可愛いオンブロ
その日もラッチェを手伝う日だったから、王宮の中庭を通ってラッチェの別棟に向かった。ベルナンド殿下の宮へ向かうマーゴと別れてラッチェの別棟に入る。
手伝いの日は、断らないで入って来ていいよって言われてるからさ。ラッチェは、だいたい研究室にいるから、真っ直ぐに研究室へ向かう。住居部分には勝手に立ち入ったりはしない。人の家なんだしね。
「おはようございます」
「おはよう」
椅子に座って、何やら不思議な図形の絵を広げていたラッチェは、私を見上げてニコッと笑う。銀色の混ざったような白っぽい金色の瞳。ラッチェは睫毛や眉まで銀色だ。ジエラルドと違って銀髪も真っ直ぐ。たっぷりとした髪は、サラサラと彼の動きに合わせて流れる。
貴族らしい上品な動きをする人なんだよね。
着ているのは魔法使いらしい、フード付きの白いローブなんだけどさ。
一緒に仕事をするようになって、会う機会が増えてくると、小さな表情の変化が分かるようになってくる。お陰でそこまで人形めいて感じることは無くなってきた。慣れてくると、けっこう表情が豊かなんだよね。
——今日は機嫌が良いみたいだな。
「何を見てるんですか?」
「トラップだよ」
「へ? 罠?」
彼は嬉しそうにニコニコと笑った。
「ほら、ジェラルド。どうやって妖魔を捕まえたんだろうって、ずっと思ってたんだよ。彼自身は魔力がないはずだしね。強い妖魔が簡単に捕まえられるわけないじゃない? で、彼の残してった文献を漁ってて見つけたんだ。魔法陣だね」
私は彼の手元に広げられた複雑な文様の円を覗き込む。
「これで妖魔を捕まえられるんですか?」
「短時間ならね。でも、ブロなんかには効かないだろうな。コイツのセンサーは優れものだから、こんなのに引っかからないね」
私って魔法に関連する事で知らない事、まだまだ沢山あるんだな。
お婆ちゃんにも、いろんな事を教わったつもりだったけど——。
オンブロは私がラッチェの研究室にくると、私によって来て肩に乗るか、膝に乗るかしている。しなやかで、黒い毛並みに赤目の美しい猫にしか見えないけど、高位の妖魔なのだという。
そのお陰で、研究室の妖魔や精霊は私にひっついては来ない。森に行った後、ラッチェの指導で魔力を絞る方法を訓練してるし、研究室の中なら危険は少ないだろうけどね。
「オンブロは優秀なんだね」
私がオンブロの顎をくすぐると、彼は軽く目を細めた。
ラッチェが微妙な表情で私たちを見る。
「君ってば、本当にブロを手懐けちゃったな。君に手を出し難いじゃない?」
「手出しはしなくて良いんですよ」
「……僕がアプローチできるの、この時間くらいなんだけどな」
ラッチェが少し拗ねたような顔をした。
この人、時々こういう顔をするんだよね。
「あ、そう言えばなんですけど」
「ん?」
「この間、殿下の従兄弟だっていうアルデンテ様に会いましてね。なんか……嫌な奴でした」
ラッチェがクスッと笑った。
「だろうなー。どういうんだろうね。王弟のライナーは兄思いの良い奴だし、弟のバミューダだって、あんなに捻くれてない。長男のアルデンテだけが傲慢に育ったね。まあ、周りが悪いけど」
——そうなの?
「でも、避暑地で暗殺者を送って来たのは、王弟のグラハム公爵ですよね?」
「違うよ。カメオから聞いてない? 王弟派っていうのは、ライナーを指してるわけじゃない」
「え? いや、殿下も叔父の手の者って……」
「言い方に語弊があるよ。叔父側の手の者ってことだろうね。それはね、王弟を王に据えたい人達ってこと。貴族の派閥のことだね。ジェットは使えない奴には容赦ないから、身分の割に冷遇されてる奴もいるからさ」
彼はニコニコっと笑って、私の前に薬研を置いて潰すべき種子を振り入れる。
手を動かしながら聞けってことか。
「その筆頭にラーニャ侯爵ってのが居てね。ライナーの取り巻きのフリして、アルデンテにイロイロ吹き込んでるんだよ。避暑地で君たちを襲った奴は、ラーニャ侯爵の差し金で動いてた。公爵の名前を振りかざしてね」
——なんで、そんなこと知ってるのか。
とは、聞くまでもないんだろうな。
ラッチェというのは、宮廷魔法使いなんだからね。
しかも、能力は別棟を与えられるくらい高く評価されてるんだし。
「まあ、マローが気にするような事じゃないよ。暗殺が頻繁に行われないのは、本気で王や王太子を消すつもりはないからだ。気持ちのどこかに、そうなったら儲けものって気はあるだろうけどね。どっちかと言えば、不遇されててムカついてますよって意思表示だ」
意思表示で暗殺って、不穏過ぎじゃない?
私の表情を見たラッチェが笑った。
「ルーガが心配?」
「……そりゃ。私は祖母から、彼を立派な王にするよう申しつけられてますので」
「大丈夫だよ。僕がついてる。それに、彼なら立派な王になるさ」
「やっぱり、ラッチェも占ったんですか?」
彼はふるふるっと首を振って、面白そうにニコッと笑う。
「そんなの、見てれば分かるよね?」
……まあ。
確かに、そうかな?
殿下は人を思いやることができるし。
自分の立場を考慮することはあっても、高圧的になったりしない。
たぶん、立場と自分個人を同一視してないんだよな。
彼の思考は、けっこう複雑なモノだと思う。
身分や立場と、個人の能力を分けて考えてる。
そう考えると優秀なお子様だよなぁ。
私がしみじみと殿下の事を思い返してると、ラッチェが軽い溜息をつく。
「マロー。ルーガはいい王になると思うけどさ。僕のことも……もう少し見て欲しいな」
伸ばされた綺麗な指が、私の顎に触れようとした時、バシッと音を立てて、激しい勢いでオンブロの尻尾がラッチェの手を叩いた。
オンブロがフーッっと唸りながら、全身の毛を逆立ててラッチェを威嚇した。ラッチェが目を細めてオンブロを見つめると、オンブロは尾を足の間に巻き込んだ。それでも威嚇をやめない。
「……分かったよ。触らない」
彼が手を引っ込めて肩を竦めると、オンブロは膝から肩に飛び乗って私の頬に顔をすり寄せた。私はオンブロの頭を撫でる。
「ラッチェ……妖魔って食べ物を食べますか?」
「種類によるけど。なんで?」
「いえ。オンブロにご褒美をあげたいなって」
「……酷いな、マロー。僕に触られたくないってことだよね」
「だって、ラッチェが触ると身動き出来なくなるでしょ? 何かしてるんだよね?」
彼はフッと視線を逸らせ、ハーっと項垂れた。
「ブロは肉類が好きだよ。生より茹でたの」
……やっぱり、なんかしてたわけだね。




