第6話 「馬鹿じゃないのこの兄妹」
あらすじ
ブレザー天地博士
控えめに言って、とても居心地が悪い。
視線を這わせて口を閉ざす天地博士、チョコを口に運びながらこちらを睨む雪絵さん、視線で2人を牽制する妹の晴香。
1Kという小さな部屋に4人の男女がテーブルを囲んでいる。
誰もが真顔で口を閉ざしている。一触即発という感じで、誰かが言葉を口にするとパワーバランスが崩れ、アルマゲドンが勃発する。そうなったら、俺は大地に立っていられる自信が無い。
何故、こんなことになってしまったのか――
※
「定時になりましたので、俺は帰りますね」
定時である17時までシミュレータによる特訓を行っていた。正確に言えば、ただゲームをしていただけなのだが。
今日も晴香に夕飯を作ってやらなくてはならない。
「ちょっと待ちなさい。大吾の家って確かここから近かったわよね」
シミュレータを片付け、立ち上がったところを後ろから呼び止められる。嫌な予感しかない。
俺の背後には出口と天地博士と雪絵さん。目の前にはセンセイ。いつものフォーメーションだが、今は作為的なものを感じる。
「そんなに近くないと思いますけど?」
「安心して、大吾の家なら履歴書でばっちり知ってるから、これぐらいの距離なら十分近いわ」
やはりこう来たか。こんな事を聞かれるということは間違いなく、これから家に来るという展開になる。それだけはご遠慮願わねばならない。
「そうですか? それじゃあ、お先に失礼します」
出口は後方、さり気なく2人の隣を通って――
「家族に妹がいるとのたまっていたけど……本当かな?」
がっちり肩をつかまれた。この先の展開を考えてみよう。
妹がいる→挨拶したい→家へ
妹がいない→確認したい→家へ
絶望しかない。
振り向くと下卑た顔の天地博士とクッキーを食べながら笑顔を浮かべる雪絵さん。すぐに視線を戻し、つぶらな瞳のセンセイに救援を求めた。今、このタイミングで自分に振るのかとセンセイは驚きの顔をする。
「天地博士、雪絵くん、それは流石に――」
「今日の晩御飯はハンバーグがいいかしら? 勿論、たまねぎ入り」
「大吾、時には諦めも肝心だ」
雪絵さんの恐怖政治にはセンセイも太刀打ちできないようで、とても素敵なイケボで降伏勧告された。もう逃げられないことが確定した瞬間だった。
「狭くて何も無くつまらないところですが、もしよろしければいらして下さいませんか?」
俺は敗北した。
※
とある町の一角。2階建てのアパートの1階、その隅の部屋が俺と晴香が住む部屋だ。
クリーム色の扉の前には、俺とその後ろに天地博士と雪絵さん。一度視線を後方に送ってから、観念してドアノブを握った。
「ただいま、晴香」
いつも通り部屋に入ると、こちらに向かってくる足音が聞こえた。
「お帰り、兄さん」
屈託の無い笑顔を浮かべるショートカットの少女は妹である晴香、いつもの通り可愛い奴だ。
「手洗い、うがいは行ったか?」
「はい、帰宅後速やかに行いました」
いつもの確認を行うと、晴香は大きく頷く。
ここから一連のやり取りは帰宅後に必ず行う、所謂習慣というものだ。今日が特別というわけではないことをここに記しておく。
「よし、立派だ。次に悪い虫はついていないか?」
「当然であります。兄さん以外の男に興味はありません」
「よーし、その言葉で安心したぞ」
晴香の頭をなでてやると、くすぐったそうに目を細める。
「それじゃあ、今度はこっちだね。手洗い、うがいは行いましたか?」
「ははは。帰ってきたばっかりだから、これから行うよ」
「よろしい。次に雌豚に言い寄られなかった?」
「……それは」
言葉に詰まり、後方へ視線を向ける、晴香は首をかしげ、扉の外に目をやる。そこには当然、あの2人がいる訳で、こういうのは前門の虎に後門の狼というのだったか。
「どうして、雌豚が二匹もいるの?」
晴香はいつもの通りに大真面目でそんな事を言う。
「馬鹿じゃないのこの兄妹」
ついに、妹と仕事関係者が出会ってしまった。それはこれから悪夢が始まることを意味し、最大の不幸が訪れる前触れであった。
※
冷戦状態の現在から逃げる為に俺は取っておきの逃走手段を使うしかない。
「お客様にはお茶を出さないといけないですね。それぐらいやらなくては、お里が知れますから」
「そんな気遣いは結構」
天地博士にぴしゃりと言い止められた。逃げそびれた。
「まず、自己紹介から始めましょう」
天地博士の言葉から全てが始まる。
「先ずは言いだしっぺの私からね。私は日本防衛所所長代理であり天才科学者であり博士、天地無双とは私のことよ!」
立ち上がり胸を張り白衣をたなびかせる。これが天地博士の天才博士のイメージなのだろう。科学者といってもマッドな方にしか見えない。
自分が兄の上司であることも主張してくる。まるで晴香に対して威嚇しているように思える。
「じゃあ、次は私ですね。私は日本防衛所のオペレータ、榎本雪絵です。よろしくね」
チョコレートを手に持ち、雪絵さんは微笑みかける。
あくまで優しいお姉さんで無害であることを主張し、上手にアプローチを仕掛けてくる。どうやら、晴香を丸め込もうとしている。
「私は山本晴香、高校2年生の乙女座。兄さんの最愛の人なの」
「最愛の妹な」
晴香の言うことは間違っていないが、誤解されそうな所は訂正しておく。そうしなければ職場でからかわれかねない。それは俺の望むところではない。
「私も大吾のことが好きなのに! 最愛の人ってどういうこと!?」
「「「はぁぁぁぁぁああああ?」」」
天地博士からあまりにも唐突なカミングアウトに少しの間の後に3人の驚きがシンクロした。
顔を真っ赤にして、視線をやや下方に向けていて、瞳が潤んでいる。まるで初恋の相手に告白している少女のように見える。とっておきの秘密を明かしたように……。
誰からの目にも明らかで、初心な恋する乙女の典型だった。その様子が眩しく直視できない程だ。
それでも、問わずにはいられない。
「唐突に何を言ってるんですか! 大体、博士が俺に惚れる理由がわかりません。いつからなんですか?」
「牛乳をくれた辺りから! いい人だったから!」
牛乳って、ほぼ初対面じゃないか!(第1話参照)何この面倒くさい人。ちょっと怖いんだけど。確かにあの言葉以降、態度や言葉が柔らかになったような気が――しなくも無い。
今までの言動を考えてみると、その態度から意図を汲めるかもしれない。
友達が少ない、ゲームしたい、ツンデレ風合格通知、謎のセクシーポーズ、居酒屋でマウントポジション、コスプレブレザー……。
それらの事実を鑑みると――いや、やっぱり何故こんな事になっているかわからない。
「ちょぉぉぉっとまぁったぁ! 何言っちゃってるんですか天地博士! そういうことはもっと後でいい雰囲気になってから言って約束でしたよね! 何してるんですか!」
「だって、最愛の人とか言われちゃったから……」
「言われちゃったから……じゃない! タイミング! 今はそのときじゃないから!」
天地博士の告白で固まっていた雪絵さんが復活とともに大奮闘している。口ぶりから雪絵さんはこのことを知っているようだ。天地博士も口調がいつもと違う。
あの人の世話とかやってると心労が絶えないだろう。空気を読まないにも程がある。キレツッコミが上手くなるわけだ(自分の事を棚に上げている)
「駄目よ! 兄さんは私を愛しているの! 雌豚には靡かないわ」
「大吾はどうなのよ!」
妹の台詞がちょっと怖い。そこまでとは言ってない。
告白から3人の視線が俺に集中する。天地博士からの熱視線がやたら気になるが……。
こういう時はきちんと返事をしなくてはならないだろう。どうすれば波風が立たないだろうか、慎重にならざるを得ない。
言葉を選びながら、自分の想いを口に――
「ちょっと歳の差が――」
「はい! そこ! もう喋らなくていいから! 返事は後日にします! ねっ、大吾ちゃん」
「え? あ、はい」
さっきから雪絵さんのツッコミが凄い。あまりの忙しさに息切れしていた。ボケが多すぎてツッコミが追いついていない。お菓子を食べるのを止め、絶やすことが無かった笑顔が消えていることを考えると、相当に本気な事が伺える。
「この話はもうおしまい! 絶対に蒸し返さないこと!」
雪絵さんの鬼気迫る終息宣言から反対の声は上がらなかった。いや、上げられなかった。
この話は打ち切りとなった。