政宗の秘策
四月十七日。
豊臣秀吉は、大庭城にいた。
両脇には黒田官兵衛とその子長政、さらに立花統虎がいる。
本陣は養子の秀次と秀康、さらに宇喜多秀家に任せ、さらに副将として戦歴豊富な島津義弘を抜擢していた。
「しかし柳川侍従殿はなぜまた」
「伊達政宗と言う男を見ておきたいだけです」
立花統虎がそう言いながら鼻息を鳴らす。統虎はやたらと殺気を放ち、秀吉の後ろに長政共々控える官兵衛の苦笑を買っていた。
「それでどうする気です」
「佐吉の事を持ち出してどう反応するか見てやる。それからじゃな」
「佐吉の事が惜しゅうございますか」
「ああ惜しい。あれほど直ぐな忠義心を持った男もそうはいない。ただあまりにも直ぐすぎて自分で全部何とかしてしまおうとしてしまった、それがあかんかったんじゃな……」
ダメな子ほど可愛いでもないが、石田三成の事は今でも惜しんでいる、確かに賢いを通り越してしまった面はあるが官吏としては極めて有能だったし、これから完全な天下人として君臨するには欠かせない存在だった。もちろん忠義心の厚さもある。
「どれほどの意味で何をやったのか、それを聞かずにはおれんのじゃ」
「……石川五右衛門もですか」
「ああ」
そして、政宗を焚き付けただろう男。
もちろん出て来ないだろうが、その存在についての見識も聞きたい。
生死はそれからでも遅くない。
秀吉の顔に、人の悪い笑みが宿った。
「申し上げます!ついに伊達政宗が来ました!」
「そうか!」
その人の悪い笑顔のまま、秀吉派待ち人来たるを喜んでみせる。
やって来た食材をどう料理してやろうか、腕利きの包丁人になった気分だった。
だが—————
「なんだあれは!」
先頭で伊達政宗の一団を発見した兵の言葉と共に、場は一気に凍り付いた。
先鋒は間違いなく、伊達政宗だ。
だが馬には乗らず、背中に何かをくくり付けながら歩いている。それがよほど重いのかやや足は遅いが、それでも止まる事はない。
「なんだあれは……」
金箔を貼り付けられた、七尺ほどの背丈の棒。
そしてその真ん中よりやや上には、同じぐらいの長さの棒が横に組み合わさっている。
十字架—————いや。
「伊達政宗は耶蘇教徒だったのか」
「たわけ!あれは磔の台じゃ!」
長政の間抜けな言葉に対し官兵衛も突っ込みを入れるが、正直力がない。
磔の台を持ち歩くのなんぞ、処刑人以外にほとんどいない。ましてや今回の場合、一体誰を処刑すると言うのだろうか。
「ご覧ください!政宗めは真っ白な装束を身にまとっております!」
「そうか」
そんな異常な空間の中で最初から気を張っていた統虎が真っ先に反応したものの、それでも黒田官兵衛すらまともに反応しない。秀吉は無言のまま政宗率いる数名の人間ばかり見ている。真っ白な装束と言うのはいわゆる死に装束であり、文字通り死を覚悟して来たという証だ。潔いと言えば体裁はいいが、開き直りとも言える。
「しかし……あんなものをいったいなぜ」
「まあ、来てから聞いても遅くはあるまい」
秀吉はようやくわずかに言葉を発し、珍客の到来を待った。
その珍客の後ろに付き従うはわずかに数名。死出の旅路の同行者としては正直寂しい数だが、逆にそれが威圧感を与えている。
—————もし万一の事あらば。
そんな考えのまま天幕の中に控える事数分余り、ついに下手人が天幕の中に入って来た。
「そなたが伊達政宗か」
「はっ…!」
結局最後の最後まで黄金に光る磔台を背負ったまま、政宗は叩頭した。相当な重さがあるだろうに汗ひとつかかず、上げろと言うまでずっと地面とにらめっこを続けてやると言わんばかりの気迫がにじみ出ている。
「もうよかろう。外させろ」
「御意…」
秀吉の言葉と共に政宗の背中の十字の縄が外され担ぎ出されて行きそうになるが、それでも数名しかいない伊達の人間たちがその十字を半ば強引に奪い取り自らの手で抱きかかえる。彼らはさすがに本陣から離されたものの、それでもその目つきは全く本当の兵のそれだった。
そして政宗は背中が急に軽くなったにもかかわらずちっとも動揺する事なく、ずっと地面を見つめている。
「もう良い、面を上げい」
「はっ……!」
噂通りの隻眼を輝かせ、黒い眼帯もまるでもう一つの目かのように自然に輝いている。
「それでもう一つの目はどうしたのじゃ」
「親に預けてあります」
「そうか、見てみたいもんじゃな。まあおそらく無理じゃろうがな」
「はあ?」
「何、まだ五つと二つの童子じゃよ。無論それなりに技を尽くしておるが、武蔵から近江まではあまりにも遠いからのう。わしもその目を見たかったもんじゃ、わしと違っていい男じゃったからのう……」
そしてその話のまま、石田三成の方に振ってやる。酒井忠次については徳川家の話だしさらに忠次自ら無理矢理に出撃したらしい以上それほど大きなことも言えないが、三成については完全に政宗の責任だ。北条に付いてはまだ「向かって来た敵を討っただけ」理論もまかり通るが、政宗に付いては通らない。
「では関白殿下、殿下は自分の命を惜しいと思った事はございますか」
「いくらでもある。でもそれだからこそわしは逃げた。逃げる事を恥ずかしいとは思わんし、卑怯な手も幾度も打って来た。三成はその事が分かっておらんかったようじゃったな……まったくもったいない事よ」
「それでは石田殿の死の責務はまったく石田殿にあると言う事になりますが」
「それを認めた上でじゃ、なぜそなたは北条と手を組みわしに歯向かった?そなたがおとなしく服しておれば犠牲者は少なくて済んだと言うに…………」
「島津家が長宗我部の長男殿を討ち取ったのと同じです」
長宗我部元親の長男信親は島津との戦で討ち死にしている。それ以来元親は塞ぎこみがちになっており、今回の出兵も半ばお義理のような状態であった。一方で島津はその戦勝により薩摩大隅六十万石の大名と言う地位を得て生き残っており、まさしく甲の損は乙の得と言うべき状態だった。
「だがわしが島津を許したのは先代当主の隠居と維新大夫(義弘)の誠意あってこそ。ただ勝利してこれ以上の戦いは無意味と思わせただけでは足らぬ。
それに何より、此度の出兵は北条を討伐するための物。まったく北条の友軍として戦ったそなたをそうやすやすと許すわけには参らぬ」
「無論でございます」
「なれば北条を今すぐ切ってわしに付くか」
「その前にかなり多くの物を切りました」
政宗の言葉に対し、秀吉は頭に杖を突き付ける。反省したとか言うのならば髷でも切って坊主になってから来いと言う意味だが、政宗は一向に動じない。
「まずは妻を捨てたのです」
「妻を……まさかどうしても未亡人にしたくなくて」
「ええ。よくできた妻ですから再び良縁あらば」
「その方の子をはらんでいるやもしれんぞ」
「先刻承知です」
この時代夫の権力はかなり強く、その気になれば紙一枚で離縁を申し付ける事は十分可能だった。しかしまだ二十四歳で側室もいないだろう人間がそういう事をするのは明らかに横暴であり、相手の女によほどの責めがなければ通らないお話だった。
「それで北条は捨てられぬか」
「大幅に削られることは覚悟しておりますが、仮にも五代百年続いた家でございます。それを雲散霧消させるのは…」
「なるほど。まあ一応気に留めておくかのう。じゃが、それだけでその方を許したわけではないぞ」
黒田官兵衛でさえも割り込めないほどの迫力を持った政宗に対し、長政は何も言えない。統虎ですら、下手に突っ込んで来るよりずっと恐ろしい振る舞いを為す政宗を前にして目が据わったまま足が動かなくなっていた。
「まあ実を言えば他の女子のために妻を捨てたのですがね」
「ほほう」
そんな中にぶち込まれて来たこの物言いに秀吉は口を半開きにし、清正と長政は両手を上に向けそうになり、統虎はまばたきした。
そして官兵衛が固まった表情で大口を開ける中、政宗はここぞとばかりに突っ込んだ。
「それがしはもはや伊達政宗ではございません、芦名政宗でございます!」
「はあ、ほう………………」
秀吉をしてそれ以上何も言えず、清正と長政は震え出し、統虎は官兵衛の方を振り返り息を飲んだ。
——————————あの黒田官兵衛が、してやられたと言う顔になっていたのをはっきりと見てしまったからだ。
今この場において、《《芦名》》政宗ははっきりと黒田官兵衛を凌駕したのである。




