五右衛門と慶次郎
「どうやら政宗は許されたようです」
「そうか」
息子の利長からの報告に、利家は事もなげに槍を振った。
まるで予測していたかのような父の有様に息子は次の返答を求めてじっと座り込むが、利家の行動はちっとも変わらない。
やがて十分ほど父の槍の演技を見た息子はようやく腰を浮かし、背中を向けて去ろうとする。
「おい利長」
そこまで来てようやく父親は反応し、息子は何事だと言わんばかりの顔で振り返った。
「あのな」
「何か不足でしたか父上」
「不足も過足もない。だがそれでは足りん」
「もしもし」
「そんな態度だったら関白はそなたを許さんかっただろうな」
その利長が父親からの連続攻撃で黙ってしまうと、利家は槍を置きながら息子の顎を右手でいきなりつかみにかかった。利長がかわそうとして二歩ほど下がると、利家は左手で頭を押さえた。
「あの…」
「利長、一からの説明が必要か」
「はい……」
「政宗は、最初からこの展開を狙っていたのだ」
「ええ…」
二文字しか言えない息子に少しだけがっかりもしたが、それ以上に利長の限界と言うのも利家はわかっていた。
「関白殿下は元百姓だ、そんな人間がまともなやり方で出世栄達などできる訳ではない。それこそ右府公やわしのような常識的に考えてとてもまともでない連中に囲まれていたからだ」
「それで…」
「政宗は知っていたのだ。ああいう特異なやり方こそ関白殿下の好みであり、単純に土下座して許しを乞うよりずっと効果的だと読んだのだろう。もちろん一つ間違えば一刀両断どころか御家取り潰しなんだろうがな」
「とは言え…白装束はともかく黄金色の磔台に、芦名家の人間にまでなるとは…………」
利長は話を聞くだけで頭を抱えていた。何もかもが利長の頭の中にない発想であり、五つしか年の違わない人間とは思えなかった。
「でも叔父上はわかっていたのでしょうか」
「多分な。詳しくは知らんがあれはあれでかなりの知恵者だ。あるいはあいつが政宗に教えたのかもしれん」
「叔父上に聞いてみたい物ですが」
「やめておけ。お前にはあらゆる意味で無理だ」
利長は利家のような傾奇者などではない。
織田家の親衛隊の息子でありれっきとした支配者階級の人間だ。そんな存在が秀吉のような規格外の存在を理解する事は困難であり、理解したとしてもそれこそ自分たちの方が呑まれかねない。
「ではお伺いいたしますが、父上は関白殿下が伊達と芦名と北条を正式に屈服させたとしてその後どうなさると思いますか」
「それは…」
もっとも、利家とて今の秀吉を正確に理解できる訳でもない。親友でいられたのはせいぜいが本能寺の時までであり、少なくとも賤ヶ岳の際にはっきりと主従関係になってしまっている。いくら元々仲が良くともあまり贔屓すればそれこそ政権運営にも関わる話であり、今の利家には政治的権威などそれほどないのも事実だった。
「朝鮮に行く気だぜあいつは」
そんな人間の耳に侵入する声。
「誰だ!」
「曲者だ!」
利家は脇差を投げつつ槍を拾い近くの木に向かって突き刺すが、手ごたえはどっちにもない。利長が遅れて叫ぶと共に兵たちが次々と集まって来るが、皆が皆キョロキョロするばかりで目当ての敵を探す事もできない。
そんな間抜けな兵士たちに向かって、一本の竹筒が投げ付けられる。
斬る事などできずかろうじて槍の背で弾いた竹筒は地面に転がる事なく立ち、中身を兵たちに見せつける。
「紙のようです」
「読め!」
利家の叫び声に押されながらも体の動かない兵士たち。ある者は「殿様と若殿様を守る」とか言って二人にへばりつき、ある者は槍を二本集めて橋のように掴もうとしている。
「ああもう…!」
たかが一枚の紙にここまで動揺するほどなのか、こんな本陣にまで侵入を許すとは何事なのかと利家は情けなく思う事はなく、単純にさっきの男の言葉の調子に憤っていた。利長はと言うと声の主を探してばかりで首以外動こうとしない。
「ったくもう、何をひるんでるんだか……!」
そんなたった一言で恐慌に陥りかかった場所に入り込んで来たのは北条の旗を全身にまとった大男だった。
「利益!」
「何そんなに頭を熱くしてるんすか、体に障りますよ、もういい年なんだし」
「お前こそもう四十四だろうが!」
「そっちは五十三でしょ、そんな事で死んだらそれこそ後世で物笑いの種になりますよ」
わざとらしく三つ鱗に見える三角模様の羽織を身にまとった慶次郎利益に利家は侵入者の代わりに感情をぶつけるが、利益はいつものように笑ってばかりだった。利家の顔はどんどん赤くなり、水をかけてもすぐさま湯になりそうなほどになっている。
「叔父上、お願いいたします」
「何をだよ」
「こちらの筒です。よろしければお拾いいただき、ああもう拾いましたか、中をお改めください」
一方で先ほどまで呆けていたように首を回していた利長は竹筒を指差し、笑いながら拾う利益に中身を見て欲しいと要請した。
「利長!」
「とりあえず兵たちを下がらせないでください、爆弾じゃあるまいし」
利家が甘いとか言う前に慶次郎は竹筒の中身を取り出し、書状を開いた。
「戦盗は 箸土器と 変わらずや 過食の果てに 身を滅ぼさん」
あまりにも単純な短歌。
風流さはまったくない単純な三十一文字。
「何だと言うのだ」
「要するに戦も盗みも飯の種に過ぎないんだからあまり食い過ぎるな、って」
「バカバカしい!」
正論ではあるが、まったく大きなお世話でありわざわざこんな所まで来て言われるようなセリフでもない。
ましてや盗みなどと言う言葉まで付け足されるのはまったく不愉快極まる話であり、武士の誇りを真っ正面から否定するような文字通り悪戯を通り越した挑戦だった。
「って言うか後ろにも何か書いてありますよ」
「そうかそうか、それじゃ…」
利長の指摘に従い慶次郎は竹筒に入る大きさの紙をめくり、裏の字を読んだ。
いや、詠んだ。
「日と月を 万みそにて 食い尽くせば 秀なる人馬 李喰らえよ」
そして、慶次郎は動かなくなった。
「どうしたと言うのだ!」
「…………」
「慶次郎!」
「……石川五右衛門ですよ、こいつは……」
その動かなくなった大男の口から出た言葉は、利家の動きをも止める物だった。
あの石川五右衛門が、いつの間にかここまで来ていたと言うのか。
「あのそれで、その歌の意味は……」
「利長殿、朝鮮に行くとかって言ってなかったかそいつは」
「五右衛門かどうかはわかりませんが!」
「あいつは、関白殿下が伊達と北条と芦名を服属させ次第、次は朝鮮に行くって読んでるんだよ!」
「朝鮮…!?」
朝鮮半島への出兵。
九州やら関東やらにまで引きずり回されているのに、その上さらに朝鮮半島。そんな事をすれば大名の疲弊は進み、人心は豊臣家から離れてしまう。
だが秀吉は既に五十四歳、もうどれほど生きられるかわからない。その前に死んでくれるならいいが、それこそ生涯の総仕上げとばかりに出兵に躍起になるかもしれない。そのために何をするのか考えたくもないし、正直見たくもない。
「太陽も月も、全てを味噌と共に食い尽くしてしまった、つまり国内の敵はもういないから李こと朝鮮を食らうと言うのか」
「それだけじゃないでしょう、まだ正確にはわかりませんがね」
秀吉がこの戦いの先に何を狙っているのか、もう見抜いていると言うのか。
自分たちでさえ見抜けなかった事に気付いている五右衛門の鋭さに、利家と利長は怒りを覆い隠し震えるのが精一杯だった。
「ま、関白殿下様にどう伝えようが自由ですがねえ!」
慶次郎は笑って見せたが、それだけでどうにかなる物ではないのは誰もがわかっていた。
この時石川五右衛門は、瞬間的ながら秀吉をも凌駕していたのである。




