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 話を戻します。僕は西欧近代は、神中心の世界から人間中心の世界になったと言いました。その葛藤が様々なものを生んだのですが、その一つが西欧近代文学で、これが「純文学」の母体になっている。

 

 この場合、重要だと思うのはあくまでも「葛藤」、つまり二つの矛盾するものが激しく戦い、それを一つに統合しようとする過程で偉大なものが生まれたという点です。内面的な戦いがない時には、どんな偉大なものも生まれない。

 

 最近では、葛藤ゼロのファンタジー、最初から終わった世界(始まってもいない世界)でイチャイチャしたり、修辞をこねくりまわしてみたり、神経を掻き立てる為に残虐な行為を描いたりしてみせる、そういうものが流行っています。これは百花繚乱と言えるかもしれませんが、単に、緊張感がなくなった為に放埒に移ったとも言える。どうしてこういう状態になったのか。

 

 ルカーチは小説とは「神から見捨てられた叙事詩」と言ったそうですが、少なくとも、神から見捨てられる過程においては痛みはあるわけです。フランソワ・ヴィヨンの詩にどうして価値があるのかと言えば、神から引き離された激しい「痛み」が来るべき近代を告知しているが為でしょう。だとすると、戦いに勝利してしまえばどうなるのか。人間が神となった世界においては、どんな葛藤があるのだろうか。

 

 ようやく現在にたどり着きましたが、現在というのはある種、「征服後」の世界なんじゃないかと思います。人間はかつて雲の背後に、太陽の背後に「神」を想定していましたが、もはや人間はそれらは単なる「物理的現象」だと思っている。精神的なものは剥奪されたわけです。ニュートンは神様を信じていましたが、僕らは宗教者としてのニュートンには興味はない。


 あくまでも僕の理解ですが、ニュートンが世界を数学的に解析できたのは、神が世界を理性的に作り上げていたと信じていたからではないか。神がこの世界を秩序立って作ったとすれば、それは人間の側から数式その他で解析できる。しかし、現代はこれを逆にして、神を消して人間を神にした。そうなると、人間がいかに自然を理解・創造するのかだけが問題になってくる。

 

 現在というのは、近代が終わった後の時代。現代の人は、現代が一番進歩しているというのですが、僕は全くそんな事は思っていません。もちろんテクノロジーその他、外面的なものは進歩したでしょうが、根底的なものは進歩したとはとても思えないです。現在というのは、近代が終わった後の墓場なんじゃないかと感じています。まあ、これはただの「感じ」ですが。やはり、西欧の近代とは偉大なものだったと日本人の自分も認めざるを得ないし、自分の好きなロシア文学…ドストエフスキーなんかも、西欧近代に対して、ロシアの古代的なものをぶつけてあれほど大きな存在になったという気がします。きっかけはやはり西欧で、日本でもそれは変わらないと思います。

 

 近代に人は自由になろうとしたが、自由になったらなったで、今度はどうすればいいかわからなくなった。現代はもはや、絶対的な価値観がなくなり、戦うべきものもなくなったので、それぞれが自由にやっているわけですが、自由とは不自由な状態にあってはじめて感じられるものなので、本当に自由な状態が来たらもう自由ではない。

 

 明日も命がある、食べるものがある、普通に生きる事ができる、それに心から感謝の念を捧げて生きている人を僕は見た事がありません。テクノロジーはこれだけ礼賛されているのに、スマートフォンを使える喜びを涙を流しながら訴えている人はいない。現状に不満を覚えている人はいますし、戦いに身を投じているという人もいますし、それはそれでその戦いは必要でしょうが、その行きつく先はどこなのか。不老不死なのか。もし人間が不老不死になれば「明日できる事は今日はやるな」となって、永遠に明日を先延ばし、何もしない生物になるんじゃないかと僕は思っています。そうしてそんな堕落した生物は生きていても死んでいてもどっちでもいい存在、まさしく「不老不死」になるのではないかと考えています。

 

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