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僕の代わりに、どうか妹を助けて下さい!

作者: 悠木 源基

 今、姉妹ブームみたいなので、あえて兄と弟のお話を書いてみました。極悪人は出てきませんが、だからこそ辛く切ない人間の業を描いてみました。 



この話には一切恋愛は含まれていません。

 


 

「なんでそんなことが出来ないんだ!」

 

「ごめんなさい!」

 

「ちゃんと言われた通りにやれ!」

 

「私には出来ません。無理です!」

 

「フレッドが生きていれば、お前なんか生まれて来なかったのに、役立たず!」

 

「それに、何故お前の方が助かったんだ。グレアムが生きていれば、もっと我が家のために有意義だったろうに」

 

 兄のマロウに罵られ、ミレーユは床に頭を擦りつけて謝った。何度も何度も。それでも兄は増々興奮して口汚く叱咤した。その声が隣の診察室まで響いていて、患者達は眉を顰めた。

 

 ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱

 

 王都にあるこの診療所の医師は、三十手前でまだ若いが腕はいいと評判だ。なにせ王太子の主治医もしているくらいだから。

 何故平民なのに彼が王太子の主治医になれたかというと、王太子がまだ第一王子だった頃の、王立学院の同級生だったからだ。

 王立学院は王侯貴族だけでなく、平民でも成績が良ければ奨学金を貰って学ぶ事が出来る。マロウは幼い頃から天才と呼ばれるほど頭が良かったのだ。

 

 マロウの父親もやはり優秀で、王立学院を卒業して城の文官となり、今も出納係をしている。

 そして、もう既に故人となっている父方の伯父はさらに優秀で、医者だった。マロウは学院に在学中からこの伯父の手伝いをしていたので、学生の頃から医学の知識があった。

 だから、学院で第一王子が怪我を負った時も、マロウはすぐに応急処置を行う事が出来た。そしてその事がきっかけで、マロウは王子と王家から信頼を得るようになったのだ。

 

 しかし、患者達はこのマロウをあまり好きではなかった。腕は確かに良いのだが、とにかく高飛車なのだ。

 

「今日はどこが悪いんだ!」

 

「ただの風邪だとは思うのですが、熱があって咳と鼻水が酷いんです」

 

「医者でもないくせに、風邪だと思うとか、余計な事は言わんでいい。馬鹿のくせに生意気な!」

 

「人参を食べれば精力がつくと八百屋に聞いたんで、毎日食べているんですが、一向に元気が出ないんです。何かいい薬はないでしょうか」

 

「お前、八百屋に騙されたんだ。精力が付くというのは『コーライニンジン』と言って、人参とは全く別物だ。大体それはお前ら庶民が一生働いたって手に入れられない薬だ!

 何? 娘を売ってでも欲しいだと? 貧乏人に限って高い薬を欲しがる。そんなの飲んだって、普段から不摂生していたら、意味ないんだよ、馬鹿め。

 そういや娘売ったら、溜まった治療費を払えよ。払えないなら、もう二度と、ここへは来るな!!」

 

 いつもこんな感じだった。金持ちから法外な治療費を取るだけではなく、貧乏人からもきちんと治療費をとる。それが嫌なら他所(よそ)へ行けばいい。まあ言っている事はあながち間違いじゃなかったが。

 大体働かずに昼間から酒を呑んで煙草を吸っていたら、いくら高価な薬を飲んだって元気になるわけがない。それに、娘売り飛ばしたらどうやって食べていくんだ。クズめ! と、真っ当な患者は思った。

 

 とは言え、みんなはやはりどうしても前院長先生と比べてしまう。前院長先生は『()()()先生』と誰からも愛され、慕われたお医者様だった。患者は身分関係無しに診てくれて、貧乏人は後払い、または食べ物や品物でも受け取ってくれた。

 それに比べて、今の院長先生は患者を診察する時はトリアージ(優先順位)をする。しかもその選別の基準は(やまい)の重症度ではなく地位や身分、金があるかどうかだ。

 

 王族、公・侯・伯・子・男爵位、騎士、役人、大商人、ギルド長、平民・・・

 

 ついこの間も、馬車にはねられて怪我をした患者が担ぎこまれた時、丁度王家からの呼び出しがあった。すると、院長はその患者を放りっぱなしで城へ行ってしまった。

 

「せめて応急処置だけでもして下さい」

 

 と縋った患者の妻に、院長はこう言った。

 

「王族と市井の職人とどっちが大切だと思っているんだ! その汚い手を離せ!」

 

「貴方はそれでも医者ですか! 前の院長先生なら、目の前の患者を見捨てるような真似はしなかったわ。夜中だって飛んで来てくれたのに」

 

 職人の妻が恨めしそうな顔を向けて言った。するとそれを聞いた院長は苦々しそうな顔をした。

 

「お前らがそうやっていい気になって伯父をこき使ったから、伯父は無理をし過ぎて体を壊して亡くなったんだぞ!

 お前らみたいに好き勝手やって病気になったクズや、役立たずの能無しを助けて、頭が良くて、努力して、人の役に立つ人間の方が先に死ぬなんておかしいとは思わないのか!

 私は伯父のようなお人好しになるつもりはない。文句があるなら他所へ行け!」

 

 その場に居た患者達は誰も反論出来なかった。

 

 そして結局その時は、新米見習い医師のフレールと院長の妹のミレーユが応急処置をして、一番近い他所の医院に運び込んで事なきを得た。

 二人はその職人夫婦に謝罪したが、彼らからは反対にとても感謝された。もし応急処置をされていなかったら後遺症が残って、職人の仕事が続けられなかったかもしれないと、治療をした医者に言われたらしい。

 

「ミレーユさんがお医者さんになってくれたら良かったのにって、街じゃみんな言っていますよ」

 

 職人の妻に言われ、ミレーユは申し訳無さそうにこう言った。

 

「私なんかじゃとても医者になんかなれませんよ。兄みたいに優秀じゃないから。ごめんなさい」

 

「今年あの王立学院を飛び級で卒業されたんでしょ、優秀じゃないですか!」

 

 そう言われてミレーユは苦笑いをした。

 この国では平民でも四年間の義務教育制度があり、大概の者が読み書き計算位はできる。しかし、多くが王立学院へは行かないので、そこで何を学ぶかなどは知らなかった。

 

 確かにミレーユは優等賞をもらうくらい成績が良かったし、飛び級で十六歳で卒業したが、医者を目指せるほどじゃなかった。医者なんて、上位の中でもほんの一握りの秀才だけがなれるのだ。マロウやフレールのように。

 だからこそ医者には高飛車でプライドの高い人間が多いのだ。ろくに遊びもせずに勉強ばかりして、それはそれは苦労して医者になるのだから、それも仕方ないといえば仕方ないのだろう。まあフレールのように、そんなに偉そうな態度をしない医者も稀にはいるが。

 

 ミレーユはいわゆる理数系科目が苦手だった。その上、モルモットを使った実験が出来ない。これは致命的だ。どんな事でもそのうちに慣れるものだよく言われるが、ミレーユには到底無理だと思った。

 ミレーユは実験する為のモルモットをそもそもケージの中から選定出来ない。いや、動物だけじゃない。果物や野菜、一般的な花においても、間引きや芽かきや剪定が出来なかった。

 つまり、こんなミレーユが医者として患者をトリアージ出来るはずがないのだ。兄のような価値観の持ち主ならば、己の決めた基準で平気で簡単に選定出来るだろう。

 しかし、いくら重症度に基づく選別の基準があったとしても、簡単に患者をトリアージするなんて、心の弱い自分には到底無理な話だとミレーユは思っていた。

 


 ミレーユは十三歳年上の兄マロウと二人兄妹なのだが、二人の間には実はあともう二人兄がいた。と言うより、もし二番目の兄が七つで馬車の事故で亡くなっていなければ、ミレーユと双子の兄は生まれてこなかっただろう。

 

 元々両親が子供は二人と決めていたからだ。まあミレーユ達が双子だったので、その後予定外で三人兄妹となったのだが。

 しかしその双子の兄も、奇しくも次兄と同じ七つで、水遊びをしていた川が突如増水し、濁流となった水に流されて亡くなってしまった。ミレーユは長兄のマロウに助けられたが……

 

 次兄が亡くなっていなければ、そもそもミレーユは生まれて来なかった。そしてあの時ミレーユがいなければ、双子の兄は長兄に助けてもらえただろう。

 

『私が今ここに居るのはただの偶然。目に見えない神の気まぐれだ。

 私は神じゃない。たとえ動物だろうと植物だろうと選定なんてできない。

 一つの優れた芽や実の成長を促すために、余分なモノは摘み取る。植物栽培においてそれは大事な事だ。頭では理解出来るのだ。しかし心がついていかない。

 もしかしたら、これは発芽するのが少し遅かっただけで、このまま育てばこちらの方が立派に育つのかもしれない。未来はどうなるかわからないのに、何故今それを判断しなければいけないの? そもそも何故摘まないといけないの?

 

 こんな事を考えてしまう自分は、きっとおかしいのだろう。兄や両親の言う通り……』

 

 近頃ミレーユが毎日兄に叱られているのも、その選定が出来ないからだった。

 

 ミレーユは学院を卒業してから、伯父の遺した医院で兄の手伝いをするために実家から通っている。

 彼女の学生時代の成績はかなり優秀なものだったが、まだまだ女性の勤め先は少ない。特になまじ学院を卒業していると、かえって市井では雇ってはもらえにくくなる。それでミレーユは苦手な兄の医院で受付や医療事務、それに看護助手などをしているのだ。

 

 そして最近それに加えて、薬草栽培をしている母親の手伝いをしろ、とミレーユは兄から命じられていた。しかし、如何(いかん)せん、種を撒いた後の間引きや芽かき作業で、彼女はいつも二の足を踏んでしまうのだ。

 

「畑を耕したり、土を運んだりの肉体労働は平気なんです。進んでやります。

 しかし、トリアージは出来ない。でもそれでいいじゃないですか、そこはお母さんがやれば済むことです。

 そもそも私には動植物に関わる仕事は無理なんです。出来れば鉱山とか炭焼きや石材店、金物工場といった無機物に関した仕事をしたい位です」

 

 そう言ったミレーユはマロウに酷く叱られた。逃げてばかりいないで立ち向かえと。しかし、人間には向き不向きがあるじゃないですか! 

 あなただって、いくら優秀だって、恋人の一人も出来ないじゃないですか! それはあなたが馬鹿みたいにプライドが高くて、全てにおいてお相手より上に立ちたいと思っているからですよ。

 人間どんなに偉くて優秀だって、少しは自分から折れないと人間関係は上手くいかない。それをわかっているくせに、あなただってそれが出来ないじゃないですか!

 

 思わずそう叫んで平手打ちをくらってからは、ミレーユは兄には一切逆らわなくなった。これ以上歯が無くなったら、食事の時に困るから。

 それに、近頃は毎日毎日兄に責められて、かなり精神が追い詰められていた。元々不器用で要領が悪い方だったのだが、以前なら立ち直りはそこそこ早かったのだ。しかし近頃彼女の心は沈みっぱなしで、もう浮上しないような気がしていた。

 

 

 兄の怒鳴り声を聞くのが少しでも短くなるのなら、ただひたすら謝る位何でもない。まあ、薬草を育てられない以上これからも責め続けられるのだろうが。

 気力がまだあるうちに、早く兄の前から消えれば良かった。フレール先生が勧めてくれた時、逃げ出せば良かった。

 

 床に何度も頭を擦りつけているうちに、ミレーユの意識は次第に朦朧としてきた。ミレーユはその薄れ行く意識の中で、今は亡き二人の兄達に謝った。

 

『フレッド兄さんの代わりに生まれてきた筈なのに、こんな出来損ないでごめんなさい。

 グレアム兄さんではなくて、私が生き残ってしまってごめんなさい・・・』

 

 ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱

 

 

 土下座を強要して謝らせ続けた挙げ句、妹を気絶させたという噂が、あっという間に世間に広まった。

 

「名医とか自分で言っていたくせに、妹を虐待して意識をなくさせたんだってよ」

 

「その妹、もう五日も意識が戻らなくて、そろそろ危ないらしいぜ。可哀相に」

 

「そういや、前の院長だった赤ガミ先生もまだ若いのに突然亡くなったし、()()先生の弟二人も幼い頃に亡くなったっていうぞ。変じゃねえか? 医者のうちなのに助けられなかったなんてさ。もしかしたら……」

 

 流言飛語が飛び交い、それがとうとう王城にまで届いてしまった。

 マロウは王城に呼ばれた。しかしそこはいつもの王太子となった第一王子の個室ではなく、サロンであった。

 

「そなたの妹の体調はどうだ。意識は戻ったと聞いたが」

 

「殿下にまでご心配をおかけして申し訳ありません。おかげさまで、一週間前にようやく意識が戻り、今では普通に生活をしております。もう心配はありません」

 

「そうか、それは良かった。ただな、妹殿は少し養生した方が良いのではないかね」

 

「えっ? ええもちろんです。当分は仕事を休ませるつもりです」

 

「そういう事ではなく、君の所ではなく、自然の多い静かな所でゆっくりと静養させてはどうかね?」

 

「どういう意味でしょうか?」

 

 今まで殿下とは自分の妹の話などした事がなかったのに、何故そんな話を持ち出したのかと、マロウは訝しげに尋ねた。あの噂を耳にして、自分が妹を虐待していると疑っているのだろうか…… 馬鹿馬鹿しい。

 

「もしかしたら、巷でのくだらない噂が殿下の耳にまで届いたのでしょうか? 私は妹を大事に思っております。苛めた事など一度たりとありません」

 

 するとそれを聞いた殿下は薄笑いを浮かべた。

 

「本人は苛めているつもりがなくても、相手が苛められていると感じたら、それはもう苛めなんだよ。

 君が気付かないでやっていたのか、それとも意図的にやっていたのか、それはわからない。しかし、周りには君が妹さんを虐げていたように映っていたようだよ。事実彼女は倒れて、何日も意識をなくしていたのだからね。

 実際に手を出していなくても、精神的暴力っていうのもあるだろう。まぁ医者の君にこんな事を言うのもなんだが、案外自分の事はわからないものだからね」

 

「・・・・・・・」

 

「私の知人で保養地に良い別荘を持っている者がいてね、その人物がそこで君の妹殿を面倒を看てくれると言っているのだよ。どうかね?」

 

 王太子の意図するものが何なのかを読めず、マロウは眉を顰めた。

 

「何故殿下が会った事もない私の妹の為に、そこまでして下さるのですか?」

 

「君は私の大切な友人で、しかも命の恩人なのだから、その君のたった一人の妹の心配をするのは当たり前でしょ」

 

「・・・・・」

 

「それに、君以外にも妹殿を大切に思っている人がいてね、その人からもお願いされたんだよ」

 

「誰ですかそれは? 妹に懸想している奴ですか? 何故そんな奴の依頼をお受けになるんですか、王太子殿下ともあろうお方が……」

 

 マロウは驚愕した。王太子殿下に頼み事を出来る位の人物が、何故妹の為に動くのだ? 

 ミレーユは普段、診療所の手伝いと、近所の畑で母親と薬草栽培をしている。そしてたまに学生時代の友人とお茶をする位で、誰かと付き合っている様子はない。ストーカーか?

 それとも患者か? いや、それはない。あの診療所に殿下の知り合いなんか来る訳がない。地位や金がある患者の所へは俺が一人で往診に行っているし。

 

 瞠目したまま立ち尽くしているマロウに、王太子は彼の欲しがっている理由を教えてくれた。しかし、それはあまりにも想像を絶していて、彼はその場にへなへなとしゃがみ込んでしまった。

 

 

 王太子にミレーユの一時保護を願い出たのは、王家の新しいお抱えの医療魔術師だという。

 その昔、王家のお抱え医師はその医療魔術師が務めるのが慣例であった。しかし、魔術を使える者がほとんどいなくなった昨今では、普通の医師が務める事が多くなっていた。そう、マロウのように。

 

 ところが一年前に癒し魔術を使える者がいるという事がわかった。しかもその人物は既に医師の資格まで持っているという。王家は三顧の礼で彼を迎え入れようとしたが、まだ修行中だと固辞された。

 それでも諦めずに要請していたところ、数か月前になって突然、ある条件を呑んでくれたら、要望に応じると言ってきたのだという。その条件というのがミレーユの事だった。


 医者と聞いて、マロウはフレールの事をすぐに思い浮かべた。妹と接点のある医者など彼しかいない。そうか、あの男は魔術師だったのか。

 これは偶然か。初めてあの男を見た時、マロウは彼が死んだ弟のフレッドに似ていると思った。弟も魔力を持っていた。まだ発動したばかりで自分しかそれを知らなかったけれど。

 

 マロウは弟が魔力持ちだと両親には知られたくないと思っていた。何故なら、両親からの愛情や期待を弟に奪われてしまうと思ったからだ。

 だから、十八年前のあの馬車事故の際、崖に引っ掛かって馬車が微妙なバランスで保っていた時、岩壁側にいたマロウは自分だけ外へ逃げ出したのだ。手を伸ばし、兄に向かって助けを求めていた五つ年下の弟を見殺しにして。

 マロウが飛び降りたせいでバランスを崩した馬車は、弟を乗せたまま崖下へと落ちて行った。その時、弟のフレッドはまだ七つだった。

 

 あのような状況下では、自分があの選択をした事は致し方なかったのだ。そうマロウは自分に言い聞かせた。しかし、弟なんか居なくなってしまえばいいと考えた事は事実だったし、どうにかして一緒に助かりたい!と検討する事さえしなかったのだ。だからこそ、どうしても彼の心の中からは罪悪感が消えなかった。 

 その結果、マロウはその罪悪感から逃れる為に、何の関係もない妹に八つ当たりしていたのだ。

 

「フレッドが生きていれば、お前なんか生まれて来なかったのに、役立たず!」

 

 と・・・・・

 

 王太子の話を聞いて、ふと亡くなっている弟のフレッドと見習い医師のフレールの事を考えた。そして、何故単なる仕事仲間に過ぎない妹の為にフレールがそこまでするのか、マロウは不思議に思った。二人の関係は良好だったが、恋人関係だとは彼には到底思えなかった。

 すると王太子殿下はその彼の疑問にこう答えてくれた。

 

「フレール君の本名はね、フレッドというのだそうだよ。子供の頃馬車の事故で崖下に落ちたそうだが、咄嗟に浮遊魔法を使って、地面に激突するのを回避し、一命を取りとめたらしい。でも、生きているのがわかれば見殺しにした兄にいつかまた命が狙われるのではないかと、身を隠そうと思ったらしいよ。そしてその時に、偶然通りかかった隊商に運よく拾われたんだそうだ。

 その後、彼は頭が良かったので、学院に進む事を勧められて王都に戻ってきたが、最初は君の前に姿を現すつもりなんて毛頭なかったらしいよ」

 

 フレールはマロウとだぶっていた一年間を、地味に目立たないように学院生活を送って、接触を避けたそうだ。

 そんな彼が何故半年前にマロウの診療所で働く事になったのかというと、ある日、真夜中に突然彼を訪問してきた七歳位の少年に、こう懇願されたからだ。

 

「フレッド兄さん、僕達の妹を助けて下さい。このままでは妹のミレーユの精神が壊れてしまいます。僕達三人の兄のせいで・・・」

 

 その少年はフレッドの弟のグレアムだった。

 

 十年前の夏、グレアムは家族と一緒に山奥に避暑に行き、そこで双子の妹ミレーユと共に川遊びをしていた。ところが、突然水量があっという間に増えた。上流でダムの水を放出したらしい。

 その時運悪く両親は離れた所にいて、近くにいたのは医学学校が休暇中で、一緒に来ていた兄のマロウだけだった。彼はすぐに救助をしようと川に飛び込んだ。岸に近かったのはグレアムだったが、マロウはまずミレーユの方を先に助け、次にグレアムに手を伸ばしたが間に合わなかった。

 グレアムは濁流に呑まれ、その変わり果てた姿が発見されたのは三日後だった。

 

 両親はマロウを責めたりしなかった。むしろ一人でも助けてくれてありがとうと感謝した。目を離して助けられなかったのは自分達のせいだと。

 

 しかし、この事がまたもやマロウを苦しめた。フレッドへの罪悪感がようやく少し薄れてきたと思ったらこれだ。

 マロウはその辛さから逃げる為に、妹のミレーユに当たるようになった。

 

 自分が死んだのは誰のせいでもない。運が悪かっただけだ。グレアムは死んでからもミレーユが心配でいつも妹の側に寄り添っていた。しかし、学院を卒業して兄の診療所で働き出してから、妹が兄に精神をどんどん追い詰められていくのを見ていて、どうにかしなければならないと思った。

 そんな時偶然街中でフレッドを見かけて、すぐに兄だと感じたという。ああ、兄は生きていたんだ。道理で()()世界で会えなかったわけだ。どうして、家に帰らなかったのだろう? 不思議に思ったが、ミレーユの事を助けてくれるのはこの人しかいない、と直感したのだ。

  

 突然のグレアムの登場にフレッドは当然驚いたが、不思議と恐怖心は抱かなかった。むしろ初めてあったのに、フレッドの方も彼を弟だとすぐに直感した。

 フレッドはグレアムにこう尋ねた。

 

「ねぇ、君は生前魔力を持っていたかい?」

 

「はい。とはいっても亡くなる前日に発動したばかりでしたけど」

 

「その事を誰かに言ったかい?」

 

「はい、マロウ兄さんだけに。父さん達にはもう少し練習してから教えようと思っていました。驚かそうと思って」

 

「やっぱりそうか……

 マロウ兄さんは魔力持ちによっぽどコンプレックスを持っていたんだね。魔力のある無しで、親の愛情が変わる訳じゃないだろうに。

 長男で成績優秀で、父さん達だけじゃなくて僕だって、兄さんをとても誇りに思っていたし、愛していたのに。

 兄さんは全てにおいて、自分だけが愛される事を基準に物事を選択していたんだね」

 


「弟のグレアム君の話を聞いて、フレッド君は妹殿が心配になって、君の所で働き出したんだそうだよ。そして君が自分の罪悪感を誤魔化す為に妹さんを苦しめているのを見て、彼女に君と離れるように促していたそうだが、精神的に追い詰められていた彼女はそれが出来ずに倒れてしまった。だから、私の依頼を受けてくれたんだよ。妹殿を助ける事を条件にして」

 

 ガクガクと震え出したマロウに、王太子は追い打ちをかけるように、ニッコリ微笑みながらこう言った。

 

「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。君は何一つ法を犯してはいないのだから。君は君にとって有利になる方をただ選択しただけなのだからね。 

 学生時代、学院の王族控室に暴漢が押し入った事があったよね。その時君は、正妃の息子で第二王子の弟ではなくて、側妃の息子である私を優先して助けてくれたよね。

 私は君に助けられた事をずっと感謝していたんだが、今思えば私が王太子になった方が、王族に近づくチャンスがあると思ったからだったんだろう? 弟の側近はすでに、高位貴族の子弟達で固められていたからね。

 ドアの近くに倒れていたのは弟の方で、しかも怪我の具合も、私より弟が重い事は一目瞭然だった。それなのに君が私をまず助けたのはそういう事なのだろう?

 弟はもう少し手当てが早かったら、片足を切断する必要はなかった。まあ、君のせいじゃないがね」

 

 そう言った王太子の両手がブルブルと震えていた。そしてマロウを見つめる目は酷く冷たいものだった。

 

「私は、そんな忖度はしていません。同級生だった殿下をいち早くお助けしたいと、ただそう思って体が動いただけです」

 

 マロウは必死に言い募った。

 すると王太子はこう言った。

 

「さっきも言ったが、そんなに怯える事はないよ。君はどんな時も冷静に損得を考えて選択が出来る。それは素晴らしい事だよ。

 だが、いつ寝返るかわからない者に脈をとってもらうのはごめんだから、私の主治医は辞めてもらう。

 そして最前線の軍医になってもらうよ。普通の医者に任すのは少々酷だが、君なら無情に冷静にトリアージして、国の為に必要な兵士を選別して助けてくれるだろう? 君は適任だ」

 

 マロウは呆然として、微笑みを浮かべる王太子を見上げたのだった。

 

 

 その後マロウは家族を捨てて国外へ出国した。

 そして診療所には、王家の新しいお抱えの医療魔術師となったフレールことフレッドが戻ってきて跡を継ぎ、妹に手伝ってもらいながら診察にあたった。

 ミレーユはその後も相変わらず薬草のトリアージに頭を悩ませた。しかし、今は優しい兄二人がいつでもアドバイスをしてくれるし、ゆっくり答えを出すのを待ってくれる。すぐに決断出来なくても、もう誰にも叱られる事はなかった。

 

 両親は半年以上息子に気付かなかった事、娘の苦しみを察する事が出来なかった事を泣いて侘びた。しかし彼らも二人の子供を亡くして、自分達の心を守るのに精一杯だったのだ・・・

 

 

 読んで下さってありがとうございました。

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