待ってろ
もしかして、私は面倒な事態に巻き込まれてるんだろうか——。
昨日のラッチェ様の発言を思い返してみると、背中に冷や汗が流れる。
お婆ちゃんに絶対に隠し通せと言われた聖痕が、ジェラルド伯爵にもラッチェ魔法使いにもバレてるってことだ。
伯爵は聖痕だとは思ってないだろうけど——。
……たぶん。
相変わらず、定期的に手紙が来てるしなぁ。
全く返事を出してないし、そもそも読んでないけどね。
——面倒臭いなぁ。
殿下の部屋の扉をノックして、返事を待ちながら暗い気分になる。
「入れ」
返事があったので、そのまま部屋に入ると殿下は一人で椅子に座ってた。
「おはようございます。殿下、一人? ラベナは?」
「さっき、カメオに呼び出されてった」
「カメオ師匠に、そうですか」
彼と二人になるのは、久しぶりな気がする。
なんか、居心地悪いな。
でも、仕事はしないと。
「体調は如何ですか?」
「良いよ」
私は座ってる殿下を見て、顔色とか、目の色とかを観察する。
うん、確かに体調は悪くなさそう。
「……マロー。今日、ゼンの妹に会うって?」
「はい。療養してるって話だったけど、どこが悪いのか聞いてないんです。殿下は知ってますか?」
「心臓だって聞いた」
「なるほど……」
心臓か、なら、やっぱり血管を拡張する系の薬と気つけ薬を用意しとくべきかな。
少し悩んでたら、殿下が立ち上がって私の前に立った。
「……? どうしました?」
「マロー。お前、俺の言ったことを無かった事にするなよ」
「え?」
軽く目を泳がせた殿下は、意を決したように私の手首を掴んだ。
「お前を人にやるつもりはないからな。今、俺を——男として見られないってのは、分かったけど。だからって、他の奴に簡単に触らせるな」
「……はい?」
「ラッチェに抱き上げられてたろ。今日だってカメオの馬に乗るんだし。側付きを外したからって、俺の言った事が消えるわけじゃないぞ」
「……………えっと」
彼は大きく息を吸って、真顔で私を見た。
「お前の契約は春までだろ。一年の先払いで俺のお守り役になったって聞いてる。なら、春には役が外れるよな?」
「あ、あー。そうですね。契約が更新されなければ」
——そうなんだったな。
自分では、いつの間にか、ここに永久就職するつもりになってたけど。
まあ、お婆ちゃんのまじないが解けてないから、更新してもらえるとは思うんだけど——。
「そしたら、俺の従者じゃなくなる」
「え、あ……いえ。私は契約を更新して頂きたいと思ってますが」
「断る」
「ええ?」
彼はグッと掴んでる腕を引っ張った。
えっと、ちょっと顔近いよ殿下。
鼻がくっつきそう。
この距離で睨み付けるのやめて。
「お前は俺を、お守り役が必要な子供だと思ってるんだろ」
「………思ってますね」
「少し待ってろ」
「ええと?」
「すぐ、お前よりデカくなるし、剣も馬もお前より上手くなる。主従も外れれば——男に見えるだろ」
「……殿下?」
「俺はお前を妻にもらう。だから、それまでは、自分の身は自分で守っとけよ。他の奴に無闇に触らせたり、勝手に嫁いだりしたら許さないからな」
物凄く顔を近づけて、息のかかるような距離で。
「お前は俺のだって……忘れるな」
静かな声でそう言った。
心臓がギューっと痛くなる。
だから、なんで痛くなるかな。
パッと私の腕を離した殿下は、椅子に戻っていく。
い、今のは——。
ええと。
「ただいまー。あ、マロー、もう来てたか。廊下でメイドにあったから、ワゴンもらって来たぜ。朝食の用意しよう。ん? 何を赤くなってるんだ、マロー」
「え? 赤く?」
「ああ。顔が真っ赤だぞ?」
ラベナが眉を寄せて朝食のワゴンを押して来る。
「熱でもあるのか? 体調が悪いなら、カメオに言って外出の日を変えてもらったら?」
「え? ぜんぜん。うん。体調は悪くない」
ちょっと、混乱してて。
確かに顔は熱いけど——。
ああ。
ラベナが不信な目で見てる。
なんか、ええと。
「そ、そういえば、ラベナはカメオ師匠に呼ばれたって?」
「ああ。今日のスケージュールと課題をもらった」
あ、そうか。
今日はカメオ師匠も留守になるんだもんね。
「マロー? なんか、本当に様子が変だけど?」
「変? あ、ああ。なんか、ほら。緊張してる。うん、緊張」
「緊張?」
——これは嘘じゃないし。
「ゼンは暗殺者じゃない。その妹さんの治癒だからね。上手くいかなかったら、ゼンがどう出るか分からないし」
そしたら、殿下がまた狙われるかもしれないし。
そうなんだから、浮ついてる場合じゃない。
「カメオの話だと、妹さんはそこまで弱ってないみたいだ。もしかしたら、毒を盛られてたかもしれないって、カメオが漏らしてた」
「毒?」
「ああ。人為的に弱らせて、療養っていう人質になってた可能性があるってさ」
「え——何、その人でなし」
「暗殺を目論むような人間が、人でなしじゃないわけないだろ」
まぁ、そうか。
ラベナはジッと私を見た。
「お前って、そういう所が不安になるよな。世の中は良い人間ばっかじゃないんだぜ? 正論なんか通じない相手もいるんだからな。気をつけろよ、マロー」
ラベナに説教されてしまうとは——。
「ねえ、殿下」
テーブルに朝食をセットしながら、ラベナが殿下に話を振った。
殿下は軽く首を竦めてみせる。
「カメオが一緒なんだから、大丈夫だろ」
「そうですけどね」
「早く用意しろよ。時間が無くなるぞ。マロー、突っ立ってないでラベナを手伝え」
「え? あ、ああ。はい」
「出かけるなら、回復薬を余分に置いてけよ」
「……分かりました」
——殿下の方が冷静とは。
私のお姉さんとしての自信が揺らぐじゃないか。
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