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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第五章 北条の現実
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服部半蔵のいら立ち

 石川五右衛門が芦名の姫を救い、と言うか盗み取り伊達政宗が芦名政宗となる名目を与えた——————————。




「五右衛門はいつの間にか会津に入り、いつの間にかその織姫を得ていたようでございます。その織姫をかくまっていたのはどうやら金上盛備の一族のようで、これで旧芦名家はほぼ滅亡したと言えましょう」

「ああ…」


 本多正信が改めて経緯を語ると、将たちの口からため息がこぼれた。


「石川五右衛門は伊達、いや芦名政宗の何がそんなに気に入ったのでしょうな」

「面白いからでしょうな」

 正信の言葉は投げやりだったが、呆れるほどに真理だった。

 石川五右衛門のような存在はそれこそ、武士道のような秩序など全く気にしないと言うかわざと背を向けている。もちろんわざと武士道に逆らう事もあるが、あるいは自分が得だと思えば武士道に添った行動もするし、平気で逆らって見せたりもする。確かにそれは一番得かもしれないが、一番ずるい手段でもある。


「関白殿下もまたしかりだとおっしゃるのですか」

「まあな。ただの武士にはないそれがある。そんな存在に勝つのは数とか以前に相当に難しい」

「でも実際に一度勝ちましたが」

「それはたまたまだ」

 小牧長久手さえも局地戦にできてしまう程度には、豊臣軍は強大であり秀吉は特異だった。だから家康は服属するしかなかった。


「伊達、いや蘆名政宗は」

「あれはもし十年早く生まれておれば天下を脅かしただろう。

 ちょうどその頃謙信を失い乱れていた上杉家を併呑し領国は二百万石を越え、もちろん武田などあっさりと併呑していた。そこで織田様と我々と衝突するか同盟を組んでいたとしても互角以上の関係となり、それこそ東国の覇者となっていたかもしれぬ。

 遅かりし 花をば愛でし 我が身こそ ただ死なぬゆえの 運命なりや」

 ひねりも何にもない三十一文字だが、政宗が万一自分が言った通り政宗が十年早く生まれていれば徳川家なんぞ織田と北条と伊達の三家の間で小さくなっているのがいっぱいいっぱいだったはずだ。

「その存在が目覚める前で助かったと言うべきなのでしょうか」

「だな。そしてそれが石川五右衛門と結びついてしまったと言うのはさらに恐ろしい話だ。武士でありながら武士道を平気で踏みにじれる人間と、手段のためにいくらでも武士道を利用できる人間が一緒になったらどうなるかわしにもわからん。もちろん単純に強者と言うこともあるしな」

「ならば今からでも!」

「今から何を言う気だ?北条氏照を狙ったのまでは許されても関白殿下の決定に不服を言う理由は何だ?石川五右衛門と芦名政宗が気に入りませんからとでも言う気か」


 実際徳川家内にそう言いたい人間は少なくない事も家康はわかっている。いや多くの武士たちにとって政宗も五右衛門も許しがたい存在である事は未だに変わらない。




 ——————————誰より、だ。




「半蔵殿…………」

「………………」


 口数こそ皆無だが、それでも心根はすぐわかる。

 見た目こそ有象無象の小鬼と変わらないが、それでも中身は生中な阿修羅など比べるまでもなく恐ろしく、閻魔大王の勺もとろけそうなほどに怒りの炎がたぎっていた。


「……氏照は討てず、あれも駆除できず……」

「小太郎か」

「間違いなく、今度だけは間違いなく……」

 石川五右衛門と気づくまではずっと下手人だと思っていた、風魔小太郎。

「風魔小太郎がまさか本気で五右衛門と手を組むとは……」

「半蔵。風魔はどこまで北条のために本気だと見る」

「氏康には忠実……されど氏直には……」

「やはりそうか…………」


 その風魔小太郎の立ち位置もまた、既に家康の見解となっているそれからはみ出してはいなかった。

 風魔小太郎と言う代々の名跡ではあるが個々人の名前でもある存在からしてみれば、主に対して思う所があっても仕方がない。だいたい下剋上が常識と化している以上、主も主で部下を守られねばいつ何時寝首を搔かれるか分かった物ではないし、寝首を搔かれなくとも見捨てられる可能性は十分ある。

(裏切り者を出したのはわし自身が見切られたと言う紛れもない証左だ……)

 だが実際、裏切りと言うのは寝首を搔くのと同じかそれ以上に難しい。寝首を搔くだけならば家内の不平分子をかき集めればできるし、気に入らない主を排除して気に入る主に挿げ替えればいいだけであるからその家の人間のままでいられる。

 裏切りと言うか見捨てると言うのは相手の家にもう見込みがないと判断できなければできない真似であり、平たく言えば家全体に対する三行半だ。実際その三行半によって潰れた御家など山とある。


「だがまだ今の所は北条には忠実なのだろう」

「ただし氏照には忠実なのやもしれませぬ…………」

「氏照か……氏照もまたあの男に取り込まれたのだろうか」

「氏照は北条の今の程度を知っているでしょう。恥や外聞よりも家の方が惜しいのです」

 もう北条は持たないと見て政宗を通じ秀吉に降伏したが、氏直が生き残るのならばそれでよし。小田原が滅べば当主として生き残るまで。字面にすれば簡単だが、決断としては全く簡単ではない。味方だったはずの政宗の裏切りとも呼べる行いに失望してもおかしくないはずなのにここまでやる辺り、北条の末期症状ぶりと氏照の果断さ以上に、徳川家の重臣たちも政宗の存在の大きさを認めざるを得なくなった。



「だがそれは!あくまでも蘆名政宗の影響であると!」

「そうだな!」

「げに恐ろしき男よ、十年早く生まれてなくて本当に良かったわ……あの黒田官兵衛をも飲み込んだとか言うが、それが真なれど偽なれどありかもしれぬと思わせてしまうのが文字通りの独眼竜たるゆえんか……!!」



 そう、蘆名政宗の存在の大きさを、である。

 本多正信でさえも、黒田官兵衛の名前を使って政宗を恐れるような事しか言えない。空気を読んだ訳でもなく、ただ素直にそうなってしまう。



「ではこれより我々は」

「特にできる事もない。関白殿下に小田原を攻めろと言われれば攻めるまで。もうしばらくは、飼い犬でいるしかあるまい」

 話を進めてくれた榊原康政に内心賛辞を送りながらも、家康はそう言うことしかできない。



 飼い犬。ご主人様の言うことを何でもホイホイと聞く使い勝手のよろしい道具。

 

 秀吉からしてみれば今やこの国の人間すべてが飼い犬かもしれないが、それでも実際に口にする重みは桁外れのはずだった。


(でも…)


 その立場の方が気楽なのも、また事実だった。



 得体の知れない、と言うか知りたくもない輩の飼い犬であるよりは。

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