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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第三章 小田原は落とさせない!
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酒井忠次の最期

 酒井忠次が伊達軍たちと激突していた頃、服部半蔵は何をしていたか。


(まったく、あれはあれで自分のために死ぬ男を育てていたと言う訳か、全く腹立たしい!)


 自分が殺した男の懐から出て来た書状を目の当たりにしてから、小机城から玉縄城までの六里の道をわき目も振らず駆けていた。

 途中まで漁民たちに追われていた気がしたが、そんなのはどうでもよかった。




「徳川家康の命を盗んでやる」




 仮にはったりだとしても絶対に見過ごせない言葉。もちろん石川五右衛門の筆跡など知らないし誰かに書かせたとも言えるが、いずれにしても放置などできない。

 もはや横浜とか言う漁村の事などどうでもいい。家康を守らねばならぬ。

 盗人が盗むのは金銀財宝だけではない。時には火を点けて建物を奪い、住人の命を奪う事もある。見られた家人を殺す事もある。忍者が暗殺の達人と言うのはある種の宣伝だが、潜入術の達人なのは間違いない。要人の側に接近して情報を得るのは常套手段であり、その伝で命を奪う事だって可能なはずだ—————と言うのが半蔵の理屈だった。




 だがこの場に限っては、半蔵の思案は当たっていない。




 五右衛門はあらかじめ、横浜の漁民の内一人に抜き足差し足のやり方を教えていた。大金を握らせ密かに修練させ、昨冬の間にそれだけならば忍びとして通用するぐらいにまで仕上げていた。もちろん手紙を懐に入れさせたのも五右衛門である。




 ではその五右衛門はこの時どこにいたかと言うと—————。




※※※※※※




「ったく、酒井忠次っつーのも本当にオサムライサマだよなあ!」


 —————北条の雑兵の格好をして、三百人ほどしかいない小机城で横になっていた。


 北条家の城で堂々と横になる有様はまさしく天下の大泥棒であり、残っていた人間たちも呆れていた。


「ここまでやって徳川が動揺せねばどうするつもりだったのです」

「そんならそれで五分五分じゃねえか、本当に肝っ玉の小せえこったなあ!あ、そうかそうかわかったぞ、お前だな天に羽ばたく竜の尻尾を握り込んでたのは!」

「私の命まで盗む気ですか!」

「お前こそ図々しいのは変わらねえじゃねえか!ここは北条様の城だぞ!だいたい何のつもりだこの泥棒が!」 

 寝転がる五右衛門に向けて片倉小十郎が嫌味と唾を落とすが、五右衛門はびた一文動揺せずに言い返す。実際五右衛門は自分があそこまでおぜん立てしたのに政宗が下野侵攻を渋ったのが小十郎が原因である事を見抜いており、これを機にオサムライサマの欺瞞を正してやりたかった。

「そんなにも大義名分とご主君様が好きかね、そしてそのためなら平気で死んでそれをカッコイイと思えるだなんて、命がけっつー言葉ほど安っぽくて重たいもんは世の中にねえよ」

「安っぽいとは何だ!」

「命がけって言葉は実に重たい。それを笑えばすぐ相手の気持ちを踏みにじる大悪党様で、そんでその重たさがわかってるからやな連鎖が起きる。命がけの上に命がけが重なる。戦国乱世ってのはそんなもんだろ」

「我が主君もまた命がけでやっているのだ、我が主君をも馬鹿にするか!」

「伊達政宗って男はまだましだよ、あんなに頭の柔いオサムライサマは俺はもう一人二人しか知らねえ、ああ秀吉もそうだったけどな」


 小十郎は五右衛門を蹴飛ばしてやりたいようだったが、それならそれで五右衛門はすぐ逃げるだけだった。その結果、最悪伊達家その物が滅んでも知った事ではない。政宗が五右衛門に頼ると決めた以上グズグズ言わず付いて行くのが家臣の役目なのだが、どうしてもグズグズ言いたくなってしまうらしい。


「もしそなたが伊達家の家臣の武士であったならば…」

「オサムライサマである事がそんなにも重要かね。それ以外に出世栄達の道がねえって言うんなら不幸な世界だね。ま、どうでもいいけど」

 僧侶も農民も工作人も、みな戦のために働かされる。そんな事をしなくてもいいはずなのに。そして神官も。


「赤あやめ 咲かせる男子 褒められて 鯛泣き眼 花を見下ろす…………どんなに言葉を飾っても変わりはしねえんだよ」


 五右衛門は言いたい事だけ言って、口元をほころばさせた。



 鯛も目から涙をこぼすほど赤くきれいなアヤメを咲かせる男が褒められるとか言う能天気な歌だと思えるんなら、それこそおめでたさの極致かお為ごかしの天才だろう。

 人を「殺め」て「赤い花を咲かせる」男が褒められ、その一方では「体」「なき」眼が「赤い花」を「見下ろす」—————それが戦場だった。



「わかったら流れて来た連中にこの城が乗っ取られねえように防備でも固めてろ、俺様は忙しいんだよ」

「ああはいはい……」

 小十郎が疲れ切ったように部屋を出ると、五右衛門はいびきをかき出した。



 ついでに言えば里見の旗を用意させたのも五右衛門であり、秀吉との仲立ちがうまく行かず上総一国を失いそうになっている里見に対し伊達に味方すれば上総安房の二カ国を守れると持ち掛けたのだ。その事についても五右衛門は事前に政宗に承諾を得る事なく、まったくの独断でやっていた。




※※※※※※




「漁民たちが横から来ました!」

「数は!」

「二百人程度です!」

 予測済みのはずのその報告は、酒井忠次の心を深くえぐった。

「まったく、どれほどの数を敵は!」

「これが敵地と言う事なのです!この辺りで!」

「そこまでの大軍に負けたとあれば名に傷はつかぬわ!」



 忠次自身、もう自暴自棄になっていた。



 今自分で言ったように、敵軍が多すぎるのだ。



 どうしてここまで兵が多いのか。話が違うとか言うのにはもう慣れているが、それでもこの《《三つ》》もの部隊には目を疑わざるを得なくなった。

「三途の川をそんなに渡りたいか!」

「お前より後にな!」

 政宗のおごり高ぶった声にも反発する気さえ起きず、これまでの習性に従って武器を動かしているだけ。言葉もほとんど条件反射であり、目も虚ろになっていた。

「下がらせろ!父上を守れ!」

「わしはそんなに老いぼれておらんわ!」

「いえ、老いぼれております!」


 

 実はこの時、酒井忠次の視力は大きく低下していた。本来ならとっくに隠居して京あたりに隠棲する事を秀吉・家康の両人から勧められていたが、それでも無理を言って生涯最後の戦いに参戦して来たのが忠次だった。


 その霞んだ目で見えてしまった、第三の軍勢。


 北条の旗を掲げた四千の軍勢。

 それが北条氏光である事はすぐわかったが、二つの伊達軍と合わせると二万にもなる。ここまでの兵力をどうやって調達したのか。まったくわからない。いや、伊達政宗に北条が御家存続をかけたのならば話は分かるが、去年いきなり下野を奪い取ったような存在に縋る事自体あまりにも屈辱的なはずだ。


「北条には見栄も外聞も自尊心もないのかっ!」


 やけくそのように叫ぶが、まともな返答など返って来ない。

 うるさい死ねか、それとも無言か。

 関八州の覇者を気取った所で、秀吉と比べれば所詮は小勢力である事を自覚して開き直っているのか。だが単純に伊達軍を取り込んだとしても数は一万程度、北条の兵はその大半が小田原城に入っているはずなのにどうしてここまでいるのかと言う疑問の答えはちっとも出て来なかった。



 この犯人はやはり石川五右衛門であり、関東の辺りに徳川家康が織田信長と蜜月の中であった旨をばらまいたのである—————伊勢長島や比叡山延暦寺を焼き討ちにし、無辜の民を殺した存在である織田信長の。


 いくら二十年前とは言え、老若男女問わず死体に変えたあの殺戮劇の主犯の盟友ともなれば、どうしてもそういう目で民百姓は見る。もちろん秀吉や利家についても信長の部下としていろいろやったと広めていたが、そちらは織田信長とか言う魔王の命令に従わされていたと言う言い訳が効いたためかあまりいい手ごたえはない。



 とにかく大久保勢は亘理重宗率いる伊達軍《《四千》》を受け止めるだけで忠次の援護をする暇はなく、さらに第三の軍勢と言うべき氏光軍までぶつけられてはそっちだけで手いっぱいだった。あげく本多忠勝と井伊直政の第三部隊もまた、氏照軍に加え地元住民の攻撃を受けており同じ調子だった。


 その間にも忠次に迫る政宗率いる《《四千》》の兵たちが、忠次を飲み込まんとする。家次の軍勢には残る四千が襲い掛かり、家次を引き剥がしにかかる。

「そこをどけぇ!」

「どかないわよ!」

「女っ……!?」

 必死に抵抗しようとした家次だったが、女性の声に動揺して兵たち共々動きが止まってしまう。



 そしてそこを見過ごす政宗ではなかった。

 その女性を囲みながら突っ込んで来る北条の兵により、家次軍は大きく後ずさりしてしまった。


「ここだぁ!」

「若造がぁ!」

 その隙を突いた政宗の刃が。ついに忠次の目に入った。忠次は呼吸をするように刃を受け止めにかかるが、いかんせん体が付いて行かない。

 叫び声より刃は遅れ、忠次の額に傷が付く。それでもかろうじて持ちこたえた事に満足した忠次だったが、そんな行いを許す政宗ではなかった。

 次の刃は忠次の心の臓を貫き、血が胸と口から溢れ出す。


「ああ父上!」

「これ以上の深入りは無用だ!」

 家次が悲鳴を上げる中、政宗たちはゆっくりと下がる。

「おのれ伊達政宗…!」

 そして家次が哀しみと憤怒を込めた顔になろうとした所に、また別の音が割り込む。




「爆発だと!?」

「いかん、殿が危ない!」


 玉縄城の辺りで聞こえた爆発音。それは徳川軍の戦意を削ぎ、忠義心を歪ませた。


「覚えておれ政宗!父の無念いずれ晴らしてくれる!」


 家次は忠次の亡骸を回収し、泣きながら逃げる事しかできなかった。


 そして実際に家康の側で爆発した手投げ弾により百名ほどの負傷者が生まれていた事を知り怒りと恐怖を覚え、その元凶の存在をはっきりと認識した。




 ——————————石川五右衛門の名前を。

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