような「身に」こと三十二方向や「蒸し」こと六十四方向に分かれる物でありたかが五方向目ぐらいでガタガタ言うなと詠んでいる。どっちに余裕があるかは明白だった。
「まあ良いでしょう。少しばかり小十郎殿の手助けもさせてもらいます」
そんな風に小十郎を凌駕した風魔小太郎は天井の羽目板を外すと、そのまま天守から飛び出した。
いったい何をするのか、小十郎が及びもつかないままに。




