ハマの政宗
家康が小田原を離れてから一週間後。
街道の城を落としながら進み、玉縄城へとたどり着いた。
「やはり北条氏照か」
「ええ、七千近い数が立てこもっているようです」
「ここは我々が引き受けよう。忠次と忠世は武蔵に入り、忠勝と直政はやや距離を開けて待機だ」
家康は自ら玉縄城に当たり、酒井忠次と大久保忠世率いる兵を武蔵に向けた。
正直玉縄城は大きな城ではないが七千と言う数からしても難儀であり、その上に堀や柵など防御施設もかなり強固で、簡単に落とせる城ではない。
「確かに堅城だと評判だがここまでとはな」
「半蔵によりますとどうも昨年ごろからよからぬ噂が立っておりましてな」
「何だと言うのだ」
「豊臣家のご機嫌をうかがうべく里見氏が鎌倉の海岸を襲おうとしていると」
「そんなのはいつもの事だろう」
安房の里美氏が船で相模を攻めるのは恒例行事と言うべきそれであり、そのためにもこの地域の防御を重視するのはわかる。だがそれにしても小田原が一大事のはずなのに妙に強固であり、不自然だった。
「それが何でも領国の兵全てを引き連れて来るとか、領国を失っても関白殿下に頼めば全部返してくれると」
その話は家康も幾度も聞いていた。
ずいぶんと荒唐無稽だが、それでもそこまで言われると警戒しない訳には行かない。いくら途方もない大軍が西から来るとは言え、北条にとって安房の里見は日立の佐竹と並ぶ仇敵の一角なのだ。西ばかり見て鎌倉を襲われるのは、それこそ足元をすくわれると言うにふさわしい話だ。
「それから佐竹が熱心に下総を攻めているとも」
「伊達政宗のせいだろう、下野が通れないならそこをやるしかないのだからな。あるいは里見と手を組んで上総をも攻め取れば関白殿下に対しては十分に奉公していると言えるだろう」
さらに言えば佐竹もいる。佐竹と里見が組めば下総上総はどこまで耐えられるかわからず、少なくとも武蔵に援軍を送る事はできなくなる。
「佐竹は伊達に攻撃を加えないのでしょうか」
「もちろん可能性はある。だがそれは伊達が下野を案じていると言う前提の話だ」
「ずいぶんな話に思えますが」
「伊達は藤原房前から続く家だからな」
家康はわずかなひがみを込めて伊達家の事を評論した。
伊達は平安貴族、いや奈良貴族上がりの家だから領国なんぞ最初からある物だと思い込んでいると言うある種の余裕と言うか傲慢さがあり、それゆえに拾ったも同然の下野なんかには全く拘泥する必要がない。機を見るに敏なりと言うより、あまりにも執着心がなさすぎる。自分は一国どころか一城、いや寸土と言う単位でしがみついて来たと言うのに。
「しかし伊達はそこまでして北条と心中して何がしたいのでしょうか。我々や島津がそうであったようにどんなに勝ったとしても結局は臣従するしかないのではないでしょうか」
「そのために高く自分を売るか、それとも…」
「石川五右衛門とやらの傀儡にされていると」
「されていると思っていないのか、それとも自らされた事を認めているのか。それが問題だ」
現状、どこまで石川五右衛門と伊達政宗が結びついているのかも家康は知らない。
五右衛門処刑に情熱を燃やしている服部半蔵は、酒井忠次に同行して武蔵に入ってしまった。
「しかし半蔵殿があそこまで怒気を露わにするとは我ながら驚きました」
「それほどまでに許せぬのであろう。普段怒らぬ人間の怒りほど恐ろしい物もそうそうない。そして普段めったに口を開かぬ人間の言葉ほど重い物もそうそうない」
「そうですね」
康政はわかりましたと言わんばかりにうなずくが、どうにも頭が重い。
その頭の重さに一抹の不安を覚えながらも、家康は玉縄城に兵を向けた。
※※※※※※※※※※※※
「敵地のはずなのに兵が少のうございますな」
徳川軍先鋒の酒井忠次は、息子の家次と共に街道を進み、武蔵に入っていた。
酒井軍は六千、後方に控える大久保忠世・忠隣親子の軍勢が八千。
三番手の本多忠勝・井伊直政軍五千は玉縄城の家康本隊一万との両にらみと言う訳で進軍は遅く、いきなり戦が起こったとして忠次が指揮できるのは一万四千と言った所だった。
それに対して忠次の道中の北条方の城砦には、千の兵もいない。
「どこかに集中しているのだろう、小田原に集めているように」
「敵はその箇所に我々がてこずっている間に伊達を」
「だろうな。我々はその箇所を掴まねばならない」
「そこまで行ったらいったん下がってと」
「その手筈はわしが整える。そなたは深追いしてきた敵をさらに誘い込むか叩く貸してくれ」
「三国志の英雄・劉玄徳ですか」
「ああ。故きを温ねて新しきを知ると言う事だ」
忠次の作戦は既に決まっていた。いわゆる釣り野伏である。
別に島津軍と対峙していた訳ではないが、それでも自分にはできる自信はあったし人並みに歴史書を読んで来た自負もある。
「しかしこのような平野と水ばかりでは」
「案ずるな。これでも年を食ってきた分だけ名前も売れているつもりだ。徳川四天王とか言う肩書も無駄にする気はない」
「無理をなさらないで下され」
「さっきも言ったようにこれは年長者だからこそできるのだ」
もう隠居してもおかしくない年だが、それでも年下の主人のために最期まで戦って見せたかった。
忠次は関東平野にも海岸線にも息子の心配にも全くひるむことなく、自信満々だった。
「申し上げます」
その忠次の下にやって来た、一騎の騎馬武者。
見た目こそただの騎馬武者だがその実が服部半蔵の部下の伊賀忍びである事を、忠次だけが知っていた。その証明かのようにまるで音を立てずに馬を降り、何事もなかったかのように忠次の側で叩頭する。まさしく忍びの技だった。
「どうした」
「伊達政宗は小机城に入ったとの事です」
「小机城だと」
小机城は南武蔵の中央に存在する城で、小机衆として北条家の躍進を支えた一派であり重要度の高い城である。
「そしてその城にいた三つ鱗を掲げた兵が、既にこちらに向けて出陣しております」
「数は」
「四千程度との事です」
「わかった、礼を言うぞ。これを受け取れ」
伊賀忍びは忠次に礼を言われ小判を受け取り、そのまま後方へと走って行く。同じ情報を大久保忠世や井伊直政、本多忠勝にも伝えるのだろう。
「伊達政宗は城に籠っていると言うのか」
「どう考えます」
「おそらく敵は我々を小机城に引き付けるだろう。そしてその間に政宗が城を抜け出し、そこから横を付くと見ている。あるいは政宗だけ城に留まりある種の囮として、他の誰かの重臣にやらせる可能性もある」
「ではやはり」
「ああ、先ほどの打ち合わせ通りに行く」
そして忠次は改めて、自分の作戦を決行した。
「わしは適当に戦って来る。お前は父親を信じておればいい」
「ご武運を」
家次に言われるまでもないとばかりに、忠次は駒を進める。
武蔵の地の初夏の風は忠次の頬と皺の増えた手を撫で、わずかに潮くささを運んだ。浜松とも駿河とも違う風。
(新皇様もこの風を感じられたのだろうか……)
主に似たのかそれともそう育てたのかわからないが、忠次もまた古き英雄に思いを馳せていた。しかも忠次の場合頼朝よりさらに古い平将門であり、それこそずいぶんな懐古趣味だった。
そんな懐古趣味を抱えていた忠次が兵を止めたのは、ある漁村であった。
「何と言う村だ」
「えっと確か、大和大納言様の家臣に似たような名前の……」
「藤堂村か」
「違います、えっと確か……ああ横浜村です」
横浜村。
小机城から程ない距離に存在するその村を避けるように、忠次は隊形を組んだ。
その忠次の存在を認めるかのように、三つ鱗の旗が近寄って来る。
酒井忠次からしてみれば「横浜一庵と言う豊臣秀長の家臣の名前と同じ村」でしかない漁村の村人たちが見守る中、戦いは始まろうとしていた。




