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浮気の代償3

 事件のあった翌日の昼過ぎ、第一発見者の佐藤幸司をはじめとするいくつかの目撃証言によって、一人の人物が傷害容疑で逮捕された。

 蜂谷広人、十八歳、無職。

 耳につけた金のピアスと左の肩から二の腕にかけての鷲のタトゥー、頭髪は毛先を紅く染めた長髪。

 安田駅周辺では割と有名な不良で、交番勤務の加藤巡査の協力もあってのスピード逮捕となった。

 しかし、安田署の取調室で蜂谷と向かい合う神崎奈美は、悪い評判や見た目の悪さとは裏腹な違う印象を受けた。

 態度も身体も大きく威圧的な素振りを見せる一方、瞳を目の前の刑事に向けずに落ち着きなく動かしている。

 この状況におびえている、ただの小心者だ。


「ミユキに頼まれて、ちょっと制裁をあ、与えてやっただけだ。そ、そしたら急に失神しやがって……一緒にいたツレがビビって逃げ出したもんだから、俺もやばいと思って……」

「それで? その後、どうしたの?」

「帰ったよ。まじで、ビルの屋上から突き落としたりなんかしてねえって」


 ビルじゃなくてマンションだし、屋上じゃなくて五階なんだけどね。

 奈美は後ろの古川警部の方を見る。

 古川警部は黙ったまま頷いただけだった。


 マンションのエレベーターの防犯カメラの映像によると、一人で乗り込む被害者山石徹の姿が確認されている。

 蜂谷広人は傷害事件の犯人には違いないが、殺人未遂事件の犯人ではないようだ。

 だいたい、こんな見かけだけの不良が女に依頼されて殺人を犯すなどという、大それたことをしでかすなんて、考えにくいことだ。

 山石徹は蜂谷広人に暴行を受けて失神したあと、目を覚まして自分で事務所に向かったということになる。

 そして、何らかの理由で転落した。

 傷害事件と転落事件は、無関係なのかもしれない。


 では、なぜ転落したのか?

 自殺? それとも暴行の影響で意識がはっきりせず、誤って落ちるといった事故?

 ミユキという女性が、ベランダから突き落とした実行犯という可能性は?

 蜂谷に依頼したミユキという人物を捜査する必要がある。


「ミユキという人は、なぜあなたに制裁を依頼したの? 山石徹さんとの関係は?」

「パパになってくれそうな人だと言っていた。身体の関係もあったらしいが、急に振られたらしい。ラブホテルからミユキを置き去りにして逃げたと言って怒っていた。だから……」

「ミユキさんにいいところを見せようとして『俺が代わりにとっちめてやる』とかなんとか言ったのね」


 蜂谷は頷いた。


「ばっかじゃないの!」


 そんなことで事件起こして


「あんたのせいで……」


 あかねとのお出かけがつぶれたじゃないの


「反省しなさい!」


 公私混同をする奈美の言葉に、蜂谷は口をあんぐりと開けた。

 古川警部の「神崎……」という言葉で我にかえる。


「それで、そのミユキさんのフルネームとあなたとの関係は?」


 強い口調となってきた奈美に、蜂谷はさらに挙動不審となる。


「ただのダチです。よく行くバーで知り合いました。名前はミユキとしか知らないです」

 

 なぜか、敬語になる。


「じゃあ、どこでなにしてる人? 連絡先は?」

「名古屋でOLしてるって言ってました。連絡先は知らないです」

「連絡取り合ってないの? じゃあ、年齢は?」

「たぶん二〇代前半だと……」

「たぶん? あんたねえ、それのどこが友達なの? 全然知らないじゃない」

「す、すみません……」


 蜂谷はすっかり恐縮し、うなだれてしまった。





 安田市民病院は安田市の中で、一番大きな総合病院。

 被害者の山石徹は、事件発覚から二〇時間たった今でも、意識不明のままであった。

 五階の高さから転落して命があっただけでも奇跡的であり、山石徹本人からの事情聴取はまだまだ先のことになりそうだった。


「主人が自殺だなんて……そんなことあるわけがありません」


 山石徹の妻、山石由香利の言葉が奈美の胸に刺さる。

 高校の時の自分と重なる。

 病院の夜は静かであった。

 カンファレンス室と札のついた一室を借りての事情聴取である。


「奥さん、落ち着いてください。まだ、自殺だと決まったわけではありません。ご主人がどういう人物であるのか、奥さんから聞かせてほしいだけなんです」


 古川警部が由香利をなだめた。


「会社経営には、私は関わっていないので詳しいことはわかりませんが、うまくいっていたと思います。この間も大口の契約がまとまって、取引先との接待で昨日は遅くなるって言ってました」


 由香利の証言は警察の捜査でも確認できている。会社経営は良好だ。


「プライベートな部分はどうでしょう? なにか悩みをかかえていたとか?」

「いいえ……特に感じたことはないです」


 奈美は古川警部の顔を見た。

 聞きにくいことではあるが、聞かないわけにはいかない。

 古川警部の『行け!』という合図の目配せを確認した。


「夫婦仲はどうでしょう? うまくいってましたか?」


 由香利はびっくりしたような顔を作ったが、すぐに冷静にもどった。


「私との関係で自殺するようなことはないと思います。

 若い時は、社長の息子と言う立場を利用して、女遊びやギャンブル、お酒も毎晩のように飲み歩いていました。

 どうしようもなかったんです。

 私たちの間には子供が授からなかったので、本気で離婚も考えていました。

 でも、お義父さまが亡くなられてからは、浮気もギャンブルも一切しなくなり、お酒も付き合いで飲む程度。

 本当に真面目に働くようになったんです。

 今は会社で働く従業員が、子供のようなものだと言っていました。

 私は主人を愛しています。主人もそうだと信じています」


 まいった。こんな感じの奥さんでは、話しづらい。


「お義父さまが亡くなられたのは、いつごろですか?」

「もう十五年前になります」


 だが、聞かないわけにはいかない。


「今の話を聞いた後で、大変恐縮ではありますが……」


 奈美はカバンから一枚の写真を取り出す。


「こちらの女性に心当たりは? ミユキという人なんですが……」


 蜂谷はミユキについて何も知らなかったが、一枚だけ一緒に写真を撮っていた。その画像をプリントアウトしたものだった。

 栗色の長い髪でシックなワンピースが似合う長身の美人だ。

 華奢な身体に豊かな胸元が魅力的だが、なんといっても幼さの残る顔立ちが可愛い。

 蜂谷広人がこの年上の女の気を引くために、傷害事件を起こしたのもわかる気がしてくる。

 山石由香利の顔が曇る。


「知りません……誰なんですか?」

「えっと……ご主人の愛人かもしれない人物です」


 みるみる由香利の顔が青ざめ、座っていたパイプ椅子から転げるように床に倒れた。

 古川警部が慌てて由香利に駆け寄る。


「大丈夫ですか? しっかりしてください」


 と言った後、奈美を睨み付ける。


「馬鹿! はっきり言うやつがあるか。捜査中とかなんとか言葉を濁せ」

「す、すみません。以後、気を付けます」


 奈美は由香利の傍らにしゃがみ、背中をさすりながら頭を下げた。







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