芽吹き
春の畑は気分が上がる。種から発芽してくる愛らしい新芽達は、瑞々しくて勢いがあるし。鳥や虫に狙われないように、保護用に目の細い網を掛けてるのを捲ると。まるで小人の行列みたいに緑の列ができてて、いつ間引こうかなってワクワクする。
去年の夏、ルーガ殿下に胸の痣を見せてしまってから、私の気持ちは随分と軽くなったんだけど——。
どう言ったらいいのだろう。
殿下の成長が早すぎて、どうにも逃げ出したい気分になってる。
先月、モーナ公国という南にある国に、殿下とラベナとラッチェが外遊に出かけた。約二週間の外遊で、私はラッチェに頼まれ、森の巡回と別棟の仕事をしつつ留守番してた。
それは良かったんだけど。
殿下が別人みたいになってしまった。
ほぼ同じだった身長が、明らかに私より高くなり、声変わりまでしてしまった。
正直に行って、戸惑うよ。
私の可愛い殿下は、もう何処にも居ないのか——。
苦い薬が嫌で、走って逃げ出したり。
喘息発作を起こして、涙ぐんでヘコんだりしてたのに。
私は幼い殿下が——大好きだったんだけどな。
「成長するのは、目出度いんだけどさ…」
スピードが速すぎるんだよ。
心の準備が間に合わない。
私は軽く溜息をついて、バケツの水を柄杓に取って畝に撒いて行く。
——と、首筋がピリピリした。
人の気配だ。
私は陛下に頂いた剣を握って、振り返る。
「勘のいい女だな」
柄の悪い輩が五、六人、人のハーブ畑にズカズカと踏み入って来た。身を低くして剣を構える。よく見れば衛兵の格好だし、相手だって剣を持ってるしね。
「俺たちとやる気か? 大人しくしてれば、怪我しなくて済むぜ?」
私は集中して相手の動きだけを見る。言葉を交わしてる場合じゃない。多勢に無勢なんだからね。
すぐに斬りかかって来たのは前に居た二人、体つきも大きく力が有りそうだ。集団の中心なんだろう。まともに剣を交えたら力負けする。
——先ずは動きを止めること。
私は片方の男の首を狙ってナイフを投げる。剣にばかり気を取られてたらしい。まんまと首近くに刺さった、男は違和感を感じたらしく首を抑えると自分の手を見る。
そのまま悲鳴を上げた。
「ウァアアア! 痛ってぇ!」
すぐ痛みなんか感じないよ。
驚いただけだろ。
「このアマが!!」
並んでた男が剣を振り上げて突っ込んで来た。動き遅いな。屈んで足を引っ掛けて転ばせる。厄介なのは殺せないことの方だな。コイツらが何者か分からないから。
転んだ男を蹴り飛ばして、走り込んで来た三人の男をいかに凌ぐか考えてたら。
剣を握った殿下が自室から飛び降りて来て、私の背後で起き上がろうとしてた男の足を刺し、仰向けで転がってる男の肩を思い切り踏みつけた。
「グッ、アァァ」
踏まれた男が呻きながら転がってる。鎖骨って折れやすいんだよね。走り込んで来てた三人の足が、一瞬だけ止まった。加勢が来るとは思ってなかったんだろうな。
——私も思ってなかったけど。
殿下は剣呑な顔で不逞の輩を睨むと、私の横に立って剣を構える。シルクシャツにズボンを履いた軽装の殿下が、衛兵服の男達より強そうに見える。剣の構え方から違う。ルーガ王子、真面目に剣技の訓練をしてたもんなぁ。
このままでは負けると踏んだんだろう。三人の男は一斉に切り掛かって来た。中の一人が身を低くして、体当たりするように私の腰を掴んで抱え上げた。一度に二人を相手にしてる殿下が、鋭く私の名を呼ぶ。
「マロー!!」
まさか仰向けに抱えられると思わなかった。
ヤバイ、この姿勢じゃ剣も使えない。
——と。
「!! ば、化け物!」
真っ黒で艶やかな毛並み、鬼灯のような赤目。オンブロが毛を逆立てて男達を睨む。というか、オンブロ、デカイね。物置小屋くらいの大きさになってるよ。彼の尾がシュッと伸びると、私を抱えてた男を撫でた。撫でたと思ったら男の姿が消え、私はその場に転がり落ちた。
オンブロが次々と逃げ惑う男達を撫でてく。
彼らは——次々と姿が消えてった。
私の腕を取って立たせた殿下が、腰に腕を回して抱き寄せた。
「なんともないか?」
「え? あ、はい。ええと、何が起こってるの?」
それに答えたのは、栗の木の影から現れた、久しぶりに玉虫色の目をしたラッチェだった。
「賊は影に捕まってる。死んでないから平気だよ」
「ラッチェ。助かったけど…よく分かったね」
彼は闇属性の魔法を使ってるらしく、私の背筋はゾワゾワと鳥肌立ってる。
「ルーガがオンブロの毛を持ってるんだ。王太子だからさ、狙われることもあるかと思って渡してたんだけど。マローにも渡しとけば良かったな。持ってる人間が危険を感じるとブロに分かるんだよ。僕は教えてもらったんだ」
オンブロはいつもの大きさに戻って、座ったまま私と殿下を見上げてる。
殿下が私から手を退けて体を離そうとした時、思わず殿下の腕を掴んでた。自分で自分の行動に驚いたんだけど、ルーガ殿下は驚きもせずに私を見て、腕を掴んでる私の手をそのまま握った。
彼は私の手を引きながら、オンブロの前にしゃがみ込んで、繋いでない方の手を出した。
「オンブロ、助かった」
オンブロは殿下の手に、自分の尾を絡めて撫でた。
一瞬、殿下が消えちゃうかと思って、繋いだ手をギュッと握る。
ラッチェは瞳の色を戻すと、拗ねたようにオンブロを見る。
「僕は威嚇するくせに、ルーガならいいわけか、ブロ?」
オンブロは軽くジャンプして、私の肩に乗ると首に巻きついて頬を寄せた。ああ、この子のお陰で事が早く片付いたんだよな。
「ありがとう、オンブロ」
私が頭を撫でると、目を細めてから飛び降りた。
ラッチェは不思議な表情で私達を見つめる。
「ま、仕方ないかな。マローが手を離さないんだし」
「……?」
「怖かったんでしょ? だからルーガを離さないんだよね」
「……………」
私は自分が掴んで離さない、殿下の手を改めて見つめた。
その手の先に——。
「あ、あああ! 私の畑が!」
私は殿下の手を離して、しゃがみ込み、踏まれまくった新芽達を愕然と見る。
「せっかく——。ラッチェ! アイツら、出して。ブン殴ってやる!!!」
「落ち着いて、マロー」
「これが落ち着いていられるわけないじゃん!」
——やっと芽吹いたばっかりだったのに。
ラッチェと殿下が顔を見合わせて笑った。
笑い事じゃないから!
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