悲しみのマーゴ
ラッチェが倒れてから一週間が経った。
彼の別棟へ行くとマーゴが居ると言う不思議。
でも——。
「だから、言ってるでしょ? 僕の部屋とか掃除しなくていいから」
「冗談ではありません。埃だらけで、換気もしてない部屋なんて、最悪の環境です」
「それで問題なく生きて来たんだってば」
「ほぉ? 問題ない? 私は知ってますよ。ラッチェ様の肌に、時々だけど蕁麻疹がでてるの」
「あれは薬品かぶれ」
「作業の邪魔はしてないじゃないですか! 私には私の仕事があるんですから、仕事をさせて下さい!」
マーゴって凄いな。
あのラッチェに気後れもしないで、ポンポンと文句を言ってる。
一緒に来た殿下も、二人の様子に少し戸惑ってた。
「マーゴ。一応な、ラッチェは公爵家の嫡男だぞ?」
あのマーゴが殿下に向かって眉を吊り上げた。
「知ってますよ! だから何だって言うんですか。私はマロー様より自分を蔑ろにしてる人を初めてみました。食事の時間は適当だし、ほっとけばお風呂にも入らないし、睡眠時間はグチャグチャだし。まだ若いから何とかなってるだけで、このまま行ったら、この人の劣化は凄まじいことになります。これだけ容姿が整ってるくせに、何考えてんだよ、マジで勿体無いだろ! 美貌の無駄使いすんな!」
思わず私まで苦笑してしまう。
「マーゴ。言葉遣いが——」
「良いんです! この人、言葉遣いになんか気を止めません。他に気にしてほしい事が山ほどあるし!」
ああ、この人になっちゃってる。
ラッチェはといえば、そんなマーゴに怒るでもなく。
「マーゴ。二人にお茶入れてやったら?」
「!! 大変に失礼しました。ただいま、ご用意致します」
殿下がラッチェの前に座って、少し探るように聞いた。
「大丈夫か、マーゴ」
「ん? 大丈夫じゃない? あの娘、初日からああだよ」
「そうなのか?」
「うん。ベルナンドより手がかかるって怒られた」
「……ええと。お前は大丈夫か?」
「え? 僕? ぜんぜん、大丈夫だけど?」
私も殿下の横に座って、ラッチェの様子を観察する。
顔色も良いし、表情も明るい。
「彼女は口煩いけど、僕の研究の邪魔はしないんだよね。食堂まで行くの面倒って言ったら、ちゃんとご飯も作ってくれるし。けっこう美味しいし。妖魔や精霊にも怯えないでくれるし、書類の整理とか早いしね」
——書類の整理?
それって、マーゴの仕事なのかな。
「出来るもんだから、つい私的な仕事を手伝わせちゃってて。忙しいだろうから、僕の部屋とか掃除しなくていいよって言ったんだけど。逆に怒られた」
ラッチェはニコニコっと笑って、寄って来たオンブロに手を出す。オンブロはフンッと手を避けると、私の膝に飛び乗った。
「なら、ここの使用人はマーゴで問題ないんだな?」
「そうだね。僕は気に入ってるよ」
——へぇー。
殿下がホッとしたように続ける。
「なら良かった。実はお前の側付きで検討してた娘は、男が苦手だって事でさ。マーゴをここの側付きにして、その娘をマローに付けようって話になってるんだ」
ガラガッシャン!
盛大な音を立てて茶器が床に落ちる音が響いた。
入り口でショックに青ざめたマーゴが、呆然と立ってる。
「大丈夫、マーゴ。怪我とかしてない?」
片付けを手伝おうと彼女の側に行ったら、ガシッと抱きつかれてしまった。
「ひどい、ルーガ殿下。私にはマロー様の側付きっていう特等席を保証するって言ったのに!!」
「ああ、よしよし」
殿下が苦い顔して寄ってくる。
「悪いとは思うんだけどな。ラッチェは独特だろ? 前にも使用人を置こうとして、何人も寄越したんだけど、全員が三日もたずに逃げ出したんだよ。一週間も続いてるの、マーゴだけなんだ」
マーゴが私に顔を擦り付けて半泣きになってる。
「私は呼び戻してもらえるって信じてたから——だから——ううっ」
「すまない。けど、頼れるのはマーゴしかいないんだ」
「……でも、なら……」
「なんだよ?」
彼女はクワッと顔を上げると、半泣きの顔で殿下に言った。
「なら! ここに来る時には、マロー様に男装させて下さい!」
「……は? 男装?」
「それで、できるなら、来るたびに私をハグして、マロー様成分を補給させてくれるっていうなら引き受けます!」
殿下が困った顔で私を見る。
——そういや、マーゴは男装の私が好みだったね。
仕方ないな。
ラッチェはマーゴを気に入ってるし、私の側付きに取り立てられるヴィオラちゃんは、成人男性が苦手だし。
私はそっとマーゴの背中に回した手を滑らせ、片手で彼女の顎を持つ。
「マーゴ」
「…マ……マロー様」
「離れるのは寂しいけど、離れた時間こそが、出会った時の時間を濃密に感じさせてくれるんだよ?」
「………はい」
マーゴの目がうるると潤んで、頬に軽い朱が差す。
うん。押せば落ちるね。
「ラッチェの世話を頼んでいいかな?」
「でも……あの…」
背中から腰に回した手に力を入れて、自分の方へ引き寄せる。
少しだけ背の低いマーゴを覗き込むように首を傾げる。
顎を掴んだ手をそのまま頬へ持ってって。
——で、眉を寄せて困った顔して、耳元に囁く。
「マーゴにしか頼めないんだ」
えっと、マーゴに借りた恋愛小説だと、こんな感じで女性を落とすんだけどね。
合ってるかな?
ボッと音を立てて赤くなったマーゴが、ぼんやりした顔で私を見つめてる。
ああ、合ってたみたい。
「頼んでいいかな」
「……はい。マロー様のお願いなら」
殿下が片手で顔を覆って溜息をつく。
「マロー。お前……垂らし込むなよ」
「失礼だな。どこの女性にでも、こんな事はしないよ。マーゴだからだ」
「あっ、あう! マロー様。一生ついてきます」
「ありがと、マーゴ」
ラッチェがニコニコしながら。
「ルーガ。茶器の代金は君につけとくからね」
「ええ、俺か?」
「前振りも無しに話すから、茶器がこうなったんでしょ?」
「……分かったよ」
——その日、マーゴは私から離れなかった。
まあ、それでストレスが緩和するなら別に良いけど。
いいね、ありがとう(^ ^)




