前日譚
四月十五日。
会談期日の二日前。
徳川家康が張っていた陣にて、兵に囲まれながら座る男。
その男に対し、片倉小十郎は深く頭を下げた。
「片倉小十郎でございます」
「黒田官兵衛にございます」
豊臣秀吉の軍師。竹中半兵衛と並び二兵衛と呼ばれた男。老獪な印象が強いと世間的には見られていたが、その実穏やかそうな顔面をしていた。
「そう言えば片倉殿は神主の子だとか……」
「いかにも」
「わしは一応御仏の教えにも通じているが、同時に耶蘇教徒でもある。貴殿も耶蘇教について触れてみぬか」
だがその口から出てくる言葉は、かなりの変化球だった。小十郎は耶蘇教の存在など、言葉ですらおぼろげにしか知らない。ましてやそれが具体的に何なのかと聞かれた所で、御仏のそれとはまた別軸の神への信仰と言う事しかわからない。
「興味がございませぬ」
「素っ気ないのう、それで伊達殿を悩ませているのか」
「そう言えばあなたも関白殿下と共に」
「まあ関白殿下は面白いお方ですからな、それは伊達殿も同じでしょう」
「羨ましいですよ」
小十郎は本心からそういう言葉が出てしまう。
ここ最近はつとにそうだが、政宗と言う主人の守り役は文字通り一刻も目が離せず、それこそ竜と言うか手を離したらすぐどこかに行ってしまいそうな凧のような主人だった。実父の輝宗の教育が悪かったとか言う気は一言もないが、それにしてもあまりにも破天荒すぎる。
「それでです、伊達様は大庭城に来られるのですかな」
「それは無論です。きちんとお話するため、今も準備を整えておいでです」
「では、その場で関白殿下に御首を斬られる覚悟もおありなのですな」
「なければ小机城に引っ込んでおります」
「はははは」
官兵衛は文字ばかりで笑い、目をちっとも笑わせない。自分程度では抗えなさそうにさえ思えて来る。それでも主から役目を任された以上、ひるむ訳にもいかない。
「この身がもしまともに小机城に帰らぬのであれば関白殿下は臆病者を通り越した卑怯者と呼ばれましょう」
「わしはいつ関白になったのかのう」
「ここに来ていると言う事は関白殿下から権威を委譲されているも同然。わしの言葉は関白殿下のそれであると大言壮語する権利を持っているのでしょう、あな羨ましや」
「裏表のないお方ですな」
小十郎は実際羨しかった。単純に天下人の側近と言う立場が唯一無二のそれだったし、自分に主人並みに破天荒そうな人間に付き合っておきながらここまで笑えるのも本当に感心に値した。
「で、わざわざその連絡のためだけにここに来なさったのですか」
「いかにも。左京大夫様のために」
「そうか、伊達殿も事ここにいたり重臣を差し出して命乞いか」
「ですから、わが命がここで尽きるのであれば我々は最後の一兵まで戦うでしょう。そうなれば一将功なりて万骨どころか十万の骨が枯る事になります」
もちろん、だからと言って退くつもりもない。実質敵本陣に単騎突撃している状態である以上、ひるむ必要などどこにもない。
実際政宗は、もし自分が生きて帰らないのであれば残る兵力を総動員して秀吉目掛けて進むと言ってくれていた。その主のためにも泣き言など言っている暇などないのだ。
「それは困りますな。まあ落ち着くためにも野立てになりますが茶でもいかがかと」
「謹んでお受けしましょう」
官兵衛は杖を突きながら立ち上がり、茶を立てさせ始めた。その間も小十郎は渋面を崩さず、座を組みながらも官兵衛を睨む。
「ずいぶんと機嫌が悪しゅうございますが」
「ここは十分に戦場ですからね」
「勝軍の将のお言葉でもありますまい」
「あなたがそう思うのならばそうなんでしょうな」
「少なくともそれがしの中ではあなたはこの二戦の勝者である伊達軍の将です」
小十郎にはこれまでの「戦勝」を生かすつもりはない。実際それは政宗の仕事であり、「敗戦」を受け止めるのは秀吉の仕事だった。官兵衛の言葉にも殴り返しつつじっと耐えるその姿は、小十郎もまた一流の戦国武将だと知らしめるのは十分だった。
やがて野立ても終わり、主人である黒田官兵衛は低い椅子に座りながら茶坊主に茶を出させた。あまり湯気の立っていない茶を差し出された小十郎はためらう事なく一気に飲み干し、無言で茶碗を突き返す。
「そんなにも喉が渇いておりましたか」
「ええ」
「では今度は少しばかりしっかりと立てさせましょう」
その言葉通り二度目はやや濃いめの茶をそれなりの温度で出し、三度目には濃茶をほんの少しだけかなり熱い温度で入れた。喉の渇きが潤いつつある中に出された茶は京に近い場所で採られたからか、いつも小十郎が飲むそれよりずっと風味豊かだった。
「なぜまたここまで」
「いえ何、我が君は人を欲しがる男でしてな。上杉の直江山城殿も三十万石で我が家に求めているとか。もちろんあなたにも同等の石高を差し出しますが」
ずいぶんと懇切丁寧なもてなしに感心した小十郎だったが、すぐさま直球が投げ付けられる。
「冗談も休み休みおっしゃっていただきたい」
「冗談でこんな事が言えますか。まあ実際家臣の真似事ですがね、四万石の身代で二万石を出そうとした馬鹿な男の」
「戦場にて挑みかかって来た敵を討つは武士として当然の行い!政宗様もそのために戦ったのです!」
「政宗様……?」
そしてその直球に対し派手に大振りした小十郎に気付かない官兵衛ではなかった。
「そなた、やはり既に伊達家を見切っていると……」
「今更呪詛をかけるような真似などいたしますまい」
「我々はいつでも貴公を歓迎しておりますが」
「有難迷惑と言う言葉もございます。この身は左京大夫様のためにあります」
「言葉を取り繕うな。と言うか伊達殿の寵臣はずいぶんと口が軽いな」
「その言葉のためだけによくもまあ戦えた物です」
その大振りした隙を突くかのように攻め込む官兵衛だったが、小十郎はあわてる素振りもなく官兵衛が投げて来た球を丁重に弾く。打ち返しぶりはなぜか堂に入っており、自分でも妙な芸を覚えてしまったなと自嘲と同時に自慢もした。
「言質を引き出すためならば二枚舌と言われようが一向に構いませぬ。それもまた覚悟と言う物でしょう。その覚悟がわかる主君を持った事は我ながらずいぶんと幸運に恵まれたと言えますが」
「主君だけでいいのですか。同僚も欲しいと思いませんか」
「同僚ですか、その点は羨ましいですがね。理解してくれる同僚ならいるつもりですが」
「それがしならば貴公を理解できますが」
「しつこい方ですね」
「光と影の使い分けができなければこの時代を生き抜く事はできませぬ。我が主とて相当に非道な真似をして来ました。まあ大半について後押ししたのはそれがしですがな」
官兵衛の言葉に罪の意識はない。
どこか攻撃的で、誰かを叩きにかかっている。
だがその相手が自分ではないのは間違いなさそうであり、かつその上で小十郎を味方に引き込もうとしている。
あと一歩で全てを手に入れられそうな存在をして抱えている相手。
それは一体—————
「それで、主君を呼び捨てにしておいて今更おめおめ帰る気とでも?」
「黒田殿ほどのお方がまだ意味が分からないとは思いませんが」
その存在を思い浮かべようとしている所でぶつけられた豪速球を今度は真っ正面から打ち返す。
その上で脳の別の箇所を動かし、そして出た結論。
「あぁ……」
「どうなすったのです?やはり後悔していると」
「後悔せずにいられる人生など存在しますか。とにかく左京大夫様から離れる気はありませんから!」
その結論ゆえに出たため息につっこんで来た官兵衛に対してそんな的外れな事を言わせる程度には、その存在は小十郎にとって未だ飲み込み切れない異物だった。
「伊達家にあなたの居場所などあるのですか」
「左京大夫様の隣にありますので」
「惜しいかな ああ惜しいかな 惜しいかな」
「何ならばあと二日ここにいてもいいのですが」
「申し訳ござらん、少しばかりみっともない真似をお見せしてしもうた。これ以上目の前の存在に執着してしもうてはいかんな。まったくまだ四十五だと言うのにずいぶんと未練がましくなってしもうたわ」
官兵衛の攻め手に、その異物の正体に気付かれなかった事を察した小十郎は内心の安堵をひた隠しながら叩頭した。
そんな小十郎が官兵衛に見送られながら五体満足のまま小机城に帰った時には、全てが終わり、そして、始まっていた。




