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自分の声、体、心、そして行動原理。

作者: 薄氷

「自分の声に違和感を感じる」

 この嫌とは言えない感情を私はどう表現すればいいものかといつも困る。


 嫌というわけでもない。ただなにか違和感を持ってしまう。先日カラオケに行ったということで自分の声がよくわかったというものだが、なおさら違和感が増す。多分自分の声に自由さが欠けているのではないのかということが原因なのではと自分では考える。


「自由さ」、要は自分が出せる声の幅のことである。

 しかも、高くもなく、低くもない、いわば特徴のない声の幅を持ってしまっているためである。高いも低いも、その特徴を生かすことができるがその逆に、並な音程しか出ないような私のような人間は、声を武器にすることは難しいだろう。平均こそが素晴らしいといわれているライトノベルに文句を言いに行きたいぐらいである。


 明るく考えれば、少し変えるだけで高く感じさせることもできれば、低く感じさせることもできる。私のような人間でも活路というものは必ず存在するというころである。まあここまでポジティブな思考を皆がお持ちであるのならばここまで人間が何よりも恐ろしいなんてこの現実では言われないのだが……。私もそのポジティブな思考を持てない人間の一人であるため、こんな文章をつづっているのだが。


 結局そんなことを考えることが無駄だと考えた。吹っ切れた方が利が高い。考えないためにも新しいことに挑戦しよう。そう考えた。


 新しいこと、といっても今までの私は「腐っていた。」という言葉が似あうぐらいの人間であり、新しいことすら考えないで“脳死”で活動していたといっていいだろう。ただこの現状に脳がピークを迎えたのか、神様が見飽きたのかは知れないが、私に新しいこと、新鮮なもの、いろいろな“私を人間に戻すもの”をくれた。これでも動かなかった場合、私が人間であることを否定されるような気がしたので私も動いた。そして今この文章を綴り、新しいことによって生まれ変わろうとしている。いや、もうその行動をした時点で変わっているのかもしれないが、私の体と心は、一定の行動を示さないと変わったことを許してはくれない。そのため私はもう少し頑張らなければいけないようだ。


 私という人間はよくできた人間ではない。慈善活動をしている人間にもすごいという言葉を残すことしかできないし、その人なりに頑張っていることでもあざ笑うことがある。そんな人間だからこそ、“形”にこだわり、“実物”を欲する。


【そんな人間は成功するのか、試すために私は生きているのかもしれない。】


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