嵌められた
殿下の部屋のドアに手を掛けて、思わず止まってしまう。
——顔が合わせ難い。
昨日のアレをどう解釈すればいいんだ。
いや、ねぇ。
解釈も何もないんだけどさ。
あの年頃の子の事はよくわからないけど。
身近にいる異性ってだけで、錯覚をおこしてるのかもしれない。
ノクターンでお隣さんだったディニーも、彼の従姉妹のお姉さんがお嫁に行くと聞いて、泣き喚いて怒ってたしな。
お姉ちゃんは僕のだ。僕のお嫁さんになるんだーって。
ディニーは当時八歳だったけど。
まあ、そこまでは変わらないよね。
——よね?
止まってたら、中から思い切りドアが開いて、ラベナが飛び出して来た。
ビックリして固まってたら、半泣きになったラベナが。
「殿下のバカ!」
という捨て台詞を残して走り去って行った。
なにごと?
私が呆然とラベナの走り去った方向を見てたら、殿下が疲れた声で言った。
「マロー。入るなら、入れ」
「あ……はい」
シャツにカーディガン姿の殿下は、定位置の椅子の上で胡座かいてた。
彼は別に機嫌が悪そうでもなく、出て行ったラベナに比べて平静に見える。
「ラベナ、どうしたんですか?」
「来月なんだけど……トランス王国に行かなきゃならないんだ」
「え? 殿下が?」
「ああ。あそことは、半年に一度くらい双方の国を視察する慣例があるんだ。重要な貿易相手だし、それなりの奴が行かなきゃいけない。いつもなら親父が行くんだけど、忙しいらしくてな。俺が行くことになった」
「……お仕事なんですね。でも、それで、なんでラベナが出てくの?」
はぁって溜息ついて、殿下は気だるそうに髪を掻き揚げた。
「ラベナを置いてくって言ったら、あんな感じ」
「置いてくって、だって、側付きでしょ?」
「今回はカメオとラッチェが付いてくるんだ」
「……え? それはまた、珍しいですね? 師匠の話だと、ラッチェ様って、人前に出ない感じの人だそうですけど」
「お前を連れてくからだと思う」
——ちょっと待って?
「私も行くんですか?」
「ジェラルド伯爵の要望なんだと。奴はクーネル王国とトランス王国の窓口的な役目の男だ。お前、求婚されてんだろ? 会いたいんだそうだ」
「え、嫌だ! 断りの手紙出しますから」
「遅いよ。断るなら、トランス王国についてから断れ」
「そしたら顔合わせるじゃん!」
殿下が上目遣いで私を睨む。
「言ったろ? 重要な貿易国なんだよ。お前が返事を伸ばしたのが悪い」
「だって、最近まで知らなかったんですよ」
「知らなかった?」
「……気持ち悪いから、届いた手紙は読まないで捨ててたので」
「あのなぁ」
「だって、殿下だって、そうしろって言ったじゃん! 気持ち悪い贈り物なんか、捨てちゃえばいいだろって」
「俺のせいにするなよ」
——ええ。
あの人、すっごい苦手なのに。
「だから、ラッチェがついてくるんだろ。アイツも、お前に求婚してるしな」
ジロって睨まれた。
いや、まあ、訓練場では、そう言ってたけどね。
「モテまくってるな?」
「冗談じゃないです。なんとかして、殿下」
「俺の求婚を受ければいいだろ」
「……そういう事じゃないでしょ」
「なら、どういう事なんだよ」
返す言葉が無くなってしまった。
「お前がハッキリさせないのが悪い。言っとくけど、他の男に嫁いだら許さないからな」
「誰にも嫁ぐ気なんかないですけど」
「なら丁度いいから、面と向かって断れ」
「………」
ノックが聞こえ、朝食のワゴンを受け取って思う。
「でも、それだけで、ラベナがあんな感じになるんですか?」
「連れてけって煩かったから、お前にラッチェを超える何があるんだって言った」
「殿下、それ、キツイでしょ。カメオ師匠が、ラッチェ様は神童だって言ってましたよ?」
「仕方ないだろ。向こうだって大所帯をもてなすのは大変なんだし。人数は絞ってかないと」
「なら、そう言ってやれば少しは——」
「言った」
「……ですよね」
殿下なら、先に理由を言ってるよね。
それでも食い下がって撃沈かぁ。
立ち上がった殿下が、ワゴンの食器をテーブルへ移動し始める。
「え、あ、殿下。やりますから」
「俺だって、テーブルセットくらいできる」
「すみません」
「ラべナの分は取って置けよ。あとで、ワゴンに残ってるって教えてやれ」
「私はラベナに会わないですよ? 殿下が教えてあげれば?」
「アイツがテンパった時、お前に会いに行かないわけないだろ」
彼はギュッと私を睨む。
「ラベナもお前に求婚してんだろ。知らないと思ってたのか?」
「え? いや、アレは違うと思うよ。行くとこなかったら、来いよ、くらいの軽い感じだし。断ったし」
「マロー」
「はい?」
「お前、男心って知ってるか?」
「知りませんよ。これでも女子ですからね」
殿下が、すごくショッパイ顔になってしまった。
「面倒な奴」
「ラベナですか?」
「ラベナも、お前もだ」
チョイチョイって指で呼ぶから、近づいてったら。
腕を掴まれて、また引っ張られた。
だから、顔が近いってば。
君は自分が美形の少年だって自覚がないのか。
破壊力があるんだってば、顔が近いと。
鼻が触れそうな位置まで顔を寄せた殿下は、私の目を見つめて囁くみたいに言った。
「俺はお前が好きだ。マロー」
え、え。
いや、なに、これ。
思考回路がちょっとショートして——全身が熱い。
私を見てた殿下が赤くなって手を離し、狼狽えたようにソッポを向く。
「お前、そんなに赤くなられたら、俺が恥ずかしいだろーが」
「え、や、だって……よく、そういうこと言えますね?」
「ハッキリ言わないと、お前には伝わらないんだろ」
「……そ、そうですけど」
殿下は俯くと自分の顔を手で軽く叩いた。
「飯、食おう。朝飯」
「あ、はい」
「だからな、マロー」
「はい?」
「来週はお前もトランス王国に行くつもりでいろよ」
「わかりました」
——ん?
あれ?
なんか、上手いこと丸め込まれてないかな。
殿下をチラッと見たら、ニコって微笑み返された。
……嵌められたかもしれない。




