「三十年の盗み」
元和六(1620)年。
太宰府にて、一万ほどの兵を引き連れた二人の男が馬上に並んでいた。
「よくもまあ、ここまで真に受けた物だなと笑っているかもしれん」
「真っ正直なサムライ様の事を笑っているのでしょうか」
芦名武相大納言政宗、伊達奥州中納言政道。
二人の兄弟は既に五十四歳と四十四歳になり、顔にも年輪が刻まれている。
「母上は未だに健在です」
「まったく、人をどうしても親不孝にしたいのだな……わし自身命など今更惜しむつもりもないのに、もう文字通りの爺なのだがな……」
そして政宗と政道の母義姫はなんと齢七十四にして未だに髪を切らず、健在である。
さすがに最近は目も悪くなっていたが、それでもまだ衰えは少ない。もう政宗と愛姫の子の秀宗には男児が二名いると言うのに、だ。ちなみに政道にも甲斐姫との間に跡目の男児、と言うか事実上の当主がおり、その当主もまたまだ娘だけだが子を持つ親となっている。
「あれからまあ、多くの人間が死んだ物だ。当たり前だがな」
「平穏とは次の戦への準備であるとはよく言った物です」
「先の関白ぐらいは生きていると思っていたがな……」
三十年と言う月日の間に、多くの命が失われた。
豊臣家でいえば秀長、棄丸のみならず大政所ことなかや秀吉は無論秀長の子秀保、さらに秀次までこの世を去った。
秀次については本人の病と言うより、もう一人の死が大きすぎた。
豊臣秀康—————徳川家康の実子にして豊臣秀吉の養子と言う最大限の存在でありそれ相応に才覚を見せていたはずの人間が十四年前にわずか三十四歳で死んだ時には、政宗でさえもため息をつかざるを得なかった。
それでも最期に次期関白を棄丸の死後二年後に生まれた秀吉の子であるお拾改め秀頼に譲り受けさせるよう遺言した事を聞いた時には改めて凄みを感じ、その分だけ惜しくもなった。
だが一方でその秀康の存在に隠れ続けた秀次は秀吉の親族としての自信を失い、食欲不振に陥り関白はおろか重職に就くだけの意欲を失って行った。自分の後ろ盾になると思っていた秀吉の権勢が小田原以降しぼんだ事と相まって、秀次はどんどん縮こまる事しかできなくなった。
それでも秀吉や秀康には忠実、と言うかお追従に熱心であったが、秀康が病に倒れると自分がやったと言われるかもしれぬと言う疑心暗鬼に取り付かれ、秀康の死から一日もしない内に追い腹と言う形でこの世から消えた。子も多数いたが秀次が無気力状態になると共に権威も失せ、現在ではその長子が秀吉の故地である長浜にて小さくなっているに過ぎない。
今の豊臣家—————天下人の家は二十九歳の秀頼が関白を務め、二代目北政所を名乗った茶々が秀頼の後継である十四歳の国松の養育を行い、さらにおねも二代目大政所として秀康の遺児である秀直(松平忠直)とその子の後見となっている。
そして諸大名で言えば、徳川は家康本人に加え筆頭家老となった榊原康政も既にこの世を去り上野に入った酒井家次も隠居状態で、今の当主は家康の孫の家光と松平忠吉の子酒井吉次と、主力は彼らの子・孫世代たちである。ただこの家光はかなりの人物で、政宗もその姿を見た際には年甲斐もなく感動しておりもし時が違えば天下人としてこの国に太平をもたらせると思わせるには十分だった。
また諸侯では豊臣の親族だった加藤清正は既に亡く、福島正則は隠居。その他小田原に関わった存在はそのほとんどが身罷るか身を引き、残っているのは政宗と政道、あとは政宗と同い年の立花宗茂、真田信繁ぐらいしかいない。
「しかしよくもまあ三十年も耐えられたものですね」
「全ては、あの男よ」
そして、ある意味全てを手にした男。
この国の全てを、盗み取った男。
「延々三十年に渡り、適当に混乱を起こしていたとは」
「サムライ様にはならんと言いながら、サムライ様のために働いていたとはな」
「単にやりたいだけでしょう、その男が」
「そうだな……」
—————石川五右衛門—————。
「ついに身罷ったと聞きましたが」
「ああ、まるで猫のように消えおった。最後には自分の死に様すら盗みおってな」
—————石川五右衛門の死体は、未だに見つかっていない。
四年前、自称六十歳になったのを最後に急に姿を消した。
全く誰に告げる事もなく、何も盗み去る事もなく。
「豊臣家に逆らおうと、いや軽挙妄動せんとした家に忍び込んでは何かを盗み去り—————」
「その対象は豊臣家さえにも及んでおりました、この三十年間。伊達にも」
「…………蘆名にさえもな。三十年前を始めとして、最低でも四回はやられている」
北は伊達、いや津軽から南は島津まで、何かが起こるたびに盗人が現われては武士の蔵を荒らした。犯人はたやすく捕まらず、捕まったとしてもすぐに自害する。またその財は大半が貧窮のためにばら撒かれ、取り調べを行ってもひとつとて冤罪にならない話がない。
そしてその盗人たちは百姓たちの家には入らず、逆にそういう所に入っているような野盗や山賊たちは次々と死体になるか武家屋敷に突き出された。そしてそれは伊達や芦名でさえも例外ではなく、三十年の間にいくつの山賊が滅んだかもう数え切れない。
そのため彼らの唯一の目標である武士たちは百姓から得た租税その他を守る事に汲々とせざるを得なくなり、戦闘能力は低下した。もちろん主君の城に入られ盗みを許すという現象も武家にとっては痛手であり、その威信も余計に低下した。九公一民とか謳っていた島津家でさえも、現在では六公四民まで下げられているらしい。
さらに言えば、新たなる関白秀康の政だ。
秀康は百姓の租税をかなり下げ、その代わりに農地の開拓や農作物の品種改良、さらに村の自治を強化させた。最初は豊臣家直轄領や譜代大名の領国でやらせたが、その後数年の間に各地に広がり、現在では各地で米以外の様々な作物が生まれ米もまたさまざまな面で発展している。
「いずれ農民たちが力を持ち武士たちをしのぐかもしれませぬ」
「五右衛門が消えた事はもう知れ渡っているだろう。もう助けはないと見るべきだ、ましてや刀狩も徹底されているからな」
そして政宗自身、五右衛門の「死」を四年かけて言いふらして来たつもりだった。
これまでの全てが、石川五右衛門による盗みだった事。
もはや自分たちの味方だった五右衛門はいない事を。
「風魔はどうなのです」
「何を今さら、十年前に普通に病でこの世を去ったわ。その名を受け継ぐ者も残さぬままにな」
「では……」
「ああ、これで事実上風魔も消えた。伊賀も、風魔も、そして石川も—————」
どんなに世が平穏になろうが、戦乱の種は消えない。不穏な存在がある限り、闇から闇へ動く者たちの存在もなくならない。
だが、闇がやがて晴れ切れば、彼ら忍びは真っ先に消えて行く。
そして。
「よくぞ集まってくれた!」
政宗・政道兄弟を始めとした諸将の前に立つ、一人の男。
その名は、豊臣秀直。
義祖父譲りの明朗な声で、実父譲りの精悍な目つきをした彼の登場と共に、場の空気は一気に引き締まる。
「今の唐国は、先帝の失政により乱れに乱れている。そしてその失政を補う力はもはやなく、朝鮮もまた政争により混乱している。今こそ、太閤殿下の願いを叶える時が来たのだ。
この戦いは、太閤殿下の遺志を継ぎ、この国の武士たちがいかに強きかを示すためにある。皆、この国の民を真に守るために、耶蘇教徒と南蛮人たちにその力を示すために!」
そしてこの三十年の間に、盗賊や戦乱と並んでもう一つ排除された物がある。
それは、耶蘇教だった。
秀吉生存時に出された耶蘇教禁令は不徹底な代物であったが、秀康に代替わりしてすぐかなり強硬になった。三条河原の大粛清以降貿易を認める代わりに布教は絶対的な禁忌とされ、天正十八年の大粛清・その後の国外退去の命令に従わなかった宣教師たちは次々と処刑された。国内の耶蘇教徒は棄教こそ迫られぬも布教は取り締まられ、いわゆるキリシタン大名も潰されるか石高の加増で抱き込まれる代わりに貿易は豊臣家の独占状態にされた。
今では高山右近も、細川ガラシャも天へと帰った。
彼らは強きがゆえに一己の信仰として完結し、外に振りまく事をしなかった。代表者がそんな調子だから日本の耶蘇教信仰は急激にしぼみ、いわゆる天正遣欧少年使節の四人も千々和ミゲルが真っ先に棄教すると伊東マンショ、原マルティノも秀吉在世の間にそれに追従し、ただ一人中浦ジュリアンだけが国外退去の命令を受けて日本を去った。ついでに言えば伊東マンショこと伊東祐益も今は細川ガラシャと同じ場所におり、残る二人も既に五十を越えすっかり豊臣政権に取り込まれている。
「それでは、いよいよである!私も共に戦う!この国のために!」
朝鮮出兵のための船、船、船。
石川五右衛門の消失した四年前から国力を動員して作らせた文字通りの軍船。
太宰府に集った兵たちが次々に吸い込まれて行く。
「どんなに言葉を飾ろうが結局は、な……」
「それは言わぬ約束です。せいぜい黒い星を信じましょう」
唐国に降る黒い星。
その星が全てを食い尽くす今、そう今こそ秀吉の夢を叶える時。
それまでの三十年を見事盗み尽くし、時を持たせた男からの、待望のお土産。
「石川や 浜の真砂が 尽くるとも 世に盗人の 種はつきまじ……」
その一首と共に姿を消した男による、最後にして最高の盗み。
この国のサムライたちすべてを動かす、史上最高の盗みが、今完成しつつあった。
「この話はこれにて完結!」
「まだ登場人物紹介があるけど」
「同じ日じゃねえかよ!」




