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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第三章 小田原は落とさせない!
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本多正信がつかんだ噂

「石川五右衛門です」

「石川五右衛門?」



 石川五右衛門と言う、あまりにも唐突に出て来た名前。



 口を軽く開けた家康に対し、正信は深くうなずいた。


「石川五右衛門と言えば天下の大泥棒ではないか。それがこんな所まで来て、小田原に何か財宝でも探しに来たのか」

「そうだ、関白殿下たち不在の今こそ京は絶好の仕事時ではないか、それがなぜこんな所まで」

「天下統一を阻止するためです」


 当然とでも言うべき大久保兄弟の疑問に対し、正信はあっさりと答えた。

 あまりにもあっさりとしているせいか皆が言葉をなくす中、正信はさらに続ける。


「五右衛門は伊賀にて忍びの修業を積み、その際に忍びの修業に飽き果て、里を抜け出したと言われております」

「それで好き勝手やるべく泥棒になったのだろう」

「しかし存じての通り右府公(織田信長)により伊賀の地侍は壊滅、焦土と化しました。あるいはその時に武士と言う存在に嫌悪感を抱いたと考えられます」

「あるいは?」

「元より忍びの行きつく先が武士の手駒でしかない事に気付き、武士と言う存在に戦いを挑もうとしているのではないかと」


 武士と言う存在が天下の支配者となってから、もう四百年が経つ。

 鎌倉幕府から室町幕府、室町幕府の滅亡も武士が武士を倒したにすぎず、武士以外の階級が政権を握ったのはいわゆる建武の新政の数年間に過ぎない。しかもそれもしょせんは足利尊氏らの力ありきであり、武士の力なしでは世の中は動きようがないのはもう明白たる事実だった。



「阿呆らしい。そんな戦いに何の意味がある」

「自分の物差しだけで他人を計るな。ましてや盗人のそれなど理解する必要もあるまい。それで他に何かないか」



 当然とも言える言葉を吐く康政に対し、忠世は年上らしくたしなめ、その流れのままさらに正信に続けるように促す。


「その石川五右衛門とやらですが、どうもまだ義昭公が京にいた際に百地三太夫の下を抜け出し盗賊となり、その過程で関白殿下とも会ったとか」

「盗人と城主としてか?」

「いや、小谷落城の頃には既に接触していたらしいです。それ以降もあのお方ですから、盗みとは別に接触していたようです」

「あのお方…」

「これはまったく信ぴょう性のない噂ですが、大政所様や北政所様とも接触していたとか」


 秀吉やなか、おねの顔見知りだと言うのか。確かに秀吉と言う人間やその家族ならば、そんな存在とつながりがあってもさほど驚かない。とは言え、今はあまりにも立場が違い過ぎるはずだ。

「過去が邪魔をする気か」

「その吐いた言葉を呑むな」

「……ええ……」

 忠勝が忠佐に向かってしまったと言わんばかりに口を押さえると、家康は深くため息を吐いた。

「しかし伊達政宗はまだ二十四歳でしょう、そんな過去の存在に惑わされる必要がありますか」

「石川五右衛門はまだ三十三歳だそうです、まあ自称ですが」

「三十三歳だと、それなら小谷落城の時はまだ十六ではないか。そんな時まで忍びの技を身に付けられたとでも言うのか」

「ですから自称だと」

「そうですか、自称ですか」

「平八郎!おぬしはいつから北条の家臣になった!」

 

 家康は自分の失言に構わず正信に喰ってかかろうとする忠勝にまた怒鳴って見せるが、その度に正信に対する溝の深さが見えて嫌になって来る。

(確かに秩序立っていると言えば体裁はいいが、ある意味閉鎖的とも言える。このまま家臣たちの内紛で崩れる事となればそれこそ末代までの物笑いの種だ……)

 本多正信はかつて家康が独立してすぐの三河一向一揆に関わり、その罪により追放と言うか放逐された。それから十年近く各地を巡り加賀の一向一揆にも加わったり松永久秀の客将になったりし、姉川の戦いの頃に徳川家に復帰を許された。

 いわゆる帰り新参と言う一度刃向かった存在は元から居心地の良い物ではなく、さらに言えば正信には軍才もなかった。事実上の初陣となった姉川では復帰の口利きをしてくれた大久保忠世のために張り切りすぎて軍を猪突させ逆に救援されると言う始末であり、それも本多忠勝以下若い武闘派の人間たちからも冷淡視されるきっかけとなってしまった。


 そして—————。




「抜け忍……め……」




 本来ならばこの彼らを抑えるはずだった存在もまた、いら立ちを露わにしていた。


「半蔵…」

「失敬。されど石川五右衛門と言えば忍びの世界でもっとも許されまじき行いをした輩。いずれその首を刎ねる事こそ我が身の希望…」



 服部半蔵正成。正信の後ろに控えていた男。



 表向きには旗本頭であるが、それこそ伊賀忍びの棟梁であり忍者だった。時には自ら敵地に潜入して情報を集める事もあり、その際に他家の間者と衝突して刃傷沙汰になった事もある。

「無論個人の事は二の次三の次。されどもし此度その石川五右衛門と対峙する事あれば見事その首を取り大難を排するのみ…」

 言葉こそ抑えているが怒りは隠しようがなく、小男の正信の背丈がその怒りで五割増しになったように見える。


「落ち着け半蔵、殿は詰まる所その石川五右衛門が伊達政宗を操り、さらに北条をも駆り出して関白殿下と戦おうとしていると?」

「可能性はあろう」

「しかしどうしても気になるのです、風魔小太郎の事が」

「風魔は当てになりませぬ」


 話をまとめようとした上で風魔の名を出した忠次に対し、半蔵は冷たく吐き捨てる。


「風魔は五右衛門と組まぬと言うのか?」

「風魔と氏康は良き主従だったが氏政になってからは徐々に乖離しております。来年で氏康が身罷って二十年になると言うのに城内からも氏康を懐かしむ声はまるで消えませぬ。それで氏直を称える声も微小でしかございません」

 風魔小太郎と言う名前は半蔵と言う名前と同じく代々受け継がれるそれだが、それでも個々人の人格や才能の差はどうしても生じる。今及び先代の小太郎が氏康と良い主従関係であったとしても氏政や氏直とは良い関係ではないかもしれないと言うのは十分あり得る構図である。

「半蔵…」

「風魔は北条を守るために五右衛門と組むかもしれぬし、組まぬかもしれぬと言う事です。少なくとも拙者はそう考えております」

「そういう場合は組んでいると考えておくべきだ。最悪より良ければ楽なのだからな。

 とにかく我々は街道沿いに進み伊達軍を迎え撃つ。半蔵、敵軍の前進の程度を見極めてくれ。どうか頼むぞ」

 

 家康は同い年の部下が珍しく激昂しているのを感じ取りながら、忠次の話を引き取る格好で決着を付けた。

「御意」

 その言葉と共に半蔵は消え、諸将は立ち上がる。


 その後先鋒に酒井忠次、次鋒に大久保忠世・忠隣親子、三番手に本多忠勝と井伊直政が置かれ、殿に家康と大久保忠佐・榊原康政と言う隊形で進軍する事が決まった。



「とりあえずは玉縄ですか」

「そうだ。玉縄を包囲し、そこを敵に突かせたい。そうして伊達軍を討ち、援軍が当てにならないと判断し士気の落ちた玉縄城と氏照を叩く」

「頼朝公に会いたいのですか」

「否定はせんよ」


 玉縄城の先には、鎌倉がある。鎌倉は武士にとって初めて自らの手で都とした歴史ある町であり、そこに特別な思いをいだく武士は少なくない。

 ましてや新田源氏の末裔を名乗る家康にとってはなおさらである。一応新田と言う鎌倉幕府を滅ぼした姓なのは微妙ではあるが、それでも承久の乱以降百年以上源氏から簒奪した政権を握り込んでいた北条氏を倒したと言う言い訳ぐらいはできるつもりだった。


(武士に戦いを挑むと言うのならば、武士としてやってやろうではないか…石川五右衛門め!)


 家康は、自分なりに五右衛門に対して敵愾心を抱きながら戦意を燃やしていた。

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