義姫と伊達政道と書状
2024年5月21日、誤字修正の指摘を受けて藤五郎→藤次郎に変換しました。
藤五郎は伊達成実じゃねえかよ……。
「石田治部少殿に続き、徳川殿までもとは…………」
「落ち着きなさい、徳川殿の家臣の酒井です」
下野・唐沢山城にて愛姫は口を大きく開けていた。城主が不在ゆえに本丸にて城主のような顔をしていた義姫が上座から嫁を止めるが、内心では長男の嫁と同じように戸惑ってもいた。
「しかしそれにしても藤次郎があそこまで戦果を挙げるとは……」
「義母上様、その呼び名は」
「わらわにとって藤次郎は死ぬまで藤次郎じゃ、まったく勢いだけで守将を決めたとしか思えんわ」
もう二十四の子を幼名で呼ぶ辺り姑の夫に対する扱いが知れるが、それを否定できないのもまた事実だった。
政宗が武蔵に出ている今、唐沢山城を守っているのは伊達本家から派遣された六千の兵であり、守将はやはり本家から来た留守政景だった。
政宗からしてみれば父の弟だから無難な人選だが、それでもどうしてもどこか戯れじみたそれに見えて来てしまう。
「単純に綱元の方が良いと思うのだがな、まあ今更当主に云々苦言を垂れる気もないのだがな!」
文字通り口ばかりな義姫だが、それでもそれなりには真剣だった。
この時会津には小次郎と、護衛役と言うかお守り役として鬼庭綱元がいた。
義姫が見た所、政景は綱元より劣っている。と言うか綱元の才覚が全体的に見てかなり上位であり、血族だけで重要な役目を押し込めるのは危険に思えた。
「ただでさえ政宗は無謀極まる賭けに出ておる。しかもそれに勝ったとして一体どれだけの物を得られるのやら」
「天下にその武名を轟かせ、さらにその領国を広げる事もできましょう」
「そんな訳があるか、秀吉が自分にたやすく従わなかった存在をこんな大きさのまま従わせておくわけがない。ましてや伊達北条連合のような形になればそれこそ天下最大の災厄とも言われかねぬぞ。豊臣軍に勝利していた島津でさえも薩摩大隅の二カ国に戻された、まあその辺りが関の山だろう。それ以上となると何だ、会津でも掴み取る気か」
戦勝を繰り返した島津ですら九州統一目前からそこまで削られたのに、伊達がどれだけ奮闘したとていい所会津を守るまでがせいぜいだろう。
しかしそれとて百万石を超えた存在がいると言うのに変わりはなく、あるいは上杉辺りを太らせて伊達の抑止力にするかもしれないが、それとて上杉とかに頼らねば御せないと言う汚名が残るだけでしかない。義姫からしてみればそんな有様で天下人の威信も何もないとなる。九州では鍋島や立花と言った地元勢力を太らせた上に自らの腹心や子飼いの連中を置いたとか言うが、今回もどうせそうなるだけに決まっている。
「ああお方様に奥方様」
そんな武家生まれの武家の嫁が武家らしく現実を見ていると、これまた純粋な武士が城主の席に座ろうとして来た。主人の母と妻が頭を下げる中間をどこか居心地悪そうに歩き、視線をさまよわせながら去年まで佐野氏忠がいた場所に座る。
「政景。そうかしこまらずとも良い。女二人何の意味もなくくっちゃべっていただけなのだからな」
「そのような…とにかくいずれにせよこちらをご覧いただけますでしょうか」
「どこに行っていたのだ」
「この城の防備が気になっておりまして…」
城主のくせにまるで小間使いのように書状を差し出す。義姫がついさっきまで口走っていた戯れのように選ばれたとか言う言葉を聞いてへこんでいる訳でもないだろうに、どうにも威厳がない。少し突くだけですぐに動揺する事実上の義弟に自分が普段から威張りすぎているなと義姫はほんの少しだけ反省し、そのままの顔で政景の右手に目をやった。
「大変失礼しました。実はこちらの書状が届けられまして」
「誰からです」
「それが豊臣秀吉からです」
「秀吉…」
そして秀吉と言う言葉にも、義姫は動ずることがない。愛姫がこれまで以上に不安そうになる中、義姫は政景が右手に握りしめている書状をじっと睨んでいた。
「で、内容は」
「まだ見ておりませぬ」
「まったく。誰に遠慮しておるのか。それでも城主か」
「お方様と奥方様です」
「ほんの戯れだ」
それでも政宗に比べればこの真っ正直な性根を義姫は嫌いではないのも事実だった。それがわかっているから親族とか抜きで真っ当な判断ができる人間を後方に残す判断の正しさも認めなければならない。
「では読みます」
その政景はゆっくりと書を開き、目を通して行く。
最初は目で普通に追っていたが、最後まで読み終わるとまた最初に戻り、また読み終えると深くため息を吐いていた。
「何と書いてあるのじゃ」
「小次郎様に百万石を与える、そのために今すぐ兵を挙げ伊達政宗を討てと」
「馬鹿馬鹿しい、そんなに伊達を太らせたままでいいと言うのか」
「会津と下野の百万石です」
あまりにも見え透いた離間の書に見えたが、それでも地名にはきっちりと罠が張ってあった。
米沢ではなく、会津と下野。どっちも伊達家の根っからの領国ではなく、この一・二年で政宗が強引にむしり取った領国。同然住民は懐いておらず、芦名や佐野と言った当地の名家を慕う勢力は少なくない。そんな場所に現在進行形で多大な戦果を挙げている兄を殺して入った弟が、まともな信望を得られるとは思えない。
「そうせねば旦那様だけでなく弟君も」
「その点についてはまるで記されておりませぬ」
義姫は政景から受け取って読んだが、確かに政宗を討てば会津と下野に百万石を与えるとしか書かれていない。
そうしない場合どうなるかは書かれていない。期日さえもない。
「なるほど、秀吉と言うのも侮りがたい男だな今更ながら」
「どうすべきでしょうか」
「どうすべきも何も、藤次郎が武蔵で遊んでいる以上小次郎に何とかしてもらうしかあるまい。小次郎には伊達家のために最善の選択を取ってもらわねばならぬ」
「最善の選択…」
義姫はサラッとそう言ったが、愛姫にはそれこそとてつもなく難解な問題に思える。
愛姫とてもし秀吉の言う通りにした場合伊達家がどうなるかぐらいわかるし、仮に逆らったとしてどう逆らうのが正解なのかわからない。
いっその事籠城でもするか。
いやそれこそ北条の次に伊達が食われて終わるだけだ。
あるいは今更会津を捨て米沢にでも戻っておとなしく引きこもるか。
だがそれをやった所で今更許されるとは思えないし、許されたとしてもあまりにも損が多すぎる。
かと言って今更最上以下東北の諸大名を取り込もうにもそんな事が出来るはずもない。
相手が秀吉の威を受け反伊達を掲げてその領国を食い荒らしに来る事は明白であり、仮に応じたとしても相当に足元を見られる。雪を待とうにも今はまだ四月だ。
「義母上様……」
「愛姫よ、藤次郎の事を本当に愛しておるか?」(※藤次郎は伊達成実のことでは?)
「無論でございます!なればこそあの時激しく体を合わせ…!」
そこまで言うと共に、愛姫がいきなりくずおれた。政景が何事かと目を見開く中、義姫は扇子を口に当てて笑った。
「まったく……この義姫もついに婆か」
全てを悟ったように笑うその声からは急に厳しさが消え失せ、ただの女になっていた。
「我々は死ぬまで戦います」
「あわてるでない。とにかくこうなった以上、ごねるのも手だろうな」
それでも義姫は義姫であり、武士の妻だった。御家のために何が必要か自分なりにわかっている。
男子ならよし、女子でも女子なりに守るまで—————。
だがそうやって覚悟を決めた義姫でさえも、この時政宗と石川五右衛門が何を考えているかなど読み切れなかった。
いや、本人たち以外、誰にも読めなかった。




