第9話 クオンの加護
「女の勘って、そんなわ···」
「ほう、妾に何か言いたいことがあるのかな。遠慮せんでも、何でも言ってみるがイイ。我らは一蓮托生の運命共同体」
いつの間にか、ディードが手にしているのは鞭。グリップも本体部分も黒一色だが、不思議と暗闇の中でも浮かび上がって見える。輪っか状に纏められた鞭が、本来の姿へと解放されると、意思を持っているかのように宙を舞い始める。
「どうだ、見惚れてしまって何も言葉が出なくなったか?」
「い、いや、何でもない。それが、ディードの武器なん···だよな」
ディード以上に様になるエルフはいないが、衝撃的な光景でしかなく、ボクの背筋には冷たいものが走る。鞭であれば色々な用途があるが、ボクはそれが武器であると信じたい。
「ああ、そうだ。もっと妾のことも、深く知ってもらわんとな。どうだ、妾の得物は! 惚れ惚れするであろう」
ディードは恍惚とした表情を浮かべ、宙を舞う鞭に見入っている。
「どうした、不満か?」
「てっきり精霊魔法だと思ってたから、少し驚いただけだよ」
まさか鞭がお似合いですなんて口が裂けても言えないし、どんな用途で使うんですかとも聞けない。だから、ボクが言えたのは、それとなく別の手段はないのですかという疑問を投げ掛けることだけ。
「森で火の精霊の力は危険でな。何せ、手加減が難しい。一面焼け野原になるかもしれんが、ルクールが見たいと言うのであれば試してやるぞ」
「いやそれは、遠慮しておくよ」
「良く見ておれ、これも中々の一級品よ。さあ、黒龍の鞭。我が主に力を示してみせよ!」
ディードは、腕どころか手首すら動かしておらず、高らかに宣言しただけ。それなのに、宙を軽やかに舞っていた鞭は、急に機敏な動きに変化する。しなり叩き付ける鞭特有の動きではなく、レイピアのように刺突する動きは、先に倒したばかりのバーゲストの頭に襲いかかる。
「バーゲストの頭が、消えてる」
細い鞭の先端が、バーゲストの頭に突き刺さっただけなのに、頭部全てが消えて無くなっている。それだけではなく、地面にはそれよりも一回り大きな穴が空いている。破壊力を見せるためなのか、それとも制御出来ないオーバーキルなだけなのか?判断出来ずに地面の穴から、ディードの顔へと視線を移す。
「どうだ、満足したか。他にも色々出来るぞ、試してみせよう」
ディードの顔は上気し、少し声も上ずって興奮している。森の中を駆けても顔色一つ変えなかったのに、鞭を一度振るっただけで、それ以上に消耗しているようにさえ感じる。
「もしかして、黒竜の鞭は呪われてる?」
「ああ、少しばかりな。安心しろ、妾が使う分には、全く影響はない」
その言葉通りであれば、この艶かしい表情がディードの素の姿である。そうでなければ、しっかりと呪いの影響が出ている。どっちにしても、後々アージさんと問題にしかならない。
「最初は、ボクと精霊達に任せて。対処出来ないところだけを、ディードに頼むよ」
ゴセキの山までは、最低でも3日はかかる。それまでに、少しでもラドルやクオンと連携しなければならないし、ボクがクオンから得た加護を知る必要もある。
「そうか、それなら仕方ない。久しぶりの感触で疼くが、今は我慢するとしようか」
ボクと精霊達の戦い方はシンプルだ。ボクが魔物の居る方向を示し、ラドルが見付けて知らせる。後はボクが近付き、クオンが魔物の動きを止める。クオンの能力の1つの影縛り。影を傷付けられた魔物は、5秒ほど動けなくなる。さらに、ラドルがボクの影を大きく伸ばしてくれるのだから、ボクが接近する必要はなく、止めを刺すだけ。
ハッキリ言ってチートだし、これならばアージさんにも怒られないと思えたが、それは一瞬だけだった。戦えば戦うほどに、お互いの能力が高まっている。
そして、ディードの話が冗談ではなかったと気付かされる。男のボクには、“女の勘”なんて到底理解出来ない。だけど、“勘が研ぎ澄まされる”という部分では意味は分かる。目を閉じ森に意識を集中させれば、どの方向に進めば安全で、どの方向が危険なのか、それはボクの胸騒ぎが教えてくれる。その感覚が、より鮮明になってくる。
これがクオンがボクに与えてくれて加護だと、自信を持って言える。今までに感じたことのない魔物の数。特に、ゴセキの山の方向には、感じたことのない胸騒ぎがする。
「こんなに魔物が多いなんて信じられない」
「そんなに多いか?」
昨日は3体のバーゲストが現れて、しかも1体は上位種だったし、異変が起こる前兆はあった。しかし、まだ1日も経たっていないのに、状況は大きく変わり過ぎている。
「バーゲストの群に見つからずに、ゴセキの山になんて辿り着くなんて不可能だよ」
「では、どうする?村に引き返すか?」
何も考える必要はない! 普通にならば引き返すべきだし、ボクの頭の中でもゴセキの山に近付くなと警鐘が鳴り響いている。しかし、ボクの足は、村へとは動かない。
引き返そうとすれば大きな胸騒ぎが押し寄せ、まともなボクの思考回路を破壊してしまう。
「どうした、ルクール。引き返さないのか?」
「ディードは分かってるんだろ。女の勘ってやつで、ボクが引き返さないことを」
「さあな、妾はリーダーの意志決定に従うまでよ」
「そんな従順じゃないだろ」
ボクがどう足掻いても、ディードの手のひらの上で転がされている気がする。短刀に潜む光の精霊ラドルの存在を見抜いていた。気紛れな影の精霊クオンが、ボクの影を棲みかにすることも見抜いていた。そして、暗闇こそが、光と影の精霊の最も力を発揮する場所。だから、日付が変わるとともに、村を出発した。ボクはディードをジト目で見ることしか出来ない。
「そんな、顔をしてはいけませんの。私はルクール様の、一生お供いてしますわ」
イスイのエルフ族の存亡がかかっている非常時にも関わらず、お嬢様言葉を使って茶化してくる。そのふざけた余裕が、ボクの緊張を緩和してくれてはいる。
「最短でゴセキの山を目指すしかないだろ」
「分かっておるなら良い。さあ、行くぞ」