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いっしょだよ



「かづくん!」



 そう叫んだのと同時に、澄花(すみか)の視界は真っ赤に染まった。薄暗い場所から鮮やかな場所へ。急激に色づいた世界はあまりにも眩しくて、澄花は思わず両腕で顔を覆った。


 しばらくすると目が慣れてきて、部屋の様子が明らかとなる。部屋の向かい側にも障子があって、そこから障子紙では軽減できないくらいに眩しい夕日が部屋いっぱいに射し込んでいたのだ。あちら側から外に出られるかもしれない。澄花の心はほんの少しだけ軽くなった。


 この部屋もやはり、畳張りの古びた和室だった。部屋の左手は壁、右手には襖がある。その奥は押し入れだろうか。

 部屋の真ん中には、見覚えのないぬいぐるみが放り出されている。その傍に、投げ捨てられた金平糖の袋。中身はばらばらにぶちまけられて、部屋の四方に飛び散っている。


 そして、花月(かづき)の姿は――そこにはなかった。



「かづくん、迎えにきたよ」



 花月がいない。ここにもいない。

 不安でいっぱいになった澄花の声は小さくて、震えていた。

 どうしよう。花月がいない、どこにもいない……


 すると、その時。

 部屋の右手から、カリカリと引っ掻くような音がした。襖の方だ。

 ああ。そういえば、花月は狭いところが好きだった。ひとりぼっちで不安になって、押し入れの中でずっとずっと待っていたのだろう。



「頑張ったね、怖かったよね」



 澄花は襖を開けた。ほら、来たよ。もう大丈夫だよ――



 押し入れは上下に別れていて、上の段には畳んだ布団がしまってあった。下の段は空っぽだった。そこに、うずくまる小さな人影が。



「かづくん」


「……すみちゃん?」



 人影は顔を上げて、澄花を見た。夕日に照らされたその顔は、間違いない。探し続けた花月の顔だ。



「ああ……よかった。かづくん、ごめん……ごめんね」



 いいよ、だいじょうぶだよ。そう返事するように、花月が澄花へと手を伸ばす。澄花は花月の小さな手を、右手でしっかりと握った。もう離さない。ずっと一緒だよ、一緒に帰ろうね……


 そうして花月を立たせようと、繋いだ手を引っ張りかけた。その時だ。



「すみちゃん!」



 緊張した声で希花(きはな)が叫ぶ。そういえば、澄花の意識から希花のことが抜けていた。さっき、部屋に入った時だ。眩しすぎて目を覆った。その時、希花から手を離してしまったことを澄花は思い出した。


 でも、ちゃんと同じ場所にいる。三人一緒なら、もう大丈夫。澄花の心にはそんな余裕すら生まれていたが、張りつめた希花の声が気になった。どうしたのだろう、と澄花は顔を背後に向ける。



「すみちゃん、何してるの? かづくんは、ここにいるよ」



 部屋の真ん中あたりから、希花が訝しげな目で澄花を見ている。希花の腕の中には、花月の姿があった。泣き腫らした顔が、きょとんとしてこちらを向いている。



「なん……で……」



 じゃあ……じゃあ、この子は?



『すみちゃん、すみちゃん、どうしたの』



 今、手を繋いでいるのは、誰?



『すみちゃん、すーみーちゃーん!』



 この子は花月。そう思ってしまったのに、なぜだか振り向く勇気が出ない。



『すみちゃん、すみちゃん、お返事して。いじわるしないでよ』



 後ろから、花月の声が澄花を呼ぶ。それは最初、確かに花月の声だった。



『すみちゃん、すみちゃん、ねえ、すみちゃん、すみちゃんすみちゃんすみちゃん――』



 それなのに、どんどん歪んでゆく。どんどん険しく、低く……




  ナナツ……カミノウチ……シッパイダ……




 しわがれた囁き声が、風のように澄花の横を通り過ぎた。

 同時に、繋いだ方の澄花の手の中で、ドロリ。小さな手が、形をなくしていく感覚がした。


 溶け落ちたそれ(・・)が、グチャ。畳の上に落ちた音で、澄花ははっと我に返った。



「――――っ!!」



 声にならない悲鳴を上げて、澄花は希花たちの方に駆け寄った。ベッタリと手に残る何かを畳に擦りつけ、恐る恐る押し入れの中に目を向けた。



 肉塊だとか、死体だとか。おぞましいものを想像した。

 けれども押し入れの中には、澄花が想像したようなものはなかった。

 ただ、そこには――小さな子がいたはずのそこには、大量の髪の毛の山がった。


 澄花は呼吸を止めて、自分の手に目をやった。手には、血が滲んでいる。狂ったように畳に擦りつけたから。そして、自分の血以外、何もついていなかった。



「行くよ!」



 呆然とする澄花を、希花が無理矢理引っ張って立たせた。希花の左手には花月。右手には澄花。

 希花も押し入れの中にあるものを見ていた。気味が悪くて、叫びだしたかった。しかし、様子のおかしい澄花を見て、自分がしっかりしなくては。そうやって勇気を奮い立たせたのだ。


 蹴飛ばすようにして、希花は入ってきた方と反対側の障子を開けた。その先が外に通じていると思ったからだ。


 だが、そこには思いもよらない光景が広がっていた。


 部屋に射し込むのは、夕日の赤だと思っていた。

 でも、違った。反対側の障子を開けた先を見て、希花はごくりと息を呑む。



「眩しい……」



 開いた障子の向こう側は、外ではなかった。さっきと同じ、長い長い廊下。そして、両脇にずらりと並ぶ障子の列。


 しかし、様子がずいぶんと違っていた。さっきの廊下は小綺麗で、少しの乱れもなく、整然としていた。なのに、こちらの廊下は……


 まず、向かいの障子にベッタリと、赤。部屋の中から強烈な光が漏れて、目に染みる赤い光が廊下に充ち溢れていた。



「……血?」



 艶を帯びて、真っ赤で……今しがた、流れ出たばかりの血ような。

 

 廊下はさっきと同じで、奥の方までずるずると続いている。その両脇には障子の列が延々と並ぶ。そのすべてが、ボロボロに朽ち果てていた。板が外れ、障子は破れ、どす黒い染みが点々点々……


 あまりにも異様な光景に、花月が泣き出してしまった。希花も恐怖に襲われ、足が動かない。喉の奥が乾いてゆく。身体が震えて、呼吸が上手く出来ない。目を閉じて、見ないふりをして、何もかもを無かったことにしてしまいたい――



「逃げるよ。絶対手を離さないで」



 その時、澄花がそう言った。よくとおる声だった。希花も花月も、はっとした様子で澄花を見上げる。



「後ろを向いちゃダメ……走るよ」



 ふと、希花の耳がカサカサと乾いた音をとらえた。それは三人の背後から、どんどんこちらに近づいてくる。


 澄花は走り出した。前だけを見据え、一心不乱に。澄花も怖かった。弟妹の走りに合わせられるような余裕はなかった。



『いじわる、うひ……いじわる、いじわる、いじわるいじわるいじわる!!!』



 幼い子の声が聞こえてくる。舌足らずな声で、三人を責め立てる。

 カサカサ、カリカリ……それから、重たい何かを引きずるような音がする。



『ひどいよひどいよひどいよひどいひどいヒドイヒドイヒドイ』



 声はいつしか、耳を塞ぎたくなるような金切り声になっていた。希花はそれを追い払うように、甲高い悲鳴を上げた。花月は泣き止まないままで、それでも必死に姉たちに続いて走る。そんな弟妹を率いる澄花は、とうとう、廊下の終わりに到達しようとしていた。


 突き当たりに見えたのは、引き戸。その中に逃げ込んで、扉を閉めてしまおう。急げ。早く、早く早く早く。



『おか……さ……』



 泣きそうな声が、切れ切れに何か言ったのが聞こえた。澄花は頭を振ってそれを追いやり、歯を食いしばる。精一杯手を伸ばして、突き当たりの戸を開く。



 その時、ふわり。澄花の身体が宙に浮いた。

 何が起きたのかはわからない。下を見ると、開いた戸がそこにあった。まるで、廊下がぐるりと前方に回転したかのように。



「きはなちゃん! かづくん!」



 澄花はふたりの名前を呼んだ。振り返ると、希花も花月も呆然とした顔で宙に投げ出されている。そのままゆっくりと、下へと落ちてゆく。開いた戸の方へ、先の見えない真っ暗闇の中へ……ゆっくりと、ゆっくりと。



  ……ツギハ……ツバナレ……



 また、しわがれた声がした。どんどんと落ちてゆく三人の横を、すっと追い越して消えてゆく。


 そして……また、何もわからなくなった。




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