16.コールサイン
「中、入ってて。カギは掛かってない。」
車を無線室の家の前に止めた尚樹は、そう言い置いて車を降り、ガレージに向かう。言われた奈美は、頭にヘッドライトをつけて、助手席から降りる。
尚樹が、懐中電灯を口にくわえてガラガラとガレージのシャッターを開けているのを横目で見ながら、そーっと鉄格子の小さな門を開ける。
「おじゃましまーす。」
門を入ってすぐ玄関の扉がある。ドアのノブをそうっとまわして扉を開ける。
「こんばんわぁ……。」
小声で言いながら首を隙間からそうっと差し込んできょろきょろ見回す。玄関がヘッドライトに照らされる。上がり口にスリッパがいくつか並んでいるのが見える。
と、後ろで発電機のエンジンを掛ける音がしてびくっとした。
ギュンギューン、ゴロゴロゴロゴロ、ブルンブルン、ブルブルブルブル……。
掛かったらしい。
パッと、玄関に明かりがつく。
「わっ。びっくりした。」
玄関が明るく浮かび上がる。ごく普通の民家の玄関だ。
すっ、と扉の重みが消え、びくっとし、
「おぉ、上がれ上がれ。」
「わっ。」
声を掛けられて、またびっくりする。
「お、すまん。ほれ、上がれ。」
尚樹は言いながら、ずかずかと玄関に入り、靴を脱いでスリッパを履く。
「こっちな。」
言い置いて、さっさと正面にある階段を登っていく。
「ちょ、ちょっとぉ、」
奈美は靴を脱ぎ散らかし、慌ててスリッパを履いて後を追う。二階に上がると手前の部屋の扉が少し開いていて光が漏れている。
(ここかな?)
そっと少し扉を開けると尚樹の背中が見えたので、そのまま中に入る。
「わぁっ。」
壁一面のなんだかわからない機械が目に入り、思わず声が出る。
「すごいだろ。」
「うん、なにこれ。」
「無線機。」
「これ全部?」
「うん、ほとんど。」
「なんでこんなに?」
「多分ほとんどはコレクションと予備機かな? 普段使ってたのは、せいぜい10台くらいだと思う。」
「へぇ……」
大きさは幅が十数センチから数十センチ、高さが数センチから十数センチ。ずらりとならんだそれらの機械の正面には各々大きいダイヤルと電卓みたいな液晶がひとつかふたつ、それから小さなつまみやボタンやスイッチが何個も並んでいる。中にはカーナビみたいな液晶画面を備えたものもある。隅のほうには俗に言うトランシーバめいたものもいくつか見える。
「ちょっと時間越えちゃったな。声出しとくか。」
机の上の時計は7時を5分ほど過ぎた辺りを指している。尚樹は机の上に置いてある比較的小さな無線機のスイッチを入れて周波数を確認し、マイクに向かってしゃべりはじめる。
「こちら、JA1Y○W、JA1Y○W、どちらか感度ありますか?」
電波を切ると、シャーというノイズが聞こえてくるが、小さなつまみをちょっと回すとそれも消えた。
「ん、だれも聞いてないね。」
苦笑いして、尚樹が振り返る。
「なにいまの?」
「え? なにが?」
「ジャパンアメリカとか」
「あぁ、コールサイン。」
「?」
「無線局には国から割り振られた番号みたいなのがあるの。」
「へぇ、で、ジャパンなんだ。」
「んーと、それはね、いまのでいうと「JA1Y○W」っていうのがコールサインていう、国からもらった番号というか記号というか、なの。で、無線でしゃべる時は「最初にそれを言いなさい」って法律があって、でも無線を通すと聞き取りにくいから「J」だと「ジャパン」とか「ジュリエット」とか、頭文字が「J」の単語にして言ってあげるんだよ。」
ちなみに、このコールサインは無線室のおっさんの所属してた無線の愛好会のクラブコールだ。隅に何本か置いてあるトロフィーに書いてあった。ここから電波を出してるんだから、あながち嘘でもない。そう誰が何と言おうと尚樹はこのクラブの一員なのだ。何か言う人は多分もういないけど。
「ふーん。」
ノートを広げて「JA1Y○W」と大きく書いて、鉛筆で1文字づつ指しながら説明を続ける。
「だから2回コールサインを言うときに、一回目は普通に、J ・ A ・ 1 ・ Y ・ ○ ・ Wって言って、同じことを、二回目は、J ・ A ・ 1 ・ Y ・ ○・W、って言ったの。」
「ほー、そのJがジャパンだったのね。なるほど、なにやら難しい。」
あまり聞く気はないらしい。
「そうかな? ま、慣れちゃってるからね。」
苦笑い。
「もう一回、ねんのため普通の言葉でも聞いて見とくよ。」
マイクを握ってゆっくりしゃべる。
「えーと、どなたか聴こえてますか? 聴こえてたらお返事くださーい。」
電波を切ると静寂が広がる。
「だれも聴いてないね。」
「みたいだねぇ。」
「あのさ。」
奈美は無線機のつまみを触っている尚樹の背中に、遠慮がちに言う。
「うん?」
「お腹すいた。」
「あー、そりゃそうか。ごめん。」
「8時までここにいるんでしょ?」
「一応ね、約束だから。」
「お腹すいた。」
「えーと、じゃあ、どうしよう。えーと、あ、ここにいてもらっていい?」
「うん。いればいいだけ?」
「なんか聴こえたら、ここに、向こうにあったのとおんなじマニュアルがあるから、適当に答えてあげて。」
「あー、うん、わかった。」
「ひとっぱしり、カセットコンロと水と非常食を取ってくるよ。」
「ありがと。」
「気にしないで。道わからんだろうから俺が行くしかない。」
それに女の子の夜道の一人歩きはよくない。言わないけど。
「うん。」
「非常食のリクエストある?」
「宝くじでいいよ。」
「わかった。他にいるものある?」
「うーん、べつに。だって8時には戻るでしょ?」
「うん。じゃ、車借りるね。」
「もちろん。あ、魚のクーラーは降ろしてきてくれると嬉しいかな?」
「わかった。」
「どのくらいで戻る?」
「10分かかんない……かな? いや、向こうで積んだり降ろしたりがあるから…… それでも15分とか?」
「近いね。よろしく。」
「あ、そうだ。これ。」
と云って、棚のトランシーバみたいな無線機を2つ取って、ひとつを渡す。
「多分、電波、届くと思うんだよね。」
「おおっ? これも無線機? おもちゃみたい。」
「このあいだテストに使ったやつだから、たぶんまだ電池も……」
言いながら、自分のと奈美のとの電源を入れると、両方からサァーというノイズが聴こえる。
「うん、OK。ここ押すと話せる。やってみて?」
「ここ?」
奈美が無線機のボタンを押してすぐ離す。尚樹の無線機から「(ざっ)」と音がする。
「押したまましゃべってみて。」
「「あーあーあー」(ざっ)」
しゃべってからボタンを離す。無線機からもちょっと遅れた奈美の声がして、エコーっぽい。
「おお、OKOK。なんかあったらこれで。」
「わかった。ありがと。気をつけてね。」
「うん。」
尚樹が階段を降りて玄関から出て行く音がして、静けさが広がる。と、思ったら無線機がしゃべった。
「聞こえる? (ざっ)」
(うわっ)
慌てて無線機のボタンを押す。
「びっくりした、聞こえる聞こえる。」
「OKOK。んじゃ。いってきます。(ざっ)」
「いってらっしゃーい。」
「(ざっ)」
(いってらっしゃいだって、新婚さんみたい。)
ひとりでくすっと笑う。
(あ、洗濯物取り込んでもらえばよかった。ん? 待って。あの下着を見せるわけにはっ!)
言わなくてよかったと、ひとりほっとするのだった。
電気屋なのにすっかり無線屋風。




