ラッチェの仕事
トランス王国への視察を終えてから、詰め込みガチだった王太子妃教育もペースが緩やかになった。刺繍だの、詩作だの、貴婦人の教養なんかが増えてきてる。
ハッキリ言って苦手だ。私って器用な方じゃないんだよ。
その日も午前は刺繍の時間だった。
なんで貴婦人って、あんなチマチマした事が好きかな。
疲れたー。
午後はラッチェの所で初仕事だ。
昼食は衛兵やメイドさんが使ってる食堂で食べさせてもらってる。部屋で食べてもいいんだけど、マーゴの仕事が増えるからね。マーゴは朝食をベルナンド殿下の方で取ってるけど、午前中に私の部屋とか掃除してくれてる。
マリアンヌさんの手伝いを辞めたわけじゃないから、彼女は忙しいと思うんだけど、気を使って私の時間に合わせて食堂へ来てくれるんだよね。
「マロー様。今日は何を食べてるんですか?」
「……春野菜のスープとハムサンド」
「軽食ですね」
「十分だよ」
食堂のメニューは毎日変わる。ガッツリ、ほどほど、軽食と、大概は三種類用意されてる。衛兵なんかは軽食じゃ足りないからね。
「そういえば、ルーガ殿下が体調不良だそうですね?」
「あれは体調じゃなくて精神の不良」
「……精神?」
私は今朝の事を思い出して、ふかーい溜息をつく。
「不貞腐れてんだよ。私がラッチェの仕事を手伝う事になったから」
「……ああ」
マーゴ。その微妙に緩んだ顔は止めないか?
「焼きもちですね」
「それにしたって、やり様ってのがある。布団かぶってズル休みなんて、ガキ過ぎるだろ」
「もう。そういう言い方しない。殿下は、まだ十二歳なんですよ?」
「歳は関係ない。あの子は王太子なんだから」
「……マロー様ってば、厳しいな」
——そうかもしれない。
でも、殿下を立派な王にするのが、私の仕事なんだし。
マーゴと別れていったん部屋に戻って、さて、ラッチェの仕事場へと思ってたら、迷子にならないように、小さな毛玉がお迎えに来た。
「何? これ——」
手のひらに乗ってしまいそうな、丸いふわふわの毛玉なんだけど。
——マロー。この子について来て。
毛玉からラッチェの声が聞こえて、魔法関連の何かなんだなって理解できたけど。この毛玉ちゃんは喋らない。風に吹かれるようにフワフワと空に浮いてる。全体に白っぽいけど、光の加減でピンクに見える。
王宮というのは、ちょっとした迷路みたいだ。部屋数も多いし、人の動きも多い。渡り廊下や、小さな庭もたくさんあるし、外観の煌びやかさを守るために生活感のあるものは、みーんな後ろに隠されてる。
ラッチェの仕事場兼住居だという別棟は、そんなお城の裏庭、城を囲む雑木林の一角にあった。
「なんか…思ってたより、ずっと、お屋敷だなぁ」
聞いた時はノクターンでお婆ちゃんと暮らしてたような小屋を想像してた。
私の想像力って乏しい。
お屋敷の扉をノックしたら、毛玉ちゃんから。
——入って。
と声が聞こえた。
扉を開くと毛玉ちゃんは、ふわふわと屋敷の中を浮遊してく。奥からラッチェが出て来て、ニコニコっと笑った。
「いらっしゃい」
彼はそう言ってヒョイと手を伸ばすと、毛玉ちゃんを撫でた。
——と、手品のように毛玉ちゃんの姿が消える。
「消えた……。すごいですね」
「そう? あれは精霊の一種なんだよ。姿が見えるように魔法かけてたけどね」
「ほぉぉ」
「こっちにおいで。研究室を見せてあげる」
もうねー。
頭の中は研究室への興味で一杯で、呼んでるのが誰かなんか、どうでもよくなるな。
「はい。ここが僕の研究室」
——なんというのか。
形容しがたい感じに素敵だ。
広さは結構あると思う。そして、作りは治療院っぽい。片側の壁に大きな作り付けの書棚。中央にデカイ机と何脚かの椅子。書棚と逆側にはカマドや水周りがあって、ガラス製の実験道具なんかが置かれてる。その横に薬だながあって、色はマホガニーと白がベース。
その部屋を多くの生き物が好き勝手に移動してる。ニョロニョロした黒いのや、トカゲに似た七色の生き物、ウサギもどき、移動する植物、影のような人型に、赤目の猫……数え上げたらキリがない感じ。
「摩訶不思議ですね」
率直な感想を漏らしたら、ラッチェがクククッって笑った。すごく嬉しそうで、面白そうな顔してる。この人が、こういう表情をするの初めて見たかも。
「この部屋を見て、君みたいに目を輝かせた奴は他に居ないよ」
「そうなんですか? 面白いのに……。ここに居るのって、皆んな、精霊か妖魔?」
「そうだね。一応、部屋に結界は張ってるけど、皆んな好きに出入りしてるね」
「へぇ。結界も抜けられるんだぁ」
「結界は弱いものだからね。僕は別に彼らを閉じ込めとく気はないし。知りたいことが知れたら、自分の生活圏に戻ってくれて構わないんだけどね。なんか、居つく奴もいるんだよ」
ラッチェはそう言って、優しい目で妖魔や精霊たちを見つめてる。そんな中の一匹、赤目の猫が私に向かってジャンプしてきて、肩に乗って頬を寄せた。
ちょっと驚いたけど、しなやかな動きの猫に重さは感じない。
「どうしたの?」
頭を撫でてやるとそのまま首に巻きついた。
「気に入られたね。そいつは、オンブロっていう種類の妖魔だよ。僕はブロって呼んでるけど、けっこう気難しい奴なんだけどね」
「黒い猫みたいですね。妖魔だっていう割に怖くないな」
「能力が高いものは、自分の魔術的な気配を消せるからね。オンブロは妖魔の中でも優秀な個体だし」
「そうなんですか? アルプより?」
「いや、アルプは優秀だよ。ただ、なんていうのかな。隠す気がないんだよね。能力が高いからこそ隠さないって選択をしてるんだ。雑魚の妖魔にかまわれるのが嫌いなんだね」
なるほどな。
あの、怖い感じって孤高を愛するタイプだからなんだね。
「ブロ。悪いんだけど、マローは君と遊んでる暇ないからね」
ラッチェがニコニコっと笑うと、背筋がゾワゾワっとくる。
——と、オンブロは私の肩から飛び降りて、ラッチェから距離をとった。
「殿下が拗ねてるって?」
「早耳ですね」
「ラベナが騒いでたよ」
「不貞腐れてるだけです」
彼はニコニコっと笑った。
「まあ、気持ちだけは分かるかな」
「そうですか? でも、この仕事をやめるとか有りえないですから。陛下からの指令ですし」
「……まあ、僕が頼んだんだけどね」
軽く首を傾いだラッチェの髪が、動きに合わせてサラサラ流れた。
「だって、マロー、そろそろ飽きてるでしょ?」
「何にですか?」
「ここの暮らし」
——ラッチェって鋭くて嫌になるなぁ。
実際に飽きて来てる。
王宮っていうのは、様々な人が働いてるけど、それは——人だ。
私の暮らしっていうのは森と密接に関係してて、幼い頃からずっと、人より森に親近感を感じる。町に暮らす人には、説明しても分からないような感覚らしいので黙ってたけど。
「分かるんですね、ラッチェには——」
「分かるよ。宮廷に閉じこもってたら飽きる。僕もそうだから。定期的に人から離れて森へ行きたくなるんだ」
「ですよね!!」
思わずラッチェの腕を掴んでしまった。
彼は少し目を開いて、私が掴んだ手に自分の手を重ねた。
「君が自分から僕に触れて来るなんて、よっぽどなんだね」
「あ……ごめんなさい。失礼だったですね」
慌てて手を引っ込める私を、彼は優しい目で見た。
年が近いとはいえ同い年ではない。
彼は私より一つ年下なんだけど——まるで愛でるような目だな。
「いや。ちょっと、嬉しい」
「へ? 嬉しい?」
「好きな娘に触れられたら、僕だって嬉しいよ?」
「は……はぁ」
どこまで真面目に言ってるのか謎だな。
この人の好きとかって、普通の人の感覚とは違うんじゃないかと思うし。
「すぐには無理だけど、一緒に森へ行こうね」
「ありがとうございます」
「今日は僕の仕事の概要を説明しようかな。宮廷魔法使いの方じゃなく、ラッチェ・ランドールの方の仕事だけどね。僕は個人的に妖魔や精霊の研究してるんだ」
「研究ですか?」
「生態の観察って言った方がいいのかな? 魔法の特性とか、食性とか、繁殖地域とかね」
おお。
なんか。
すごく、面白そう。
思わず顔がニヤけてたら、ラッチェがクスッと笑う。
「やっぱ、マローは良いな」
こういう笑い方をすると、人形めいた彼に人間味が出てドキッとする。
「ワクワクしてるでしょ?」
悔しいけど——。
確かに、すごくワクワクしてきてる。
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