予防線
——何だって、こんな事になってるんだろ。
私は目を覚ました後、部屋を移動して、ラッチェだけに詳細な夢の話をした。
「あの少年がジェラルド伯爵……だった、のかもしれない。でも、瞳の色が違ってたんですけど」
「違ってた?」
「はい。あの子はグレーの瞳をしてて」
「あぁ、伯爵は淡い緑だね」
彼は少し考えて、小さく頷いた。
「……なるほどな。そうだとしたら、納得もいくかな」
「納得ですか?」
「なぜ、彼がクーネル王国との窓口になってるのか、不思議だったんだよ。ジェラルド伯爵家っていうのは、没落気味の家だったんだ。それが、ここ数年でトランス王国でも有力な貴族にのし上がってる」
ラッチェは苦い顔で私に教えてくれた。
「魔法使いの特性を持たない人間でも、魔法を使えるようになる方法があるのを知ってるかい?」
「いえ、聞いたこともないです。そんな方法があるんですか?」
「あるんだよね。一つだけ……力のある妖魔を捕まえて食べるんだ」
「……食べる?」
「そう。これは国際的に邪法として禁じられてる。重い犯罪だよ」
「ジェラルド伯爵は——邪法を?」
「可能性としてだけど……。僕も実際に見たことはない。ただ、文献によると妖魔を食べた人間は、食べた妖魔の瞳の色へと目の色が変わるって記述があるんだ。とにかく、確かめてみる必要があるな」
彼は目をカマボコ型に細めて、玉虫色の瞳で嗤った。
うわ、久しぶりにゾワゾワっときたよ、ラッチェ。
そんな話から数日で——。
目の前にはジェット国王陛下が、すまなそうな笑みを浮かべて座ってる。陛下の横にはラッチェが立ってて、私の横には殿下が立ってる。
——ええと。
「マロー嬢。ルーガかラッチェ、どちらかの求婚を受けて欲しい。そんなに難しく考えなくていい。婚約は、婚約だ。解消できない物ではない。暫定だと思ってくれても構わないよ」
そう言った陛下を、ラッチェがニコニコと、殿下がギロッと見る。
国王陛下の笑みが軽く引きつった。
軽い咳払いで仕切り直した陛下は、優しい目で私を見た。
「君にはトランス王国のジーン・ジェラルド伯爵から、正式に求婚したいと書簡が届いてる。大魔女リリサの亡き後、君には血縁者も後見人も居ないということで、雇用主である私に申し入れてきた。リリサは国の功労者であり、我が王家としても、君の行く末は大切に見守る義務があると思っている」
私は相変わらず、うまく頭の中が整理できていない。
国王に、王太子に、強力な宮廷魔法使い。
こんな国の重要人物ばかりの中に、なんで私まで混ざってるんだろうか。
「私個人の意見ではなく、国益を考えた場合。大魔女の血筋の女性を他国へ嫁がせたくはない。だが、トランス王国は我が国には重要な貿易国だ。伯爵はトランス王国の実力者でもある。断りを入れるには、相応の理由が必要になる。訪問の前に決めて欲しいんだ、マロー」
私はチロっと殿下を見る。殿下は何だよって感じで睨んだ。ラッチェに視線を送ると、ニコニコっと笑みを返してくる。
「繰り返すけれど、婚約だ。解消もできるよ、マロー」
そこを繰り返すってことは、今、ここで断る選択肢は無いってことかな。
……でもなぁ。
「畏れながら、陛下」
「なんだい?」
「断るわけには、いかないのでしょうか」
「……マロー。ラッチェからの進言で、君を守る最善策だと言われてね。私もそれが最善だと結論した。君の意思を尊重したいのは山々だが、この先の事を考えても許嫁を持っていて欲しいんだ」
対外的な予防線かぁ。
そうだというなら、返事は一択だけど。
「…………ルーガ殿下の」
「ちょっと待って、マロー」
ラッチェが小さく笑って私達を見た。
「選ぶ前に、リリサのまじないを解かせてよ」
「え? 今ですか?」
「今だよ」
陛下が不思議そうにラッチェを見る。
「前にも言っていたようだが、まじない、とはなんだ?」
「マローには、王太子殿下を守るように、まじないがかけられてるんですよ」
殿下が私を見て、少し目を開く。
「そうなのか?」
「……それが、祖母の遺言の一つなので」
彼は軽く眉を寄せて、小さく息をつく。
「ラッチェ、解いてやれ」
「……殿下。解かないとダメですか?」
「ダメだろ」
なんでだろう。
私はまじないが解かれるのに、すごく抵抗を感じてる。
ラッチェが私を見て、励ますみたいに言った。
「そんな顔しないで、マロー。リリサのまじないがなくても、王太子は守れる」
「それは、分かってますが——」
——分かってるけど。
なんだか、お婆ちゃんと本当に別れちゃうみたいで怖いな。
陛下も私を安心させるように言ってくれた。
「ルーガの事で、君だけに無理はさせないよ。大丈夫だ」
私は思わず隣に立ってる殿下の腕を引っ張ってた。
「なんだ?」
「……掴んでていいですか。なんだか、怖いです」
殿下が小さくため息をつく。
「好きにしろ」
ラッチェが私の前に立って苦笑を浮かべた。
「なんか、もう二択の答えを見てる気がするな。まあ、いいや。解くよ」
額にラッチェの指が触れると、全身に静電気が走ったような気がした。私の体が、パチパチっと音を立てて小さな光を放つ。
「終わり」
「……終わり?」
ラッチェがニコッと笑った。
「まじない、だからね。呪いでも、魔法でもない」
「…………ありがとうございます」
ありがとうで、いいんだよね?
これで、まじない、に縛られることは無くなったんだから。
私は殿下を掴んでない方の手を広げて見る。
何か変わったかと言われても、よく、分からない感じだ。
「さあ、マロー。選んで?」
ラッチェに言われて、言おうとしてた言葉を思い出す。
「ルーガ殿下の申し入れを受けます」
だって、ラッチェでは、暫定にしたって猶予期間が短すぎる。
彼は来年には成人で、婚姻できるようになってしまうんだし。
そうしたら、対外的な許嫁では済まなくなりかねない。
陛下がホッと息をつく。
「ありがとう、マロー。親としては、君がそう言ってくれて嬉しいよ。異論はないな、ルーガ」
自分を掴んでる私の手を掴み、殿下が私をマジっと見る。
私の腰がちょっと引けるくらい、強い視線で見つめてから私の手を外して手を離す。
「ありません」
ラッチェがニコニコしながら殿下に言う。
「ルーガ殿下。陛下も言ったように、婚約は解消できますからね。他の者への予防線にはなっても、僕には関係ないと思って下さい」
陛下がキュッとラッチェを睨む。
「……ラッチェ」
「心配ありませんよ、陛下。問題を起こす気はありません。僕はマローの意思を尊重しますから。ただ、アプローチはするよって話です」
殿下は小さく首を竦めただけだった。
「追って正式に発表させてもらうよ。マロー、君の身柄は王家が引き受ける。婚姻までは時間があるからね。お互いをよく知って、できるなら君にルーガを支えて欲しいと私は思っているよ」
陛下が本当に優しい目で私たちを見た。




