穴蔵
秋の風が吹き抜けてく。季節は進んだけど、ジェラルドは見つかってない。
「……まだ森に行けないんだよね」
——まったく。
あの元伯爵には呆れる。
そりゃあ、私には自分のせいで、家族が壊れた人の気持ちなんか分からないけど。投げやりになってた時にしがみ付いた希望が、小さなマローだったかもしれないけど……。
溜息混じりに空を仰ぐと、雲が高い。刷毛で引いたような細い雲、その下を鳥が飛んで行く。乾燥した空気は爽やかで、朝の日差しは木々の葉を温める。
世界は綺麗なんだけどな。
自分で立ち止まって見なければ、見えないのかもしれない。
軽い物思いに沈みながら、朝のハーブ畑に立っていると。
「……え?」
畑の土が私の足元へ流れ込み始める。
「ええええ!!」
足首を何かに捕まれ、そのまま土の中へ引っ張られ——。
「きゃああああ!」
私の叫びに気づいた殿下が、窓から飛び降りてくるのが見えたけど、その時にはすでに私の視界は土の中だ。地上に残された私の指を殿下が掴んだのが分かったけど——それも一瞬。
「ああ、やっと捕まえた」
ボンヤリとした薄明かりの中、私を抱きすくめているのは——ジェラルドに似た何かだった。
☆
「離して、離して、離せ!!」
「暴れないで、マロー。君を傷つけたくない」
「なら、離せ!」
私を腕から下ろしたのは、二メートルくらいありそうな巨漢に育ったジェラルドだった。なんか、角生えてるし。
「久しぶり」
蕩けそうな笑みを浮かべた彼は、デッカい手で私の頭を撫でた。
——何が起こった?
「ここまでトンネル掘るの、苦労したよ?」
「トンネルって……ていうか、ジェラルド? 別人? いや……人?」
照れたように笑った彼の目は、蛍光紫に光ってた。
なんか、鱗まで生えてないか。
大きな爪が私の額に触れる。
——あっ。体が動かない。
これはラッチェがたまにやるヤツかな。
彼は私をヒョイと肩に担ぐと、薄暗いトンネルを歩き出す。
「この国ってラッチェが居るだろ? 苦労したんだよ。アレに見つかると厄介だからね。トランス王国でも、アレさえいなきゃ君を置いてかなかったんだけど」
参ったな。
口もきけないみたいだ。
「君と暮らす為にさ、新居を作ったんだよ。気に入ってくれると良いんだけど。ああ、結婚はいつにする? 僕はすぐにでも用意があるんだけど。でも、その前にアレ、殺しとかないといけないか」
ジェラルドは人間離れした顔でニヤッと笑った。薄い唇の間から、尖った牙が覗いてる。私を担いで歩きながら、独り言のように続ける。
「ルーガって言ったよね。横から出てきて、僕のマローを我が物顔で連れ回してた奴。アイツだけは殺しとかないと、また横取りされても腹が立つからね。ガキのくせして、一人前に許嫁だとか笑っちゃうよな」
——コイツ。
殿下を殺すって言った?
くそ。
体が動けば、こんな奴、私が殺すのに。
相打ちになったって息の根を止めてやる。
喋り続けるジェラルドは、少し開けた場所にやってくると私を下ろした。なんの魔法を掛けられたのか、私は瞬きすらできない。目が乾いて、ヒリヒリしてきた。
ボンヤリとしか明るさのない穴蔵。
そこに天蓋付きのベッドだの、ソファーだの、まるで少女趣味な家具が置かれてる。
「ここが君の部屋だよ。気に入ってくれたかな。女の子の趣味って難しくて」
ほぼ化け物のようなジェラルドは、大きな体をくねらせた。
顔が赤黒く染まってるから、照れてるのかもしれない。
私は総レースのカバーが掛けられた椅子に座らされ、いい加減に瞬きくらいさせろって思ってた。
「本当は、こんなの付けたくないんだけど、マローって行動派だからね」
そう言ったジェラルドは、私の両腕、両脚に拘束具を嵌めた。どうでもいいけど、この拘束具、宝石が散りばめられてないか? なんの冗談だよ。
彼はパチンと指を鳴らした。私は、やっと体が動くようになり、大きく深呼吸して瞬きを繰り返す。
「あなた……まだ、人なの?」
そうじゃないなら、普通の攻撃は効かないかもしれない。
とにかく、慎重に状況を把握しないと。
ジェラルドは薄く嗤った。
「よく分からない。あれから、何体も妖魔を食べたからね。どうせ知られてるなら、隠す必要もないし。力が欲しかったからさ。今の僕は強いよ? ラッチェに敵うかどうかは、やってみないと分からないけどね」
下手な発言は控えないと、コイツを殺す前に殺されちゃ意味がないからな。
私が黙ってると、ジェラルドはニヤニヤっと笑みを浮かべる。
「やっと会えた。この部屋に君が来るの、ずっと楽しみにしてたんだ。大人しく待っててね。ラッチェを出し抜いて、あの小僧を殺してくるから」
お前なんかに殿下を殺させない。
そう怒鳴りそうになって、強く唇を噛む。
「……そういう目で見るのやめなよ。君を頭から喰らいたくなる」
目を細めたジェラルドは、トントンと指で土の壁を叩いた。
と、そこから人型の土塊が生じて、のそのそと動き出す。
「まあ、良い子で待っててよ。コイツが君の世話をするからさ。ああ、変な期待はしない方がいいよ。ここ、聖域だからね。ラッチェは——入れない。ふふ。知ってるんだ、僕。アイツの弱点」
楽しそうに嗤ったジェラルドは、一人で笑いながらトンネルの奥へ消えてった。




