避暑中1
避暑地についた次の日。
朝食を終えた殿下が——。
「ボート遊びしよう」
と、提案して来た。
「ボートですか?」
「湖の上は涼しいからな」
「そうですね。せっかくの避暑ですしね」
「用意したら、玄関に集合だ」
私は台所で飲み物と軽食を用意してもらい、麦わら帽子を被って中央玄関へ向かう。邸宅なので、出入り口が幾つかあるんだよ。でも、王太子が玄関って言ったら、中央だろうなと。
ラベナと殿下が、栗毛と黒毛の馬を連れて待ってた。
「遅い」
「すみません。でも、飲み物はないと、水分補給できないから」
……しかし。
ボート遊びというのに、なぜに馬が用意されるのだろうか。
私が不思議そうに見てたら、ラベナが栗毛の馬の首を軽く叩いて教えてくれた。
「ボートはさ、湖の反対側のボートハウスにあるんだよ。釣り竿もあるからボートの上で釣りしよう」
「ああ、湖を回って行くのに馬なのね?」
「マローは乗ったことないんだろ? 俺が乗せてってやるよ」
ラベナがニカッと笑ったけど——。
私は到着した日に殿下が私を持ち上げたのを思い出す。
「……私は殿下に乗せてもらう」
「え?」
「殿下の側付きなんだし」
微妙な顔で私を見たラベナは、ふいっと殿下に視線を移した。
殿下は無表情で黒毛の馬の手綱を握ってる。
「ダメですか?」
一応の確認を取ると、殿下は無表情のまま。
「……いいよ。乗せる」
そう言った。
なんで無表情なんだろな。
「殿下の馬ですか?」
「違うけど、別荘に来たらコイツに乗るんだ」
「名前は?」
「雷電」
「強そうな名前ですね」
殿下は馬の鼻先を指差す。
「ここに黄色い毛が縦に混じってるだろ」
「なるほど、少し雷じみてますかね」
「だろ?」
殿下がやっと表情を緩めた。
「雷電。よろしく」
私は鐙に足をかけ、ヒラッと雷電に乗る。こういうのは、一息に行った方が馬への負担が軽いはずだから。
「さ、殿下」
そのまま殿下に手を差し出すと、彼は呆れ顔で私を見た。
「お前、カメオに持ち上げてもらう必要なかったじゃん」
「あれはカメオが勝手に持ち上げたんです」
殿下は私の手を取って、鐙に足をかけ、私の前に座った。
手綱を取るのは殿下だからね。
「……捕まってろ」
「はい」
殿下の腰に腕を回すと、彼は少し強張った。
なんか、不味いとこ触った?
触ってないよね?
ラベナが拗ねた目で私たちを眺める。
別にラベナの馬が嫌だったわけじゃないけどね。
「じゃ、行きますか、殿下」
「ああ」
湖に沿って林を回るだけだから、馬に乗るっていっても速度はゆっくり。
林の中は木陰で涼しくて、木漏れ日が宝石みたいにキラキラしてる。
見上げれば木々の枝に手が届きそうだ。
「綺麗ですね」
「この林はブナが多いんだ。秋にはドングリだらけになる」
「なるほど、小動物が多いわけだ」
私は殿下の細い腰に片腕を回したまま、もう一方の腕を上げて緑の葉に触れる。
夏の木々はエネルギーに溢れてて、元気をもらえる。
「あんまり動くなよ。落ちても俺のせいじゃないぞ」
「分かってますって」
強張ってた殿下の体も、時間が過ぎれば力が抜けてくる。
彼の立場だと人を乗せるってことが少ないのかもね。
だから緊張してたのかな。
「マロー。あそこがボートハウスだ」
先を進んでたラベナが振り返って、少し先の小さな小屋を指差した。
屋根は水色で、小屋自体は白で塗ってある。
明かりとりの丸い窓が小人の家みたいだ。
「へぇ、可愛いですね」
「王妃様の趣味だよ」
王妃様ってけっこう少女趣味なのか。
まあ、本人自体がまさにお姫様って感じだしね。
ボートハウスについて、馬を降りると殿下が小さく息をついた。
もしかして、本当に緊張させちゃったのかな。
「乗せてくれ、ありがと、殿下」
「あぁ……帰りも乗せてやる」
「はい。よろしく」
彼はなんだか、少しだけ嬉しそうに笑った。
☆
ボート遊びは面白かったけど、ラベナが用意してた釣り竿には一匹も魚が掛からないまま終わった。まあ、湖上は殿下の言う通り少し涼しかったし、殿下のテンションは低めだったけど、機嫌は良かったみたいだから良しとしよう。
夕食を終えて、湯浴みを済ませ、あとは眠るだけという時刻。
王都から移動して、一日の休みも挟まずに日中も活動したんだよね。もしかして、殿下は疲れてるかもしれないと思って、新作の強壮剤を勧めることにする。飲んで眠れば、明日の朝が楽かもしれない。
「殿下。殿下?」
ノックをしても返事がなく、部屋を覗いても姿が見えない。
「……あれ?」
ランプの灯りは燃えてるし、どこへ行ったのか——と。
ソファーの陰で丸まってる殿下を発見した。
「殿下? あ!」
彼は苦しそうに自分を抱え、荒れた呼吸を繰り返してた。
「で、でんか!」
「……騒ぐな」
私は殿下の前に膝をつき、腕を開いて胸に耳をつける。
ゼロゼロと肺が音を立てていた。
「私の肩に顎を乗せて」
彼を膝に乗せ、対面で抱いて背中に手を置く。治癒魔法を発動させて、気道を広げる。苦しそうな息が耳のすぐ側で聞こえると、私の方が切ない気持ちになってきた。
徐々に呼吸が深くなって、規則正しく整って行く。
私はもう一度、彼の胸に耳を当てる。
——ああ、音が小さくなった。
でも、なんで?
治癒魔法で炎症がおさまってくれない。
喘息という病気は、気管支がいつも炎症を起こしてるような状態だ。体力が落ちてくると、小さなキッカケで炎症が広がり、気管が狭まってしまう——と、お婆ちゃんは教えてくれた。
炎症を抑えて気管を広げるのが重要なのに——。
グッタリした殿下の体を抱きながら、私は自分が彼の様子に気づけなかった事を悔やむ。今日はなんか、テンションが低かったじゃないか。体調が良くなかったかもしれないのに、最近になって、ほとんど発作を起こさなくなってたから、気が緩んでいた。
——なんの為のお守役なのよ。
首にかかる息が熱い。
彼は軽く発熱してるみたいだ。
「………ごめん。殿下」
「お前のせいじゃない」
ふぅっと息をついた殿下は、私の腕の中でグッタリしてる。
私は彼の腕を自分の首に回し、腰を掴んで持ち上げようとしたんだけど。
殿下の体が重くなってて、持ち上げることはできても運ぶことは難しそうだ。
「ラベナを呼んで来ます」
立ち上がろうとした私の腕を殿下が掴む。
「……やめろ」
「でも」
「せっかく、息抜きに来てるんだから。俺のことで騒ぐな」
「殿下」
「肩を貸せよ。歩けるから」
なんとかベッドまで移動して、横になった彼はフーッと息を吐く。
「マロー。もう一度、治癒魔法をかけてくれないか」
「……分かりました」
彼の胸に手を乗せて、上半身を中心に治癒魔法を発動する。喉のあたりに炎症を感じるから、鎮まるように祈りながら。
「……ああ。楽になった」
殿下は少し青い顔で私に微笑んで、悲しそうな顔になる。
「……ごめんな」
「なんで殿下が謝るんですか」
「お前だって、せっかくの避暑じゃん」
「私は仕事で来てるんですよ。その……仕事ができてない」
彼は目を瞬く。
「出来てんじゃん。本当に楽になったよ?」
「違う。……殿下が倒れる前に気づくのが、側付きの仕事なんだから」
思わず視界が滲んで、涙が溢れた。
殿下が痛そうに眉根を寄せる。
「……ごめんな。俺、どうして……こうかな」
「殿下は悪くない」
彼は本当に悲しそうに笑った。
「マロー。もう寝る。お前も自分の部屋に戻れ」
「いえ、今夜はここで」
「戻れ」
「……でも」
「悪いけど、お前がいると気になって寝られない。薬と水差し、置いといて」
「…………はい」
少し青白い顔で、彼は瞼を閉じた。
私は猛省しながら、部屋から薬を取って来て水差しと一緒に置く。
血管を広げて痛みを緩和し、熱を下げる効果がある。
——あるけど。
苦しい時に起き上がって、自分で薬を飲まなきゃならない。
私は殿下の額に手を置く。
本当に、ここに居ちゃダメかな。
彼は小さく目を開いて、励ますみたいに微笑んだ。
「おやすみ」
「………はい」
辛いのも、苦しいのも、殿下なのに——。
彼の前で泣くなんて最悪だ。
私は、また滲んできた視界に腹が立って仕方なかった。




