王太子ルーガ
私が住んでるクーネル王国は、緑豊かな美しい国だ。
クーネル王国の第一皇子ルーガ殿下は、生まれた時から体が弱い。成長と共に丈夫になられるだろうと期待されていたが、もうすぐ十二歳になろうというのに、未だ虚弱体質が治らない。
思わず大きく溜息が漏れる。どうやってお婆ちゃんの死を知ったのかしらないけど。葬儀が終わったその日に王宮から迎えが来た。
準備が良すぎだ、大魔女リリサめ。
「お迎えにあがりました。マロー・ノクターン嬢」
身分の良さそうな壮年の男性は、ニコニコ笑って私を馬車に乗せる。身一つで構わないとか言われ、ほとんど拉致されるように村を後にした。
私の育ったノクターン地方から王都へは丸三日ほどかかった。到着が午後だったことも考慮され、私の王家への謁見は次の日へ持ち越された。はっきり言って助かった。
クタクタに疲れてたし、逃げ出したい欲求にかられてた。だってね、王都って人だらけなんだよ。
今日はお祭りですか、って感じに人、人、人。
城はデカイし、お城の庭は村が入りそうなくらい広いし。
回りから入ってくる情報量の多さに、脳みそがグルグルしてしまう。
とりあえず、私が使う部屋へ案内するというので、従者にくっついて城の庭を歩いている時だった。
すごいスピードで走って来た子供が、私に体当たりしてきて、バランスを崩して思い切り転んだ。
「お嬢さん! 捕まえて下さい!」
どこからか聞こえた悲鳴に近い言葉に、私は一緒に転んだ子供を抱きしめる。
深い艶のある黒髪に黒曜石を思わせる瞳、えらく綺麗な少年を抱きしめながら、私は彼の体が年頃にしては華奢なことに気づいた。
「は、はな、ゲホッゲッ、ゲホホッ」
腕の中で少年が酷く咳き込み始めたので、私はお婆ちゃんに叩き込まれた薬師の習慣で彼の体を精査していた。
彼の症状は、風邪が引き金になった喘息発作のようだ。
悲鳴のような叫びを上げたのは、まだ若い魔法使いだったようで、私と少年のそばに立って息を切らせながら言う。
「だから…は、走ってはダメだと」
本人も息を切らせながら、少年に腕を伸ばそうとした。
でも、私が少年を立たせて胸に耳を当てる方が先だった。
少年は目を丸くしたが、呼吸の苦しさでジッとしている。
ヒューヒュー鳴る胸の音が聞こえた。
見立てに間違いはないようだ。
「動かないで。すぐ、楽になるから」
私は少年の胸に手を当てて、治癒魔法を発動させた。脳内で祖母に叩き込まれた人体図が広がる。
私の放った光たちが、気管を広げて酸素を運ぶ、炎症を抑え、血流を正常化してゆく。
自分の上半身をオレンジの淡い光が包んでくのを、少年は不思議そうに見つめたいた。
私は座ったままで彼の背中に手を回し、ゆっくり摩りながら言う。
「鼻から息を吸ってみて、浅く、早く。そう、そう。上手だよ。口から息を吐いて。上手くいってる。……うん。ほら、ね。苦しくない」
私の腕から解放された少年は、何度も目を瞬いて、自分の胸に手を当てた。
「本当だ。……苦しくない」
私は少年の額に手を当てると、少し目を細めて睨んだ。
「あなた熱があるね。なんで、そんな薄着で外を走ってるの? 高熱を出したいの?」
少年は一歩下がるとバツが悪そうに目を伏せた。
「く、薬が……」
「え?」
「薬が苦いんだよ」
私が目を丸くして見つめると、彼は真っ赤になってしまった。
「苦い薬が嫌で走って逃げて来た……の?」
呼吸を整えた若い魔法使いが、少し苦笑を浮かべながら少年を見る。
「ですが、また何日も寝込まれては困ります。飲んでいただかないと」
そう言って魔法使いが差し出した小瓶を、私は立ち上がって横から奪い取り、勝手に味見した。
なにしろ少年を逃亡させるほど苦い薬だ。どのくらい苦いのかと思ったのだが……。
「お、お嬢さん?」
「ゔっ。ゔぇー。何、これ」
私が顔を歪めて薬瓶を睨んだので、少年は我が意を得たりと笑った。
「だろ? こんなの飲んだら、逆に具合悪くなるぜ」
「まあ、これは逃げるわね。凶悪に苦いもの」
若い魔法使いに薬瓶を突っ返す。
「薬としての成分は悪くないけど、子供にコレはキツすぎるよ。見たところ、彼はまだ風邪の初期症状だし。暖かくして、栄養をとって、とにかく眠るのが先決だと思う」
魔法使いは困ったような顔で私を見た。
「ええと、貴女は?」
黙ってことの成り行きを見ていた壮年の従者が、笑いを堪えながら言った。
「彼女はマロー・ノクターン嬢です。明日から王太子殿下の付き人になられます。治癒系の魔法が得意だと伺っておりますが、噂は確かだったようですね」
若い魔法使いは、合点がいったように彼女を見た。
「……君が」
少年が笑いながら私に手を差し出した。
「思ったより使えそうだな」
「え?」
「俺がルーガ・クーネルだ」
差し出された手を掴んで、私は思わず膝を折ってしまった。
——お、王太子なの?
「し、知らなかったとはいえ、大変なご無礼を」
「立てよ。別に無礼なことはしてないだろ? 発作がでなくて助かったよ。あれ、苦しいからな」
想像よりは素直そうな子だ。
——良かった。
王太子なんて立場だと、きっと壊れ物を扱うように周りから甘やかされて育った男の子だと思ってた。どんな我儘小僧の世話をしなきゃいけないのかと思ってたからね。
ホッとした私は、そのまま王太子をヒョイと抱き上げた。
「では、ベッドに戻りましょう、殿下」
彼は顔を赤くして私の腕を逃れようと身を捩った。
「お、おい、離せ。一人で戻れる!」
「大人しくなさって下さい。苦くない薬を調合して差し上げますから」
「そうじゃなくて! ガキじゃないんだから……歩いてもどれるって」
「ダメです。殿下は風邪です。風邪は体力の消耗を抑えるのが一番早く治るんです」
少年は唇を尖らせると、若い魔法使いを見た。
「自分で歩かなきゃいいのか? ……ラベナ。戻るから連れてってくれ」
「わかりました。ノクターン嬢、殿下は僕が運びます」
ラベナさんが微笑んで王子に腕を差し出した。
そう言われては、私も我を張る事はできない。
仕方なく彼へ殿下を渡す。
ルーガ殿下は天使のように綺麗な少年だし、よく見ればラベナさんも整った容姿の青年だった。焦げ茶の髪に青い瞳をしている。
——あら、なんだか、お似合いの二人。
美青年にお姫様抱っこの美少年。まるで一枚絵のような二人を見て、私の口元が少し緩む。
「では、ノクターン嬢。後ほど部屋の方へ使いを差し上げます。薬を調合しておいて下さい」
ラベナさんがそう言って歩き出すと、ルーガ王子は軽く手を上げて私に言った。
「苦くないのな」
壮年の従者が私の隣に立って笑った。
「引き合わせの必要がなくなりましたね。彼が王太子のルーガ殿下です。若い魔法使いは殿下の側近でラベナといいます。貴女がいらっしゃるまで、殿下の付き人をしていました」
「ええと、では、私が来てラベナさんはどうなるのですか?」
自分のせいで馴染んだ従者が居なくなっては王太子に申し訳ない。壮年の従者は私を見て微笑んだ。
「心配要りませんよ。彼は殿下の近衛兵として側付きになります」
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