秀吉・政宗会談について
「秀吉が伊達殿と!?」
「ええ、伊達殿を大庭城に招き入れ話し合ったようです」
小田原城内部にも二人の男の話は届く。もちろん掴んだのは風魔小太郎だが、届けたのは小太郎の部下だった。
「小太郎は」
「まだ所用があるようで」
「それで結果はどうなったのだ」
氏直がため息をこらえるように首を縦に振る中、氏政は積極的に答えを求めた。そんな対照的な二人の主人に対し、小太郎の部下は口を閉じて書状を渡し姿を消した。
「あとはお任せしますと言う訳か」
「そのようですねでは早速」
「待て待て、秀吉が不在である以上攻撃も大した事はあるまい。憲秀と政繁を呼んでからでも遅くはあるまい」
氏政は律義に書状を畳んだまま、二人の将を呼びつける。忙中閑ありを気取る訳でもないがやたらとゆっくりであり、まるで暇人気取りだった。実際ご隠居様と言うのは暇人と言う意味だが、この状況でそんな事をするのは余裕と言うより悠長だった。
「これこれ氏直、そんなにも見たいのか」
「え、っと…」
「最重要な書だ、それをわしら親子だけで先に見るなどいささか傲慢ではないか。家臣を大事にせねばいかんぞ。そうでなくては二人の姫にも申し訳が立たんではないか」
氏政はやたらニタニタと笑う。息子を全く悪気もなく馬鹿にするような表情に氏直は腹が立ったが、こんな時に親子げんかしても何もならない事を知っていたから口をつぐんだ。そんな息子に満足したのか、氏政も手紙を見開く事なくじっと抱き抱える。その姿と来たら、まるで良き女人を抱いているかのようだった。
そしてほどなくしてやって来た松田憲秀と大道寺政繁にも、風魔小太郎が運んで来た恋文を自慢げに見せつける。三人の中年男が一通の手紙を開けもしない前から笑う様と来たら、正直気持ち悪い事この上ない。
「もう読ませてください!」
「ああわかったわかった、父が先に読んでやるから」
「手討ちにされたいんですか!当主を差し置いて!」
「いやはや、ご苦労様ですなあ」
憲秀も憲秀で、氏直が刀を抜こうとしてもちっとも動揺しない。肝が据わっていると言うよりなめくさっている事をわかってはいるが、それでも氏直ができるのは気持ち悪い中年三人から書をひったくる事だけだった。
「読みますぞ!」
「どうぞどうぞ」
挑発に乗っかるように手荒に書状を開いた氏直だったが、二十秒もしない内に動かなくなり、十秒後に動いたと思ったらまた三十秒して止まってしまい、その後動き出して一分した後には書状が手から滑り落ちていた。
「どうしたのですか?」
政繁が憲秀に乗っかるように主人をからかいに行くが、氏直の口は動かなくなっていた。手足が地震でも起こったかのように震え、目は口程に物を言うと言わんばかりに視線はさ迷っている。下手に触れればこっちが斬られそうなほどであったと言えなくもないはずなのに、まったく恐れがなかった。
「こ、こ、こ…」
「こここ?」
「この城は、この城は……」
「ああもういい、見せろ見せろ」
そんな震える息子からさっきのお返しと言わんばかりに書状を奪い返した氏政は氏直の三分の一の時間でまったく反応もしないまま手紙を畳んだ。
「何と書いてあったのです」
「取るに足らん代物だ。伊達政宗が急に芦名政宗になり、秀吉に必死に許しを乞うた結果許されたとか」
「ちょっと何がおっしゃりたいのかわかりませんが」
「小太郎は間違いないと書いておるがな、だとしてそれが何だ。秀吉はそんなに人がいいか。長田忠致でもあるまいし」
氏政から言わせれば、秀吉が自分の寵臣と家康の重臣を殺したも同然の政宗を心底から許すはずなどないと思っていた。一旦降伏を認めたふりをして自分たちの戦いにぶつけてすり潰すか、あるいは源頼朝がそうしたように身の終わりをくれてやるとか言って殺されるだけだろう。ついでに言えば政宗の弟の小次郎はまだ十四であり、そんな人間を守る理由など秀吉にはまるでない。
と言うか、芦名政宗とか黄金の磔台とかまるで意味が分からなかった。
「意味が分からなすぎて震えておるのか?」
「あ、父、父上……」
「まったく、伊達政宗がそこまでの人好しとは思わなんだわ、そなたもそれで呆れておるのか?」
「最後まで読まなかったのですか!叔父上ですよ、叔父上!」
「叔父上?氏照がか?」
「ええそうです、叔父上は、叔父上は豊臣に降ったのです!」
氏政が書状を拾い直して再び読むと、確かに氏照が豊臣に降ったと書かれている。
「ほらご覧になったでしょう!憲秀、直繁、これがどういう意味か分かるか!」
「北条が万が一にも死なないためでございましょう」
「そうです、しかし氏照様もいささか弱ってしまわれたようでございますな。今二連勝中のはずなのに」
その上で二人の重臣は笑うばかりであり、氏政もため息こそ吐くがちっとも動揺している節がない。氏照の行動を弱腰だと笑うばかりであり、主家や弟に対する敬意などちっともない。
「これはですね、叔父上が我々を見限ったと!秀吉に北条の幹部が降伏したと言う何よりの証拠であり大幅に人心を離間させるそれであり!」
「氏光はどうしたのだ」
「わかりませぬ!ですがおそらくは!」
「死んだにせよ降ったにせよ、二人とももはやこの世において北条家に与する人間ではなくなったと言うだけの話だ。すぎた事をクヨクヨ言ってどうにかなるのならばいくらでも言ってやろう。だが現実は違う。後ろばかり向いても何にもならんぞ?ん?ん?」
どこまでも上から目線。五十路のはずなのに本来ちっともしないはずの加齢臭が漂い、氏直の鼻を刺激する。
したり顔ばかりが氏直を取り囲み、まともに相談できる人間はいない。氏直が十七で当主になってから十二年経つが、氏直の権力基盤は正直弱い。氏康が死ぬ間際までかなりの部分を握っていたように、氏政もまた似たような調子であり権力委譲は進まなかった。
今でも北条家の中核は氏政と憲秀や政繁のような五十路の人間たちであり、さらに下の層が入る隙間はなかったのだ。
「真面目に物をおっしゃってください」
「まったく、わかったわかった。そう言えば石川五右衛門とか言うコソ泥がいたな、氏照はその五右衛門に暗殺されまがい物にすり替えられた事にしておこう」
「真面目に物をおっしゃってください!」
「落ち着け落ち着け。その方がそんなに動揺していては兵たちの心が乱れる」
「もう十分乱れております!秀吉によりばら撒かれるのは時間の問題です!もういいです、秀吉に降る者は死罪だと申し付けて来ます!」
氏直が足音を立てまくりながら出て行くと、三人とも深くため息を吐いた。
「……ったく。何を怯えているのか」
「サルと泥棒ですよ」
「まったくだ、殿はいろいろ重たすぎる。まああの言葉を見る限りこのまま氏照様の後を追わぬことだけは確定のようで何よりですがな」
これが、今の北条だった。




