秀吉、政宗を認める
夜が明けて四月十八日。
政宗はまるで本城にいるかのように伸びをして体を起こした。
その寝覚めと来たらまるで危機感もなく、敵陣に単身でいると思う方が困難だった。
「まったく、ずいぶんと丁寧に朝餉を食べる事で……」
「どれが最後の食事なるかわからんからな。どんな時でも最後がこれで良かったと自分で思える程度には良い食事でないといかん」
「面の皮の厚さには敬意を表する」
「見習うがいいぞ」
何度でもしつこく立ち向かって来る黒田長政と言う名の給仕係を横手で薙ぎ払い、食事を口に運ぶ。事実上三日間と言う時間を区切られたのに笑顔でいる存在をどうやっても叩けない給仕係の歯嚙みする表情は、政宗にとってさらなる味付けでしかなかった。
「そう言えば立花殿は」
「あのお方は前田様に連れられて今はその陣におります。大名と言うのは本当に偉いもんですね、自分の都合で付き合う相手まで選べて」
「黒田殿は大名ではないのですか」
「私などは名目的な大名であり、小姓であり、部屋住みみたいな物です。とても大名らしい事などできません」
「人間は死ぬまで学びだとか申しますが、ずいぶんと高い壁を目の当たりにしてしまったようですな」
同情と言うより諧謔を感じた長政が踵を返す中、政宗は口に運ぶ。それだけで、この場を支配できていた。
「あと三日ですな」
そして腹を満たした政宗は昨日と同じように本陣へと一人でやって来る。軽挙妄動あらば殺すと言わんばかりの兵に囲まれながらもまったく表情を変える事なく、天幕の先に秀吉がいない事に気付いてなおまるで動揺もしない。
「来ないのであればこの身もその程度の存在と言う事でしょう」
「言っておくが我が主君はおそらく、氏照殿の身の安全と北条家の存続は保証しても氏政と氏直の身の上の保証はせんぞ。ああ下手すれば小田原城の安全も」
「そうでしょう。しょせん私の勝利は局地戦での勝利でしかありません」
昨日と似たような調子で言葉をぶつけてしまう黒田官兵衛が、普段の半分以下の力しか出せていないのが政宗にもすぐわかった。
そして本来ならもう少し迫力のある事でも言えそうなはずの人間がここまで弱らせているのが自分でない事もわかっていた。
「やはり恐ろしいのですか」
「地震と言うのはどうにも御しがたく」
「そうですか、奥州ではそのような物はないかあっても弱く」
もちろんその答えが地震などではないのを分かった上で政宗も攻める。四年前に発生した地震で上方が大打撃を受けた事はついこの前五右衛門から聞かされて知ったばかりだが、あの時は非常に盗みがやりやすかったと聞いて感心もした。
「それで今も小田原では戦があるのでしょう」
「一応やっております。まあしょせん牛歩ですが」
「牛歩と言うのは前進していると言う事ですね」
「そうです。一刻も早く来てもらいたいでしょう。さもなくば貴公の首と胴が永遠の別れを告げる事になりますからな」
「その覚悟もなしに戦場に出るとは……まったく一周回るまでもなく無謀ですね」
無駄だとわかっていても喧嘩を売りたくなる。息子の仇討ちでもないがこういう事をさせるのが自分の最大の才能だと言うのならば一周回って感謝したくもなった。
「申し上げます!」
そんな人たらしならぬ人怒らしとでも言うべき政宗が昨日と同じような顔をして座っている中、昨日と同じように天幕が揺れた。叩頭すると言うより倒れ込むように入って来た兵士は視線を必死にさまよわせながら官兵衛を見る。
「どうしたんじゃ」
「北条氏照が来ました!」
「何人でじゃ」
「八名です。もちろん氏照本人以外は控えさせておりますが」
「ふむふむ、なるほど。政宗殿、政宗殿……ハッハッハッハ……」
そんな弱り切った人間から告げられる、ある意味最大の吉報にして凶報。
「まったく、そなたが素直にひざを折ってくれて誠にありがたい……」
「関白殿下は」
「ほどなく来られよう。それと貴公は」
「来るまではこうしていましょう」
官兵衛は極めて事務的に呟き、政宗自身は内心でのみ笑った。
官兵衛が口だけで笑い、政宗が内心だけで笑う。改めて、力の差は明らかだった。
そこに兵士と共にやって来た男もまた、釣られるように笑った。
だが、彼らと違い、内心でも口でも笑った。
「さて……まさか一日で来てくれるとはのう」
「豊臣殿……いや関白殿下と呼んだほうがよろしいでしょうか」
「豊臣殿で良い。左馬介(氏規)殿にもそう呼ばせておったからのう」
その氏照は、秀吉に対し極めて素直に頭を下げた。ほとんど年の変わらない農民上がりに向かって、政宗がそうしたように由緒ある武家が平身低頭している。
「さて時に、口約束でも約定は約定じゃからのう。ここで改めて書をしたためよう。
まず芦名政宗。その方にはとりあえず下野一国に値する領国四十万石を保証しよう」
「ありがたきお言葉……」
「何じゃありがたくなさそうじゃのう」
「いえ、弟が気になり申して」
「ああすまんすまん弟じゃな。弟には惣無事令以前の六十万石を保証しよう。そして北条はとりあえずは六万石、最高で十五万石じゃな」
そしてその流れのまま、秀吉はあっさりと石高を決めた。
伊達と芦名については合わせて百万石だが戦前の伊達家の合計よりやや少ない。
北条の最大十五万石と言うのも、氏照の影響力を考えれば妥当な線だった。
そう、氏照の影響力を考えれば、だ。
「それでは拙者自身の身代であると」
「ああ。残念ながらそなたの兄と甥は…」
「右衛門佐殿は」
「そちらは守る。左馬介殿共々、北条を守ってもらいたい」
「ありがたき、お言葉……」
氏政と氏直は秀吉に対し徹底抗戦とでも言うべき構えを取り、氏規を通じて持たせた最後通牒にも抵抗するという答えを出している。一方で氏照は特に何も言っていないというか元から関与していない。元からそんな立場でなかっただけだが、それでもそういう態度を《《取らなかった》》と言う事実だけは確固として存在していた。
「それで豊臣殿」
「何じゃ」
「芦名家の罪と言うのはあるのでしょうか」
「芦名の罪か…」
伊達家の罪は惣無事令に反した事、北条家の罪は散々行われて来た天下人からの要求を踏みにじった事で説明がついたが、芦名家の罪と言うのはわかりにくい。
芦名家は摺上原の段階で全体で一万六千の兵を動員できた。実際には義広の本家の佐竹や二階堂などが加わっていたとは言え、摺上原に向かわなかった軍を含めれば単独でもそれぐらい動員出来たはずの芦名家、つまり六十万石程度あったはずの芦名家が四十万石と言うのは理不尽だった。
「まったく、それを氏照殿に言わすか」
「それがしは何も」
「いやいや、罪と言えばいくらでもあろう。武家として戦に敗れ領国を失ったとか、あるいはその前に芦名殿の弟君を受け入れなんだとか」
「そのような」
「いずれにせよ芦名家が会津を失ったのはここにいるそなたの侵略行為が原因ではあるが、それを凌ぎ切れなんだのも一因である。龍造寺も大友も、まるっきり元に戻すような事はできない。わしが島津を抑え込んだのは天下のためであり、龍造寺や大友のためではない」
秀吉が九州に遠征したのは島津と言う巨大反抗勢力を戒めるのが目的であって、龍造寺や大友にいわゆる焼け太りを許し第二の島津を作るのが目的ではなかった。
今回だって伊達を許した上で芦名を元の領国で復活させればそれこそ芦名が伊達になってしまい、文字通りの無駄足となる。もちろん北条をまともに反抗できる大きさで残すのも論外だ。
「すると伊達と芦名は」
「ああ、引き裂く事になろう」
別に覚悟をしていなかった訳でもない。二兎を追って一兎どころか三兎も得てしまった以上、どこかで妥協せざるを得ないのを政宗はわかっていた。




