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最近、純文学の定義について云々しているエッセイを読みました。触発されたので、純文学(主に小説)とは何かを個人的に考えてみたいと思います。
まず、純文学とは何か?と言われれば、今の所誰もわからないと思います。芥川賞と直木賞という分け方がされて、芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学、となっているのですが、じゃあ純文学ってそもそも何なの?と言われれば、誰もよくわからない。芥川賞作家のインタビューなどたまに読みますが、正直大した事は言っていませんでした。今は「芥川賞を取ったから純文学」という、内容ではなくレッテルの方で強引に決めているだけで中身はよくわからないという状況だと思います。
そもそも、日本は特殊歴史の為に、純文学と大衆文学という区分けが「小説」という領域内で起きたのですが、これに関しては今は語るつもりはないので、置いておこうと思います。別の話がしたい。
では、そもそも純文学とは何でしょうか。大きく、純文学とは、「近代文学、並びにそこからの派生でできたもの」と考えてみます。日本で言うと、漱石・鴎外が西欧に留学して「近代文学とはこういうものだ」と把握して、それを日本の土壌で試してみたわけです。ただ形式的に試しただけではなく、日本も封建社会から近代的な市民社会に移っていったから、西欧の後追いをするような形で「日本近代文学」もできたわけです。
それが派生、というか、少しずつ低空飛行になっていって、三島・川端の死あたりで近代文学は終わり、それ以降、はっきりした文学の観念がわからないまま銘々に試行錯誤したり、あるいはもう思考を放棄して、ただ賞レースにのみ文学というものが存在していると思い込んだり…という状況かと思います。
折口信夫の意見ですが、日本では小説を文学にするというのにはそれなりの意味がありました。「源氏物語」という巨大な例外はあったものの、日本でははっきり文学らしい文学はない……というか、要するに、昔の文学作品でも結局は、西欧的な近代文学の理念に照らし合わせて「文学性」を発見しているのだと思います。漱石・鴎外の前の井原西鶴と滝沢馬琴とかを「近代文学」と言い切るのは難しい。
それで漱石や鴎外が海外に行って、西欧の文学を習って、日本でやったのだと思います。日本は幸い、西欧化するだけの土壌があったので、漱石や鴎外のような立派な作品ができた。中国では、魯迅という大きな作家がいましたが、中国は日本ほど西欧近代に対抗できる土壌がなかったので、魯迅は漱石なんかよりもっと辛い場所に追い込まれたと思います。でも、そこに魯迅の偉大さと悲しみがあるわけです。
それで日本近代文学はそういう出自があると思うのですが、それでは本家の西欧における近代文学とはどういうものでしょうか。ここから本題になります。