ある戦い
あけましておめでとうございます!
(ったく、なんでこの俺様がお守りなんかよ……)
朝っぱらから街道沿いの低い木が並ぶ道の側に潜む石川五右衛門は、字面ほどではないが不機嫌だった。
伊達、いや芦名政宗に顎で使われた事に対して怒りを抱いてもいる。
なぜオサムライサマのためにここまでしてやらなきゃならないのか。
いや、自分の意志を通すためにあそこまでの事をした政宗については認めてやっている。
(本当、オサムライサマってのは仁義とか信義とか大好きだよねえ。信義のためならば見栄も外聞も、ついでに命も要らねえって……!)
此度五右衛門が密かに護衛しているのは政宗でも小十郎でも、織姫でもない。
本来ならばでっかい旗を挿していてしかるべきはずの、お偉いさん中のお偉いさん。
と言うか、本来政宗よりも威張っていいはずの存在。
甲斐姫を通してもっと堂々と威張ってもいいと言ったつもりだったが、彼の耳には届かなかったようだった。
武器さえもしょぼい脇差一本しかなく、もし襲われたらどうする気だと胃を痛めさせるには十分すぎた。それはそれで豊臣家の不誠実を証明できるからいいじゃないかとか言われた時にはめまいを起こしそうになり、自分が何様だかわかっているのかと問い詰めてやるつもりだった。
そのオサムライサマこと北条氏照が政宗と同じように数名の使者と共に向かう中、氏照にも気付かれぬように五右衛門は潜んでいた。口を閉じ鼻息だけで肺を動かし、最小限の足音と共に氏照に付いて行く。氏照が気付いているか否かなどもう知った事ではない。手のかかるオボッチャマを見守る爺やの気分にもなれないまま、五右衛門は忍びの真似事を続けていた。
「…っ!」
その偽忍びの大泥棒が声を抑え込みながら振り返り、自前の刀を抜きながら飛び上がった。技はまったく忍びのそれであり、見る者が見れば魅了されるに値するほどの身体能力であった。
だが、その技を引き出した相手に当然ながら笑顔はない。
いや、元から笑顔などないのだろう。
「てめえ…!半蔵だな!」
「……」
今度ははばかる必要もないとばかりに叫ぶが、氏照すら反応しない。馬蹄の音が早まるとかそんな事もなく、悠長と言うか呑気に大庭城を目指している。いくらまだまだ北条領だとか言った所で、本拠の小田原城が三方から包囲されていると言うのにまったく悠長な物だ。
だいたいこの街道自体徳川家康のいた場所であり、何を残しているかわかりゃしないのにだ。その家康の部隊自身は大庭城を通り越して小田原城の方へと戻って行ったが、それは家康が出るまでもないと言う意味でもある。実際、小田原城の軍勢の一部が手薄になった包囲網の一部に対し攻撃を仕掛けているとか言う情報もつかんでいるが、政宗にさえも五右衛門は教えてやっていない。
その五右衛門に向かい、三個の金属の塊が飛んで来る。言うまでもなく手裏剣であり、もはや半蔵だと言う事を隠す気がないほどに正確な狙いと速度だった。二個を刀で弾き返し一個から逃げるべく飛び降りた五右衛門だったが、飛び降りながら足をくねらせ本来の着地地点より少しばかり後ろに落ちる。無理矢理な姿勢だった分足音はしたが関係ないとばかりに懐に手を突っ込み、白い粉を撒き散らす。
「殺!」
「もっと他に言うことはねえのかよ!半蔵、お前一体ここに何しに来たのか言ってみやがれっつーんだ!」
「死ね!」
その一撃をまともに受けた存在が突き出した刀を薙ぎ払い、斬り合いに発展する。
口数がまったく対照的な二人だが、その武器の扱いにはそれほど差はない。わずかに半蔵の方が上手だが、五右衛門もそれほど押されている感じはない。二人して顔を突き合わせながら、お互いの刀を薙ぎ払おうと躍起になっている。
忍び刀と言うのは武士が使うそれよりもずっと小さく携帯性を重視したシロモノであって、斬り合いをやるための道具ではない。だから武士から見ると何とも間抜けなそれだったが、どっちもまったく真剣だった。
「どうしてこの俺様ばかり狙うんだよ!氏照とか政宗とかだろ!」
「答える必要もない」
「徳川様の事しか考えてねえんだろてめえは!大好きでたまらねえ徳川様のためならば何でもするんだろうが!それがこの五右衛門様と何が違うって言うんだ!」
自分のしたいことを勝手にやっているだけだと自負している五右衛門からしてみれば、半蔵のやっている事もかなり自分勝手だった。
「今の俺は伊達、じゃなかった芦名政宗って奴が面白れぇって思ってるから味方してるだけだよ!そいつがつまんなくなったらいつでもケツまくって出てってやる気でいるんだかんな!っつーか半蔵、てめえよくあんな面白みの何もねえご主人様に仕えてるんだ、てめえは変態か!」
だから五右衛門にしてみれば、半蔵のやっている事は理解不能だった。もちろん五右衛門は家康の事も知っていたが、秀吉と違ってただただ堅苦しいだけの男であり、少しでも瑕疵があれば一点の曇りもなく片さねば気が済まなそうな顔をしている。狸親父とか言うが、五右衛門に言わせればあんな重苦しく真面目くさった狸がどこにいる物か聞かせろとなる。
「……殺!」
そうして五右衛門が吠える事に集中した隙を突いたか、それとも忠義心とやらの為せる技か。
半蔵はごくわずかに距離を取り懐に手をやり、片手で手裏剣を投げ付ける。
五右衛門はこれ以上付き合ってられるかとばかりに大きく飛びのき距離を開けるが、その着地点に向かって手裏剣が飛んで来る。
「ああ畜生面倒くせえ!」
五右衛門は忍び刀で手裏剣を弾き、呼吸を荒げながら半蔵を睨む。四月と言う名の初夏のくせに汗を大量にかき、投げ付けられた手裏剣に視線をやる。
「生を貪るか、抜け忍め…!」
「俺を殺すためだけにそんなもんを投入するだなんて、徳川っつーのはそんなに金持ちかぁ!?」
「正義のため…!」
「うるせえ、俺が抜け忍ならてめえは忍者の格好をしたただのサムライじゃねえか!」
確かに五右衛門は特級の犯罪者でありある種の賞金首だが、それでも正義など半蔵が吐くようなセリフではない。
五右衛門が自分と真摯に向き合う気がないゆえにたまたま避けられたゆえに飛び出したセリフこそ半蔵の本音だと理解した五右衛門は、半蔵も自分と変わらぬと糾弾する。
「……滅殺!」
半蔵が全ての感情を最大限に押し殺したような声を絞り出し、五右衛門に全速力でぶつかりにかかる。五右衛門もう改めて付き合えないとばかりに北へと逃げにかかる。
「殺!」
その動きを見切った半蔵は再び懐から八方手裏剣を持ち出し、五右衛門に投げ付けんとする。
今度こそ、この一撃で——————————
「んっ……?!」
だが、手裏剣が飛ばない。
半蔵の手を離れたはずの手裏剣はいきなり落下し、金属音を立てただけだった。
「二人きりで興ずるなどぜいたくと言う物……この身もいささかばかり付き合わせてもらいたい……」
三人目の男の声。
「抜け忍め……その御首、いずれ……!」
その男の声と共に、半蔵は消えた。
敗北を噛みしめ、新たなる復讐を誓うかのように。
「フッ……所詮は侍か……であろう?」
「お前、いったい……」
そんな半蔵への嘲笑を残しながら水を向けて来た第三の男に対し、五右衛門はいい返答を思いつけなかった。
「何、少しばかり面白そうな話を聞きつけて来ただけ……」
「お前は北条の」
「北条がそなたにとっての政宗である限りは、な……まあまた会う事もあろう」
それきり第三の男の声はしなくなった。葉っぱがわずかに揺れるのみであり、風のせいで済むほどのそれしかない。
「ああ、もう、最後まで面倒見てやるか……!」
自分と同じように言いたい事を言って消えた第三の存在に少しばかり毒気を抜かれた五右衛門であったが、とりあえず最後まで責任を果たせねばとばかりに先に行ってしまった氏照を追いかけ出した。
なぜ、ここに風魔小太郎がいるのかと言う事を考えないようにしながら。
このあと二日間お休みです。小田原城周辺から目が離せないので。




