五右衛門の贈り物
四月十四日。大庭城での秀吉と政宗の会談の期日の三日前。
伊達政宗は、小机城にてこれまでになく不敵な笑みを浮かべていた。
「そなたが……」
「フン、俺様が天下の大泥棒よ」
「天下の役者の間違いだろう」
小机城の二の丸で向かい合う男こそ、石川五右衛門。
変装もしない素の姿で座る彼は政宗より少し背が高く、筋肉も付くべき場所に付いていた。抜け忍とか言うが、普通に忍び、いや武将としても相当な器である事が政宗にも見ただけで分かった。
「わしに下野を取らせ、忍城の姫君たちに秘策を授け民を守り、その上に氏照公にも策を授け徳川の酒井殿を討ち取るとは……」
「泥棒とサムライに何の差があるんだか、どっちも人様のもんを奪う事には変わらねえだろうが。どっちも騙し合った挙句な」
「その通りだ、武士とて詐術を使うのは慣れている」
小十郎がいたらまた胃を痛めそうになる事を平気で言う二人の間に、身分の溝はなかった。二人して和やかそうに笑う姿と来たら主従と言うよりは友人であり、実に面白そうだった。
「例えばこんな風にな!」
政宗はいきなり腰の刀を抜き、五右衛門に突き付ける。
五右衛門はちっともひるまず、小馬鹿にしたように笑うだけ。
「まったく、んなもんしかねえのに俺に襲われたらどうする気だよ!」
「大丈夫だ、二本挿しているというのはそういう事だ」
「間違えて真剣を抜かねえのがらしいよな、石頭野郎と違って」
「言ってやるな、あれはわしよりも伊達家に対して真摯なのだ」
竹光を突き付けながら、政宗も笑う。
大名と言うのは孤独だった。
周りにいる人間の中で自分に逆らうのは親と兄のような目上の親族だけであり、後は全部部下だ。たまに他家の人間と交わったとしても殺し合いか利害関係ありきの同盟でしかなく、真に心を許し合える関係ではない。
「俺はそれなりにダチだっている。ダチっつーのはまあ友人の事だな、慶次郎はあんなガチガチの堅物の中で縮こまってねえか不安でな、俺の身の上を知った上でニコニコしてくれるいい男だぜ」
「会ってみたい物だがな」
「何、覚悟があれば会えるぜ。あ、もう覚悟できてるのか」
それなのに、五右衛門には友人がいる。それもまた現実だった。
「サムライの話で悪いがな、織田信長と徳川家康も元は人質ながらそういう関係だったらしい」
「だからあんなにも強いのかよ、本当やんなるね」
「今更そんな関係になる気もない。ただひとつだけ聞きたい事もある。織田信長と言う存在を恨んでいるか」
「たりめーよ!」
「だから織田の息子をやったのか」
その五右衛門の新たなる友人になりつつある人間が急に声を潜めたのに対し、五右衛門は鼻で笑った。
「あれはそんなタマじゃねえよ、ほんのちょっと安土とか言う城の話を振りまいたら勝手に自滅しただけだよ」
「一度は見てみたかったものだがな、そなたは見た事があるのか」
「一度だけな、ったくあんなご大層なもん作って何をしたかったのかね。城なんて敵の兵士や俺様のような泥棒から身を守るためにあればいいのに」
実はこの時織田信長の次男織田信雄は、領国をはがされ高野山に送られていた。
小牧長久手の戦の後、信雄は秀吉と主従逆転状態になりながらも八十万石の大名と言う地位を保っていたが、それからほどなくして領国内に安土城の素晴らしさを記した書状が流布され出し、信雄は信長が生涯全てを注ぎ込んだ安土城を焼いた愚か者としての名がこれまで以上に広まってしまった。
それでも謀叛人・明智光秀に利用される前に焼いたと言う言い訳はできていたが、明智光秀が死んだとされる日から信雄が安土城を焼いた日まで数日ある事が判明してからはその名前は完全に地に落ち、家康から不誠をなじる書状が届いて完全に精神が崩壊。小牧長久手の戦の前に秀吉派の三家老を斬った土方雄久を風説を流布した犯人と断じて妻子共々殺してしまい、完全に人心が離間。乱行を秀吉からとがめられ領国を召し上げられてしまった。
現在の旧信雄領の内伊勢には小大名が分地し、尾張には信雄の叔父の織田有楽斎が入ったが実権は薄く、「織田家」の領国も清州付近の二十万石程度にまで削られている。
「全てのサムライからその地位と名誉を盗み取る気か」
「できるもんかね。やってみてえもんだけど」
「だがそれはただの天下統一とも言う。天下統一をするにはあまりにも足りない物が多すぎやしまいか」
政宗は五右衛門の弱点を自分なりに見抜いていた。
「世の中の全ての人間たちの人心を盗み取った人間の事を天下人と言う。いや全てである必要もないが大勢の人間にこいつなら天下を任せてもいいやと思わせれば勝ちだ。貴様は天下人にでもなる気か」
「フン、俺様に何を求めてるんだか」
「好き勝手やれと言うだけだ」
今こうして自分と手を組んでいるのは決して伊達家のためではなく、全く自分のため。自分のためにならないと思えば平気で見捨てる。元々が泥棒だから打撃は小さく、これまで通りすぐに闇に消えてやる事もできる。
「ったく、せっかくの手土産を使う気もないのかね」
「手土産か、まったく相当難儀な代物を持って来たものだ」
「どっちのだ」
「両方ともな!」
そんな男が持って来た二つの「手土産」は、政宗の心を大きく揺るがした。
しかもそのうち一つはかなり強引に奪い取ったのだから政宗も怒りながら笑うしかなかった。
「まさか先に中身を見た訳でもあるまいな!」
「見たに決まってんだろ!」
「よこせ」
五右衛門はその強引に奪い取った代物を、政宗に投げてよこした。
「で、だ。どう思う」
「読みもしねえのに聞くか」
「聞かせてもらう」
政宗も政宗で、読みもしないのに内容を聞く。
まさしく悪童と悪童の戯れ合いだった。
「ああ、秀吉も結局はオサムライサマに染まっちまったなって思ったよ、あああるいはあの秀吉にくっついてるオッサンの仕事かもな」
「黒田か」
「そうだよそうだよ、まあ秀吉ももう五十五だけどそのオッサンも四十五だからな、しかも秀吉と違って正統派のオサムライサマでさ。まあオッサンなんてなろうと思えば簡単になれるからな、俺様より一つだけ上の三十四でもな」
五右衛門が黒田官兵衛の事を盛大に笑う中、政宗は書状を開く。
そのまま目で書状を追い、幾度もうなずく。
本来ならば頭から読むはずの書状を最後から見て、改めて頭から読む。
そんな事を三度も繰り返した政宗の顔は、五右衛門とほとんど変わらなくなっていた。
「……わしに使えと言う事か」
「どうするかはお前次第だ」
「そうだな。ったく、あの時の選択を誤らねばこんな事にはならずに済んだのにな。ああお前には関係ないぞ」
「その時の尻拭いをやらされる身にもなって見ろっつーんだよ」
余計なお世話だとか吠えるような人間などここにはいない。
だが今の所いないだけである。
「わかった。彼女は今どこにいる」
「小机城の北の小屋に隠してるよ。強行軍だったからぐっすり寝てるけど、それなりにこの俺様が言い含めておいてやったからよ」
「よし、すぐに連れて来い。わしとて覚悟はできている!」
たった二人だけで、話は進んで行く。
伊達や北条だけでなく、この国を揺るがすあまりにも奇天烈な一件が。
そしてそのための役者を五右衛門は用意しにかかり、政宗もまた覚悟を決めにかかる。
——————————今すぐ伊達政宗を乱心者として定義し小次郎政道を当主として対北条・政宗のために挙兵すれば天正十四年以前の領国は保証するという秀吉の書状と、それを受けて義姫は今すぐ秀吉に降伏し許しを乞え、もう二度も戦勝して満足したであろうと政宗に送りつけて来たのを完全に無視してである。
なお五右衛門は手先を送り込み、秀吉が唐沢山城の義姫に送った書状の中身をも把握して政宗にのみあらかじめ伝えていた事は秀吉も小十郎もおろか義姫も知らない。
五右衛門と政宗だけの秘密だった。




