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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
最終章 梁上の君子たち
101/105

政宗、ついに服属する

今日は四年に一度の2月29日です。

ああ、太陰暦だと2月30日もあるよな……。

「何だあれは!」




 天正十八年八月十日。




 黄金の十字架が、ついに大坂城にお目見えした。


 秀吉の影響を受けたか派手なシロモノにも慣れていた大坂の民だったが、それでも政宗が持ち込んで来た黄金の十字架には驚いた。


「いささか剥げておりますが…」

「大丈夫だ、まだ使える」


 少しばかり挙動不審な十字架の持ち込み主の家臣にも注目は集まったが、それ以上にその十字架は目を引き、知っているはずの豊臣秀次や福島正則さえも大口を開けて見ていた。


 


 そんな珍客を一刻以上待たせた上で、秀吉は政宗を本丸へと招いた。


「歩くだけでもえらく時間がかかりますな」

「何、これこそがわしの夢でもあり頂点でもある。これよりも堅い城はそうそう作れんよ」

「でもこんな場所を見張るのは大変でしょう。いったい何人の人間がいればいいのか田舎者にはとんと理解できませぬ」

「やれるもんならやってみいと言いたくもなるがな!」


 秀吉も政宗も笑っている。さすがに政宗は武器もなく数人の豊臣軍兵士に囲まれていたが、そんな事などびた一文気にしていないで口舌を振り回す。



 そして招かれた大広間—————玉縄城のそれとは比べるのが不敬な大きさの広間において、政宗はまたため息を吐いた。

 秀吉の傍らには北政所と茶々こと淀殿がおり、淀殿は棄丸を抱えている。

「ずいぶんと可愛らしくございますな」

「何、これでもわしの子じゃからな」

「それがしにはまだ子はおりませぬからな」

「何を言うか、まもなくできるぞ」

「えっ」

 そしてこの場にて、秀吉は二発目の攻撃を放った。

「そなたが送った姫がな、ここ最近明らかに腹が膨らんでおる。いつ頃手を下したのだ」

「えっと、確か下野にいた時です。死出の旅路と思いまして」

「ふっ、するとおよそ七か月前か。あと三月もすれば親父になるぞ」


 政宗自身、愛姫を大坂に送る前から孕んでいるかもしれぬと言われたことはある。だが仮にも男として、蘆名家に婿入りした身として、愛姫の事をあまり考えたくなかった。ちなみに織姫はまだ十であり月の物などなく、もちろん一回もしていない。


「独眼竜も親父になれば少しは人に近づくじゃろう」

「そうかもしれませぬ。もう竜としてはそれなり暴れましたから。

 とりあえず弟も含め百万石の安堵、誠にありがたきご処置でございます」

「それなんじゃがな、もう少し増えるかもしれぬ。まあこれは後でするがな」

「では私たちは下がれと言う事ですね」

「すまんがな」


 秀吉はその流れのまま正室と側室を下がらせ、大広間は秀吉と政宗と数名の男だけの空間になった。


「で、政宗よ。どうして言わぬのじゃ」

「何をですか」

「書状を預かっておるんじゃろう」

「ですがこれは、こんな衆人環視の場では……」

「預かるだけ預かっておく、ほれ渡せ」

 政宗は観念したと言うには明るい顔をして取次に書状を渡し、自分は秀吉の手招きに応じて少しばかり前進する。それでも小田原で茶を酌み交わした時と比べればずっと小さな秀吉の姿に、政宗は改めてその存在を認めざるを得なくなった。


「本当はそなたにももう少し配慮してやりたいんじゃがな……」

「十二分に慈悲は受け取ったつもりです」

「そなたの子は十五になったら返すつもりではいる。その方が忠勤を怠らねばな」

「約定を違えなさいますな。何せ殿下と同じですから」

「そうじゃな!まあ、もうよかろう。その方らは下がれ。代わりに秀康を呼んで来い」


 そして秀吉は二人っきりになりたい気持ちを抑えるように、自分の養子を呼び付ける。もちろん護衛役であり、それ以上に残る人間たちを安心させるためだった。

「そんな簡単によろしいのですか」

「できる。ついさっきまで面倒を見ておったからな、今頃は見送りの使者じゃろう」

「まったく、ついていないと言うか何と言うか……」

「その方が黄金の十字架を持って来てくれて感謝しておるぞ」


 政宗が大坂にて一刻以上待たされたのは、二人の男のせいだった。


 その男たちは本来ならば秀吉にとって見慣れた存在でありそれほど問題でもなかったが、その表情はひどく枯れていた。片や五十路、片や還暦とは言えそこまで老けていたかと思わせられるほどには重苦しく、誰も近寄ろうとしないほどだった。しかも政宗一行が千人で来たのに対し、彼ら一行は五十名だった。


「徳川殿がやった事は、最善の手のはずじゃった。それがほんの少しのはずの狂いでここまでなってしまうのだからのう……」

「同情はいたしますがどうすべきかはわかりませぬ」

「実に真面目なお方じゃがな……」




 徳川家康は三増峠での衝突の後、榊原康政と康政により解放された大久保忠世の軍勢により救出された。その際に家康軟禁犯であった平岩親吉も処刑される予定だったが、その前に自害していた。

 事態を知った家康は当然の如く真っ青になり急ぎ兵を整え本多忠勝らを追ったが、その時にはすべてが解決し井伊直政が蘆名家家臣前田慶次郎から謀叛人たちの顛末を聞かされていた。自爆した服部半蔵正成の遺体はもちろんなく、滑落した大久保彦左衛門の死体も今まで見つかっていない。結局服部半蔵正成による家康の意志を最大限に踏みにじった遠征で得られたものは、息子の服部半蔵正就と本多忠勝の首級、わずかな兵だけだった。


 この一件に際し、徳川家康の責任がどれだけあるのかなど全く分からない。分かるのは、本多忠勝と服部正成とその仲間が半蔵処刑の命を持ち込んだ本多正信とその家族郎党を殺害し、家康を強引に幽閉し無許可で出兵したと言う事実だけである。とは言え監督不行き届きの烙印を免れないのも、また事実だった。

 ひたすらに平身低頭してばかりの家康と大久保忠世を当然秀吉は許したが、それでもそれなりの処分を与えねばならない。


 結果として徳川家に与えられる予定だった信濃の領国は全て召し上げられ、さらに甲斐をも取り上げられた。



 だが上野だけは、残された。



「焼け太りと言うのも不謹慎じゃがな……これで少しは上杉の不満も晴れようぞ……」

「運命とは奇妙な物ですね」


 徳川から召し上げられた甲斐に入るのは、安田信清だった。


 武田信玄の七男であり、れっきとした武田の直系である。


 だが武田勝頼が織田信長に滅ぼされた際に信清は上杉家へと逃げ込んでおり、平たく言えば上杉の家臣である。


 結果的に、上杉は景勝の養子を送り込む事となった北条に加え武田を支配下にしたも同然と言う事になる。


 さらに上野の一部も上杉家に割譲され、甲州や小田原も含めれば全体で四十万石近く上杉は加増されたとも言える。これはなかなか勿怪の幸いとでも言うべきそれであり、上杉の不満を解消するには十分だった。


 で、信濃は北信が真田昌幸・南信が浅野長政に分割され、両者とも数万石から二十万石近くにまで膨れ上がった。北政所の実家である浅野はともかく真田がここまで膨れ上がったのはほぼ徳川家に対しての警戒であるのは言うまでもない。ちなみに佐野家は真田の禄を離れ川中島に五万石で独立する事となった。


 とにかく結果的に徳川家は三河・遠江・駿河の三ヵ国七十五万石と上野二十五万石に分割される事となった。上野徳川家の名目的当主は家康四男の松平忠吉だが、いずれ家康の従兄弟である酒井家次の養子となり「酒井家」となるとも言われている。計百万石と言うのはほぼ三河・遠江・駿河及び甲斐の四か国の石高に近いが、それでも数年前から比べるとほぼ信州一国分を失った計算である。


「あの男はここまで運命を狂わして何をしたかったのじゃろうな……」

「武士にすんなり天下を取らせたくなかっただけだと思います」

「それだけでかのう……」

「ええ。それより早くご覧くださいませ」

「ああすまん。じゃがな、これはあまりうかつに開きたくないのじゃ。と言うより一緒に見ねばならぬからのう……」



 既に内容を察している節のある秀吉。



「あの男」が何を寄越したのか、もう全てわかっているかのような調子。



 それをいったい誰と一緒に見るのか、それもまた政宗には予想が付いていた。



 そしてその予想が当たった一方で、もう一つの予想は外れた。


「ただいま参りました」

「来たか秀康」

「ずいぶんとお早いご到着ですな」



 豊臣秀康。

 徳川信康亡き今実質家康の長男であり秀吉の養子でもある人物。



「政宗殿、石川五右衛門は何を寄越して来た?」

「それは関白殿下から…」

「内容は想像が付く。決して朝鮮に行くなとかだろう」

「気が早いぞ」

「ですが父上がその気になっていた事、その気になっていた経緯を私は存じておるつもりです。そしてその事を調べた上で、自分なりに打つ手も考えておりました」

「とにかく見ろ」


 実父に似ず気が早く、義父に似て行動力に富み、どちらの父にも似ていない顔をしている。平たく言えば美青年だ。


 その秀康を隣に座らせた秀吉はようやく五右衛門の書状を開き、目を通す。

 実は政宗さえもその中身を見ておらず、そのため印は曲がっていない。その事に気付いた秀吉がわずかに笑うと、秀康も釣られて笑った。




「三十年待てと申すのか」

「何せ百年以上戦乱を続けた国です。ひとまとまりになるにはそれぐらいかかると言う訳なのでしょう」



 どうしても朝鮮に行きたければ三十年待て——————————。



 その書状の中身はそれだけだった。


「わしは待てるが、他の者が待てるか」

「その方法を考えていない訳でもないでしょう。それがしは知りませんが」

「でもその術によっては力を貸すんじゃろう?」

「貸すも何もありますか、こっちが完全に負けているのに」


 自分自身五右衛門に乗っかったとは言え、考えてみれば損をしているのか得をしているのかさえも分からない。自分が動かなかった結果死ななくてよい人間が死んでしまったのか、死ぬ必要のない存在を死なせずに済んだのか、そもそも伊達家にとってさえ正しい選択だったのかさえわからない。

 蘆名政宗と言う人物が石川五右衛門にできる事はどれほどあるのか、わかりようがなかった。


「その石川五右衛門が三十年待てと言っておりますが、まさか従う気では?」

「もしあんな事がなければ突っ撥ねたじゃろう。じゃがこうなってしまうとな」

「まあその件には賛成です。私も秀次様と共に棄丸様を支えるつもりですから」

「秀次か、あやつは元気か」

「少し疲れているようです。まあ大丈夫でしょうけど」

「とは言え三十年後には五十四じゃからな……」


 そして三十年後には、本当にやる気だった。

 天下人が盗人などのいう事を聞き入れた上で動くなど全くあり得ないはずだったのに。


「じゃが申し述べておけ。石川五右衛門、そなたが生きている限りの約定であるとな」

「伝える事ができるかどうかわかりませぬが」

「じゃろうな。だが風魔小太郎がおるじゃろう。そ奴とも連絡が付かんのか」

「それは付きますが」

「ならば頼むぞ」

 

 この口上は、それこそ秀吉のせめてもの意地だったのかもしれない。

 自分の生涯最後の夢を壊した五右衛門に対しての、せめてもの意地。

 秀吉の顔は、どことなく寂しげだった。



 だがその一方で、秀康の顔はどこか意地が悪そうだった。


「蘆名殿……」

「何でしょうか」

「私には石川五右衛門を出し抜く事ができるかもしれぬ」

「ほう……」

「五右衛門は朝鮮出兵を領国を確保するためと思うているようだがな……」


 それが自分なりの打つ手だと言う事か。


「いったい何をなさるのか気になりますな」

「そうか。ならばもう少し、できれば年が明けるまでは大坂にいてはいかがかな?無論宿は用意するので。父上」

「そんなに話がまとまってるんか」

「証拠が集まりました。父上が三年前の時から調べていた事象に付いての結果がまとまったのです」




 そして秀康の顔はこの時もっと意地悪くなり、それ以上に楽しそうだった。

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