王太子とダンス
ルーガ王子は私を見て、少し目を瞬かせた。
「お待たせしました王太子様。さすがのお見立てですわ。美しいドレスに仕上がっております。マローが貴婦人に見えますもの」
女官長が嬉しそうに顎を震わせると、王子は小さく頷く。
「ん……まぁ。いいんじゃない?」
鬼の女官長様が見ているわけで、私は無言でスカート部分を持って淑女の挨拶をする。
「では、レッスンを始めましょう。時間がなかったので、マローにはワルツのみを叩き込みました。他のダンスは難しいとご理解下さいまし。では、曲を流しますので、ホールドをお願いします」
殿下が少し困った顔で私に手を差し出す。華奢で綺麗なルーガ殿下は、動きも品がある。生まれながらの王族は違うよね。私の腰に手を回し、もう一方の手を重ねる。
背が伸びたと言っても、まだ私の方が背は高いし、今日はヒールのあるダンスシューズだ。私は目線を下げて、王子と目を合わせる。少年特有の細い背中に手を回すと、思わず保護欲が湧いてくるから不思議だな。
少し伸びた前髪が、綺麗な目にかかってるのが気になる。
目が悪くなっちゃうよな。切りたいなぁ。
曲が流れ出して、王子がステップを踏み出す。
さすが、華麗なステップだ。
対する私は必死。
足を踏まないように、動きに遅れないように——。
そのうちに、ルーガ王子が、すごく小さな声で文句を言った。
「それ、胸元が開きすぎだろ」
「殿下の好みでしょ?」
「バカ言え」
「だって、ドレスを見立てたの殿下だって聞きました」
「俺は色しか指定してない」
チラチラと胸元ばっかり見るから、思わず口に出してしまった。
「なに? 胸が気になるの?」
「ち、ちが」
王子がカッと顔を赤く染めて目を伏せる。
「痛いっ。殿下、足踏んだ」
「お、お前が——」
「もう。ちゃんと私の目を見てよ」
「——煩いな」
パンパンと女官長様が手を叩く。
「気が散ってますよ! 集中!」
少し赤くなって、拗ねたように唇を噛んだ王子は、小さく深呼吸した。
それから私を真っ直ぐに見る。
ダンスの基本はお互いの視線を合わせること。手や足の動きもそうだけど、目の動きでもステップをシンクロさせてく。お陰で曲の後半はステップに集中することができた。
——次の日、ドレスの胸ぐりにレースが増えてて、胸元や肩が剥き出しにならないように、作り変えられてたのには少し呆れた。気に入らなかったんだね。
☆
誕生日パーティーというのは、王宮の大広間で行われるという。
私は大広間に入るのは初めてだ。
王太子付きのお守りなもんで、彼の行動範囲しか移動したことがない。王宮がどうなってるのか、今ひとつわかってないんだよね。お城って広いし。
大広間というだけあって、すごく広い。そして、派手だ。
天井には創世の神話が描かれ、シャンデリアが幾つも下がってる。夜だというのに、まあ、明るいこと。目がチカチカしてくる。幾つものテーブルにオードブルと飲み物、壁には椅子やソファー、中央は大きく開けてて奥に向かって数段の階段が設えられてる。
その階段の上に陛下と妃殿下、王太子殿下の椅子が用意されてる。私は階段下に控えて、殿下の様子が見える位置に立たせてもらえた。階段を挟んで楽団の人達が並んでて、ちょっと壮観。着飾った男女がひしめいてて、なんだか息苦しい。
「今宵は我が息子、ルーガの為に集まって頂き、感謝に絶えない。ルーガは今年で無事に十二歳になった。飲んで、踊って、我が息子の誕生日を祝って頂きたいと思う」
国王様が立ち上がって挨拶すると、拍手が起こって楽団の人たちが音楽を奏で始める。王族の方々が階段を降りてくると、人が集まって、口々にお祝いの言葉を述べていく。そのまま、中央に出てダンスを始めるカップルも多い。
——なんか、もう、目まぐるしい。
私はルーガ王子を見失わないように、少し離れて彼の後ろについていたけど。おおかたの挨拶が終わった頃、両陛下が中央へ出てダンスを踊り始めた。仲睦まじいなと目線を切ったら、殿下を見失なってしまった。
——うわっ。ちょっと目を離しただけなのに。
慌てた私の腕を、ラベナが軽く引く。
「こっちだよ」
殿下の後ろに引いて行ってくれた。
ラベナってば、使えるじゃない。
「ありがと、こう人が多いと目が回っちゃって」
「こういうの慣れてないんだっけ?」
「私は小さな村で育ったの。人より野生動物の方が多いような場所だもん」
「なるほどね。マローは野生動物よりだもんな」
「どういう意味かしらね?」
笑うラベナを見ると、近衛兵の服を着ていなかった。
「あれ? ラベナもお嫁さん探しの口なの?」
「違うよ」
「でも、制服じゃない」
「目立つ護衛と目立たない護衛がいるわけ。俺は目立たない方ね」
「へぇ」
淡い灰色の夜会服で、サッシュベルトは光沢のある青を使ってる。
ラベナの瞳も青いから、彼にとても似合っていた。
「格好いいじゃない」
「ほんと? マローに褒められると変な感じだな」
「貴族に見える」
彼は焦げ茶の髪を揺らして、面白そうに笑う。
「これでも貴族だよ。僕は、ジェミニ伯爵家の次男だし」
「……嘘」
「嘘は酷いな。じゃなかったら、殿下の近衛兵になんかなってないよ」
「私と同じで、薬師の魔法使いなんだと思ってた」
「それも仕事だけどね。ほら、嫡男じゃないからさ。仕事は持っとかないと」
ラベナと話してる間に、殿下の側には小さな貴婦人が寄って挨拶してた。
クルクル巻き毛の金髪が愛らしい女の子だ。
「可愛い娘だね」
「ああ、バッサム大公のお嬢さんだね。ローズ嬢だよ。今、十歳かな? 殿下の許嫁候補」
「へぇ、さすが王太子殿下。すでに許嫁がいるのね」
「候補だよ。彼女の他にも隣国の第三王女でエメラルダって姫も候補に上がってるし」
「はは、王太子は大変だね」
そんな話をしてたら、殿下が私を振り返って手招きした。
私を見てラベナが軽く苦笑する。
「呼んでるね」
「なんだろ。行ってくるね」
慌てて殿下の近くに寄った。
具合でも悪いのかな。
「どうかされましたか?」
「どうもしないけど」
なぜか手を差し伸べられた。
「はい?」
「踊る」
「え?」
「ワルツが流れてるし」
「私とですか?」
「その為に練習につきあったんだからな」
「でも、ほら、許嫁のお嬢さんとかの方が」
私がローラ嬢に視線をやると、王子は少し不機嫌そうに私を見た。
「許嫁じゃない。候補なだけだ」
「ええ? でも……」
「ほら、曲が終わっちゃうだろ。嫌なのか?」
「そうじゃないです……では」
私が彼の手に手を乗せると、軽く掴んで引っ張っり、その場でホールドした。
ステップを踏みながら中央へ出て行く。
「で、殿下。あまり真ん中は気がひける」
「我慢しろよな。俺が踊ってるのを、人に見せるのが目的なんだから」
——ああ。
この催しは殿下の為だもんね。
「……あれ、ねぇ」
「なんだよ」
「殿下、熱があるんじゃない?」
「ないよ」
私をリードして、普通にダンスを踊ってるけど。
掴んだ手が少し熱いし、頬も少し上気して見えるなぁ。
——王太子殿下が踊られるのは珍しいわね。
——あのお嬢さんはどなた?
——大魔女リリサの孫娘ですって。
——へぇ。あの大魔女の。
ヒソヒソと囁く声が耳に入ってくる。
なんか、居心地悪いなぁ。
「マロー。俺を見ろよ。ステップが遅れてる」
「あ、すみません」
そういえば、今日の王太子は黒髪をキチンと撫で付けてる。
衣装も光沢のある白で、銀糸の刺繍が豪華な夜会服を着てて、小さな紳士という感じね。
なんだか微笑ましいな。
私が軽く笑うと、彼は少し眉根を寄せた。
「なんだよ」
「いえ。今日の殿下は格好いいなって」
「……そうかよ」
彼は少し拗ねたように言って、ふいっと目を逸らした。
やっぱり熱があるんじゃないかな。
顔が少し赤い気がするんだけど。