ミニチュア
何でもかんでもミニチュアにしたらいいというわけではないと思う。
しかしながら、何でもかんでもミニチュアにしたら、かわいくなるのはどうしてだろう。
私はミニチュアなものが欲しくなる。
たぶん最初はグリコから始まったのだろうと思う。
誰もが手にしたグリコのおもちゃ。
当時は何が出るかな? という、くじ的な感覚で箱を開けていたと思う。
ただ、おもちゃが増えることがうれしいだけで、そのものの魅力には気が付いていなかったかもしれない。
だとしてもあの経験が好きで今の自分がいるのだろうと回想している。
最近グリコを食べてないから、買ってみようかなと思う。
それから数年前に食玩ブームが来た。私もそれに乗っかった。
ただその頃のものはほとんど処分してしまった。
今はとてつもなく後悔している。
唯一残っているものは私の職場に置いてある、ミニチュアそばシリーズの食玩のみ。
小さいショーケースに入れて保存している。
私のお気に入りは、海老天そば(温)。
職場をなんだと思っている、という意見には返す言葉がない。
最近は百円ショップでもミニチュアのものが買える。
百円だからと買い物をしていると、あれよあれよと値段がかさむ。
そして次から次へと新作が出る。
たぶんフィギュアの展示や撮影用に使うのだろうと思われるけれど、そのもの自体に魅力がある。
私の部屋にはミニチュアのものがいくつか置いてある。
机の隅っこ、本棚の上、ラックの一角などなど。
スペースを見つけてはミニチュアの空間を作る。
いや、モノを買ってから、スペースを作っていると言ったほうが正しい順番だ。
スペースがあるから買うのではない。買うからスペースができる。
みんな知らないようだけど、これが真実。これが理。たぶん。
少し趣向が違うけれど、ジオラマも同じようにわくわくする。
これは多くの人が感じるものだと思う。
私は鉄道に興味はない。けれど鉄道好きじゃなくてもNゲージの魅力はわかるはず。
湯河原にある西村京太郎記念館には彼の自慢のNゲージのジオラマが置いてある。
西伊豆にある加山雄三ミュージアムにも同じように立派なHOゲージのジオラマが置いてあった。
特に西村氏のものには、いくつか殺人現場が再現されており、彼らしい計らいについつい時間を忘れて見とれてしまう。
小さい世界がそこにあると思うとなんだかロマンを感じる。
最近は職場のある地域の役所を建て替えるらしく、ロビーに完成予定のジオラマが展示されており、目が釘付けになる。
ドラえもんのスモールライトがあったらなと思う。