第7話 「兄さんが上で、私が下」
あらすじ
天地博士の大胆告白
あれからなんやかんやあって、10畳程度の部屋の中は落ち着きを取り戻していた。
「どうやら少し取り乱していたようね。まぁ、変な事を口走ったりしていないから。いないからね」
白衣を翻しながら、天地博士はやたらに「言ってない」事を強調してくる。
散々ダメージを受けて自我を失っていた天地博士だったが、雪絵さんの介護のお陰で立ち直っていた。確かにいつもの天地博士である。
尊大な天地博士が気に入らないのか、晴香は短い髪を逆立てて威嚇している。
「さて、それじゃあ、事の元凶は退場しましょうねー」
「これから妹君と話があるのよ」
俺は天地博士と雪絵さんに両脇を固められる。そのまま引きずられるように玄関までやってくると、外へと蹴飛ばされた。文字通り、本当に足で蹴ってきた。
「え? なんで俺蹴られてるの? 何かしました?」
無言で扉を閉じられると、ガチャと鍵がかかる音がする。その上、小さくカチャリと音がした。チェーンロックまでしやがった。これでは部屋に戻る事ができないので、空に浮かぶ雲を観察することにした。
※
10畳の部屋は3人の女子(?)が残っている。
4人から3人へ減ったとはいえ、この部屋が狭いことに変わりは無い。
おまけのようにくっついているキッチン、部屋を圧迫する2段ベッドに冷蔵庫、今時珍しいブラウン管テレビ、3人が囲むテーブル。生活するのに最低限のものしかない。
「本当ならこの部屋を見てまず話さなくてはならない事があるのよ。ちょっと予定が狂ったけど」
大吾を追い払い、無双は自分の席に戻ってくると、白衣が皺にならないように腰を下ろした。同じく雪絵も自分の席へ着くと、今度はクッキーを食べ始めた。
「まず確認したいのだけど、貴女は大吾と一緒に暮らしているのよね?」
「そうよ。当然じゃない。私と兄さんが一つ屋根の下で暮らさなかったことはないわ」
答えにどう反応しようか困った無双は、若干眉根を動かした。
「寝る時はどうしているのかなー?」
「同じベッドで寝ているに決まっているじゃない」
雪絵もこれを聞き逃せなかったのか、クッキーを齧る手を止める。
視線を集めた晴香は少し気圧され、訂正をせざるを得なくなった。
「兄さんが上で、私が下」
これだけの言葉だと何か別の意味に聞こえてしまったのか、無双と雪絵は少し顔を桜色に染めると、俯いてしまった。
晴香はその意味がわからず、首をかしげていた。
「お風呂とかトイレとかどうしてるの?」
「2人で暮らしているんだから、同じものを使っているわ」
「「そういう意味じゃなくて!」」
ついに無双と雪絵の声がはもった。
「風呂上りどうしてるの? まさか、バスタオル1枚でいるなんて事ないわよね!」
「? お風呂上りはバスタオル1枚が基本でしょ」
「トイレとか、音が気にならないのかしらー?」
「誰でも音は出るに決まってますよね」
2人は質問の意図が全く伝わっていないことに歯噛みしながら頭を抱えた。だが、伝えたいのはそれじゃないということは伝わったようで、視線を左上に動かした後に何かに気付いた。
「男女の関係についてですね。1つ同じ部屋にいて男女に何も起こらないはずもなく――」
「何があったの!?」
無双はテーブルに乗り出して晴香を問い詰めようとする。すると、彼女は苦い表情を作ると両手の拳をテーブルに叩き付けた。
「何も起きなかったの! 兄さんが襲いやすいように、ベッドは私が下、わざとバスタオル1枚で誘惑してみたりしても、何も反応しないの! これっておかしいですよね?」
晴香の本音は2人をドン引きさせた。
何かしらの反応を示すと思っていたが、まさかひょうたんから駒ではなく、隕石が出てくるなんて夢にも思わなかったようだ。
「いや、何もないならいいじゃない。血の繋がった兄妹でしょ……」
「違う、そうじゃないの! 正真正銘の血の繋がった兄妹だからいいんです。兄さんが私に手を出せば既成事実ができるでしょ? それをネタに脅せば一生一緒に暮らせますよね」
想像を超えたサイコパスっぷりに2人の頭に1つの単語が脳裏をよぎった「ヤンデレ」否「ガチヤン(ガチで病んでるやベー奴)」である。
このままでは人の道を踏み外しかねない兄妹を、正しい道に導く必要があると2人は確信した。特に妹は矯正どころか、強制が必要なレベルである。雪絵が頷くと、それに呼応し無双も頷いた。
「ねぇ、晴香ちゃん。もっと別のアプローチでお兄さんを攻めてみたらどうかしらー?」
「別のアプローチですか……」
雪絵はお菓子を食べる手を止めてまで妹への説得を試みる。アプローチという言葉が功を成したのか、妹は興味を持ったようだ。このまま畳み掛ければこちらの思い通りにいけると踏んだ。
「こんなのはどうかなー。下のベッドはお兄さんへ譲って、お風呂あがりはバスタオル1枚をやめてみるといいんじゃないかなー」
雪絵の声に晴香の体が震え始め、その視線は雪絵を捉えて離さない。
「し、師匠……」
「え?」
晴香は両手で雪絵の手を握ると、感涙の涙を流し始めた。その様子は神へ自らの命を捧げる信奉者よりも相手を敬う最上の行為だった。
その行為に雪絵は困惑するばかりだった。
「つまり、こういうことですよね。バスタオル1枚をやめて全裸になって、下で寝る兄さんを襲うんですね。私のやり方にはまだ積極性が足りなかったのですね」
2人は愕然とした。「そうきたか」という思いは、かつてない程にシンクロし、以心伝心をも超えたもっと凄い何かになっていた。
師匠と敬われた雪絵はガクッと崩れ落ち、再起不能は回避できない状態である。
そんな雪絵は無双に向けてハンドシグナルを試みる。
「ア・ト・ハ・オ・ネ・ガ・イ・シ・マ・ス」
「ワ・タ・シ・ニ・マ・カ・セ・テ」
今度は返事をした無双が挑む番である。これからチョモランマに挑むかごとく覚悟を決めた。
「そうじゃなくて、髪を留めてるヘアピンを変てはどうだ? 今の飾りがないものより、花がついてる可愛いのもがいい――」
「ペッ」
無双が言葉を終える前に晴香は唾棄していた。実際、唾は吐いていないが、そのうんざりした表情とふてぶてしい態度は、部屋の外なら間違いなく唾を吐いていた。
「は? 何ですか、それ。いっぺん地獄に落ちてからやり直したほうがいいですよ」
「それって、来世って事!?」
相手は手強く、無双と雪絵の想像は地球1個分程を超える程に実力を見間違えてしまった。
勝てるわけがなかったのだ。
※
空が夕焼けで綺麗な紅になっているのを楽しいんでいたら、部屋の鍵が開き扉が開いた。
そこからはやつれにやつれた天地博士と雪絵さんの姿があった。
こちらに視線を向けるのも億劫なのか、2人して空を見つめている。さぞかし綺麗な夕焼けが見られたことだろう。
「もう帰るんですか? 夕飯くらいご馳走しますよ」
言葉をかけても2人は相変わらずな様子だったが、突然肩を掴んでこちらを睨んできた。
「いい大吾、晴香に気を許しては駄目よ。いつも目を放さないようにしなさい」
「はぁ。兄ですから、妹の事はいつも見てますよ」
「妹ちゃんへ手を出したら絶対に人生を棒に振るからね。まっとうに生きたいなら、絶対駄目だからね」
「妹に手を出したらそうなるのは普通なのでは?」
2人は背を向けながら手を振り帰っていく。結局何がしたかったのかいまいちわからなかった。
ここにいても仕方ないので、部屋に戻ることにした。
すると、晴香がすたすたとこちらに歩み寄ってくる。
「兄さん。ベッドを交換しない? 私が上で、兄さんは下で」
「駄目だ。お前が上なんて危険すぎる。ベッドから落て怪我なんてしたら、俺が生きていけない。わかってくれ」
提案を却下してでも、妹を守るのは兄の仕事だ。
「兄さん、大好き」