無謀なラッチェ
昨日と同じエピーソードなので、早めにあげます。
助かったのは、ベッドが二階ではなく一階にあったこと。オンブロに案内されたのは、一階の奥の部屋だった。その部屋はラッチェの私室らしく、ソファーと椅子に机、投げ出された着替えや、本に靴、まあ、普通に男性の部屋だなって感じだった。
ベッドメーキングもされてないベッドに、なんとかラッチェを運んで、靴を脱がせて横に寝かせる。シャツブラウスにグレーのズボンを履いた姿だったから、着替えは必要ないだろう。苦しくないように、襟のボタンだけ外す。
「……見てて、オンブロ。私は薬を取ってくるから」
枕元に座ったオンブロの赤い目がラッチェを見下ろす。私は研究室に戻って調薬済みの解熱剤を手にしてから、机の上に倒れてるグラスを見つけた。
……倒れたグラスから、見た事ない色の液体が溢れて机に広がってる。
「あの人、何を飲んだのよ」
触れるのは危ないから、少しだけ匂いを嗅いだけど無臭だ。
これと言った特徴は掴めない。
——解毒するのが正解かな。
とにかく、変なものを飲んだに違いない。
これだから、研究者って困る。
私は水差しとグラスを持って、ラッチェの私室に戻った。オンブロがジッと彼を見下ろしてる。相変わらず意識は戻ってないみたい。私は彼の額に手を触れて、浄化魔法を発動した。
肌に浮かんでいた紫の斑点は消えてくれたけど、熱は完全に下がってくれない。大きな魔力を使ったからクラクラするし。それでも、ラッチェの状態は少し改善したように見えた。
彼の首に腕を回して、水に溶いた解熱剤を飲ませようとしたんだけど——。
「ラッチェ。ラッチェ! 薬飲んで」
口を開いてくれないから、みんな唇の端から流れてしまう。
——仕方ないなぁ。
私はもう一度研究室の方へ戻って、綿を持って来て解熱剤を含ませ、指でラッチェの唇をこじ開ける。唇が開いた所に綿に含ませた解熱剤を絞り込む。
ラッチェが薄く目を開いて私を見た。
目が潤んでるなぁ。
熱があるからね。
「解熱剤だから飲んで」
私が聞こえやすいように耳元で言うと、彼は薬をコクっと飲み込んでから目を閉じた。
ベッドに寝かせ直して、少し力が抜ける。
——効いてくれるといいんだけどな。
☆
私は彼の額を冷やしながら、ベッドの横に椅子を置いて様子を見てた。
もうすぐ昼という頃になって、やっとラッチェは目を覚ました。
危ない状態じゃないと判断はしてたけど、なんだかホッとする。
「……マロー」
淡い金色の目が不思議そうに私を見る。
首筋に手をやって熱を測ったけど、まだ微熱があるようだ。
肌が少し汗ばんでる。
「ラッチェ、水を飲む?」
「…飲む」
額の手ぬぐいを退けて、起き上がるのを助けたんだけど、なんだか弱々しいな。枕の位置を変えて、彼の背中に差し込み上半身をもたせかける。
「何を飲んだの? 倒れてるからビックリしたじゃない」
「……ああ。僕は倒れてたのか」
「オンブロも心配してたんだからね」
珍しくラッチェの側を離れなかったオンブロに、彼は手を差し出して微笑む。
「ごめんな」
小さな舌を出してラッチェの手を舐めたオンブロは、彼の状態が安定したと判断したらしく、ベッドを飛び降りて部屋を出て行ってしまった。
渡したグラスを掴む手がぎこちなくて、不安になった私は彼の手に自分の手を添えて水を飲ませた。ラッチェは水を飲み終わると、軽く息をつく。
「この間、森に行った時、弱った妖魔の一匹が《ドラゴンの葡萄》を食べてて、薬になるのかなって」
「!! ラッチェ、《ドラゴンの葡萄》って、猛毒じゃない!」
「んー。分量の問題だと思うよ」
何をのほほんと——。
「あのね。妖魔と人間は体の作りが違うでしょ? 個体によっても解毒できる力は違うんだよ。自分で飲むなんて、何やってんのよ」
「……他に試す方法がなかったから」
「だからって、自分を実験台にしないで!」
「怒らないでよ」
「怒るでしょ! あのまま誰も気づかなかったら、毒回って死んでたかもしれないでしょうーが! だいたい、ラッチェは変過ぎる。家に使用人の一人も居ないなんて、貴方は貴族の嫡男でしょう!」
ラッチェは不思議そうに目を細めて、私の手を掴んだ。
「……心配してるの? 僕を?」
「当たり前じゃない」
彼は何度も瞬きを繰り返すと、私の手を引いて抱きしめた。
「ちょ、離して、ラッチェ」
「嫌だ」
「離してって!」
「……今だけだから」
まだ熱の残る体は、突き飛ばせば軽く離れそうだったんだけど。
ラッチェが小さく震えてるのが分かって——突きとばせなかった。
「……僕を心配してくれる人が居るなんて、思ったことなかったんだ」
「へ?」
吐き出すみたいに言われて、私は混乱する。
「心配ぐらいするでしょ、普通」
「された事ない」
「……ラッチェ」
彼は私を抱きしめる手に力を入れた。
「小さい頃から、僕の起こすことを心配されることはあっても、僕を心配する人なんか居なかった」
——あ。
ああ。
彼の名を聞いた時に、師匠が言ってた言葉を思い出した。
——アイツは化け物みたいな奴だぞ。
ラッチェは、あの歳で、使う魔法の種類、魔力、ともにクーネル王国随一だ。生まれてすぐに喋った。精霊が大挙して祝いに訪れ、魔物が祝宴をあげた。空が割れて、星が降った。これは、すべてラッチェ誕生の秘話だ。神童って言えばいいのか。
でも、どれだけ斗出した魔法使いだって——。
「心配ぐらいするよ。ラッチェって、変なところで抜けてるじゃない。常識ないっていうか、無謀っていうか」
私は抱きついてる彼の髪を撫でた。
ギュッと私を抱きしめながら、彼は小さく笑った。
「マローに言われると思わなかった」
「それって、どういう意味? 私に常識がないって言いたい?」
「まあ、無謀って言葉は、僕よりマローに当てはまるね」
「私は妖魔向けに配合した薬なんか飲まない」
彼は軽く息をついて私を離したけど、手を握ったままだ。
少し頬を高揚させ、潤んだ目をしてるのは、熱のせいだよね。
——そうだよね?
「えっと——起き上がれるなら、着替えた方がいいかな。汗で体が冷えちゃうし」
「……手伝って」
「え? ああ。分かった。着替えはどこ? シーツの替えとかある?」
ラッチェは私が動き待ってるとき以外は、ずっと手を掴んで離さなかった。
思わぬ体調不良で弱ってるんだよね?
そう——だよね?
私が伺うように見ると、綺麗な顔でニコッと笑いかえす。
——困ったな。




