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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第三章 小田原は落とさせない!
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豊臣秀吉の衝撃

「三成が逝ったじゃと!?」



 小田原城を囲まんとしていた関白・豊臣秀吉は、寵臣の討ち死にに顔色を失っていた。


「どれほど負けたと言うんじゃ!」

「数的被害はおよそ二千、しかし伊達政宗が布告した数字のため正確な数は…」

「伊達か!伊達政宗が北条に付いたのか!」

 秀吉は頭を抱えたくなった。確かに伊達政宗は未だ自分に服属していないが、下野を北条からかっぱらった時点でもう敵味方でしかないと思っていた。さらに上杉や最上などには伊達の足を引っ張るように命令しており、政宗に動く力などないと思っていた。

「政宗め…!本拠地も顧みずわしに戦いを挑むか!」

「北条は元気づくでしょうな」

「言われんでもわかっておるわ官兵衛!」


 側で座っていた黒田官兵衛の言葉に顔を赤くして扇子を地に叩き付けた秀吉だったが、扇子は秀吉の膂力の程度を示すかのように軽く転がるだけだった、


「官兵衛、伊達はどれぐらいの数で来たんじゃ!」

「一万と号しておりますが実際には八千と言った所でしょう」

「まあ一万と考えておくとするが、それがどうして感づかれなかったのか!」

「北条が思った以上に伊達に縋っていたか、さもなければこっちの間者がやられていたか」

「風魔忍びとはそんなに恐ろしいのか!」

「……かもしれませぬな」

 風魔—————。どうしても出てしまうその単語。三成だけでなく、秀吉にしても北条の陰の部分を担うには風魔であると思い込んでいた。いや、黒田官兵衛をしてどうしてもその名前が出て来てしまう。忍びとして著名であるがゆえにと言う矛盾した現実を前にして、秀吉や官兵衛でさえもどうにもならなかった。


「しかしこうなると伊達は調子に乗って小田原まで来てしまいかねぬぞ」

「誰かに抑えてもらわねばなりますまい」

「徳川殿か、三左衛門か……」

「前田殿は刎頚の友なのでしょう」

「そうだな」

 

 それでも秀吉は冷酷非情な戦国乱世を勝ち抜いて来た男だった。

 誰かに政宗対策を任せると決めた以上、選択肢は二つしかない事にすぐ気づき、その上で官兵衛に話を振って見せる事が出来る程度には狡猾だった。







「わしに小田原の東を守れと」

「そうじゃ。そなたの力を貸してもらいたい」


 そしてその事を前田家の陣にわざわざ赴いて伝えに行く程度には秀吉は人たらしだった。


「もう知っておるかとは思うが、奥州の伊達政宗が北条と正式に手を組み忍城にて石田三成を斬りおった。その勢いを止めねばならぬ」

「そうですか、しかし上杉はまだ来ていないのですか」

「わしも気になって調べたのじゃが、どうも越後や上野で妙な事が起きていて軍を思い通りに進められぬと」

「こんな事を言うのも何ですが、関東の領国は上杉に分け与えると言う約定を取り付けたのですか」

「まったく、そなたもずいぶんと女房に似たのう」

 利家も親友の気安さからずいぶんな物言いをして来る。その物言いに秀吉は利家より利家の妻のまつを感じ、同時におねをも感じていた。秀吉と利家と言う国家最上層の二人が共に恐妻家である事はほぼ公然の秘密であり、同時に人気を上げる要素でもあった。

「正直北条亡き後の関東についてはいろいろと迷っておる。上杉家に与えるのも確かにありだが、あまり集中させると他の家から不満も出る。関八州ともなるとその代わりのように越後佐渡は上杉の手からこぼさねばならなくなる。おそらく上杉の将は越後を離れる事を嫌がるじゃろう」

「そうですな。上杉は関東管領とか以前に南北朝時代から続く守護代の長尾家です。もちろん越後の新領主が召し抱えると言うのは真っ当な線ですが、それで収まる物かどうか…」

「ああ、もちろん伊達の事もある。ここまでやられた以上すぐさま頭を下げに来たとしても何らかの処分を下さんわけにはいかん」

 領国を切り分けるのは、天下人にとって大事な職務だった。これから北条と伊達を滅ぼすとなると、伊豆・相模・武蔵・下総・上総五カ国に加え上野、さらに下野を含む伊達領の新たな領主を決めねばならなくなる。

 そして近いからと言う事で上杉や徳川を当てはめて解決とか言う甘い話はない。単純に戦場と言う名の仕事場において功績を立てた人間に対しての褒章を与えねばならないし、あまりにも肥大すれば領国運営が破綻するか豊臣家そのものの権力を脅かしてしまうかのどちらかになりかねないからだ。


「とにかくだ。とりあえずは小田原を包囲し、そして落とさねばならぬと」

「わしはこの後徳川殿の陣へと向かう。大変心苦しい役目だがどうか請け負ってもらわねばならぬからな」

「徳川勢はよく攻めている。相模の西半分に葵紋の旗を立てそうなほどにな」

「そうか、それは重畳じゃな。ああそれから、この二人を預かってくれ」

「市松に虎之助か」


 二十年前の名前で呼ばれた三十路男たちは適当に顔を赤くしながらうなずいて見せる。

「二人ともよく前田殿の言う事を聞くんじゃぞ、ではわしは行くからな」

 相変わらず腰の軽い主人に置き去りにされた二人は所在なげに顔を上げ、二人して利家に手を握られた。


「憎いか?」

「そのような…」

「戦場で見事に散った男がか?」


 そしてそのまま思いもよらぬ人間の事を言われた正則の目が、一挙に見開いた。



「三成ですか?」

「ああ、そうだ。最後の最後まで立派に戦い抜いて死んだ男だ。そんな男に負けたいのか?」

「そんな!」

「だったら命を大事にする事だ。あの世でたっぷり自慢してやるといい」


 市松とか佐吉とか言う呼び名を知っている利家からしても、正則と三成には決定的な溝があった。だから言う事を聞かせるに当たり三成に勝つ事が大事だと思い込ませる辺り、利家もなかなか狡猾な人たらしだった。

 そして正則が落ちてしまえば清正は簡単であり、正則を追いかけるように頭を下げた。


「良かった良かった。これで関白殿下も喜ぶであろう。そう言う訳でそなたらの…」

「叔父貴、何やってるんだ!」


 

 利家も一仕事を終えたと安堵していた所に割り込む、全く遠慮のない声。



「あー関白殿下も参ってたのか、ちょっと挨拶すれば良かったかなー」

「慶次!お前は相変わらずもう…!」

「なんだよ固いな、俺と叔父貴と関白様が何やってたのか、忘れちまうほどボケちまったのか」



 前田慶次郎利益。天下の傾奇者と名高き男。その存在に優等生な清正はおろか、血の気の多い正則でさえも毒気を抜かれていた。何せ大男のはずの利家から見ても大柄であり、秀吉と比べると下手すれば倍近くあった。しかも今は仮にも戦場だと言うのに、楠の模様が入っている女物の小袖を着ていた。


「北条を討つのは楠だって決まってるだろ。それとも一つ引の方が良かったか」

 慶次郎は適当に理屈を述べるが、利家は渋面を崩そうとしない。

「お前はいい加減年をわきまえ」

「まったく、あの叔母上にすっかりしつけられちまったのかね。ついでに寒い北陸で銭貯める快楽にはまっちまったのかなって。上方の事も詳しくないんだろ」

「上方に詳しい事に何の意味がある」

「上方を騒がす奴の事も知らねえのか、ったく世間の狭いこったな。俺を呼び戻してああだこうだと聞きもせずに監視なんかさせて、本当に気の小さいこったね」


 この小田原遠征に際し利家は京で浪人していた慶次郎を強引に連れ戻し、戦力も兼ねて監視させていた。もちろんまつからは小心と笑われたが、それでも利家にとっては甥の慶次郎の傾奇ぶりがいい加減恥ずかしかった。そして小田原にて「生まれ変わった」前田慶次郎の姿を見せてやる予定だったのにこのざまだったから、利家の胃は痛み出していた。


「いや本当に済まない、何とお詫びを申し上げていいか…」

「叔父貴、ちょっと秀吉に伝言を頼みたいんだが」

「お前は黙ってろ!頼むから、わしの身が惜しいならば黙っていてくれ、頼むから…………」


 利家は慶次郎の口を必死にふさぎ、何度も正則と清正に頭を下げた。


 その姿にかつての傾奇者の影はなく、ただ三十路男に首を傾げられる五十三歳の男がいるだけだった。

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