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浮気の代償1

「ここに人が倒れていたんですか?」

「誰もいないねえ」


 二人の警察官の言葉に、佐藤幸司は困惑した。

 ひょっとして見間違い……いやいや、いくら酔っ払っていたとはいえ、近くまでいって確認した。

 確かにこの建物の隙間に、中年男性の死体らしきものが転がっていたのだ。




 JR安田駅周辺にも昔ながらの居酒屋やスナックに加え、チェーン店の飲食店も進出してきて賑わいをみせてきている。

 一人暮らしのアパートに帰る寂しさを紛らわせるように、飲んで帰ることも多くなってきた佐藤は、この日も馴染みのバルでカウンター越しのバーテンダーやバイトの女の子とお喋りを楽しみながらワインを飲んだのだった。


 ふらつく足取りで気持ちよく帰路につく佐藤の耳に「やばいぞ」「逃げよう」といった若い男らしき声が届いた。

 すぐに数人の走る足音が聞こえ、と同時に、三人の男性が路地から飛び出して佐藤のいる反対方向へ駆けていく。

 普段なら面倒なこと、厄介なことを避けて通る性格なのだが、この日は酒の勢いもあり、興味のほうが勝った。

 佐藤は若者が逃げて来た路地の中に入っていく。

 薄暗い街路灯の明かりを頼りに、注意深く路地を見回しながら進む。

 だが、何事もなく路地は行き止まりの民家の塀にたどりついたのだった。


「なんだよ、なんにもないじゃないか」


 緊張がほぐれたのと何かを期待して外れた感で、佐藤はスーツのポケットから煙草を取り出し火をつける。

 六月の空は深い雲で覆われていたのだが、この時、雲の切れ間から月が顔を出した。

 携帯灰皿を探しながら、再び帰路に着こうとする佐藤の足が止まる。


「ん? 人か?」


 なんの建物なのかわからない隙間に、人らしきものが転がっている。

 近くまで寄ってみると、大人の男性のようだ。

 ちょっと高そうなスーツと、かなり高そうな時計が見える。

 佐藤は息をのんだ。

 このまま期待外れのほうが良かったと後悔するが、もうすでに遅い。

 くわえていた煙草を投げ捨て、更に近くまで寄ってみる。


「死……死んでる」


 衣服は乱れ、口元から血を流している中年の男性だった。

 いつの間にか尻餅をついた状態で、後ろに数メートル離れていた佐藤は、もう一度近づく勇気もなく、そのまましばらく観察し続けたのだが、その男はピクリとも動く様子はない。

 佐藤は立ち上がり、来た道を戻っていた。


 やっぱり死んでいる……いや、脈をみるとか、息をしているか確認しなきゃいけない。もし心臓が止まっていたら心臓マッサージして、息をしていなかったら人工呼吸だ。

 もしかしたら、人命救助で表彰されるかも……。

 そんな妄想とは裏腹に、佐藤は速足で現場からどんどん遠ざかっていく。

 気付いたら駅までたどり着いていた。

 俺はなにをやっているんだと自己嫌悪に押しつぶされそうな佐藤の目に「安田駅前交番」の文字が飛び込んできた。

 佐藤は走った。もう、酔いなど感じていなかった。




「これ血ですかね……まだ新しいですよ」


 若い方の警察官が懐中電灯で路地の一点を照らしている。

 見ると確かに血のような液体の染みがある。

 いや、ここだけではない。地面の所々に血らしきものの跡が残っていた。

 佐藤は自分の見たものが幻ではなかったことに安堵したが、背筋に冷たいものを感じてびくっとする。


「おや、降ってきたな」


 雨だった。

 天気予報では夜遅くに雨になると言っていたような気がする。

 時計を見ると、午前0時を回っていた。


「誰かが遺体を運んだんでしょうか?」

「いや、まだ死んでいたとは限らない。寝てたか気絶していただけで、自分で家に帰っていったのかもしれん。その辺、探してみよう……えっと佐藤さんでしたか? 申し訳ないですけど、もう少しいいですか?」


 年上の方の警察官の言葉に、佐藤は頷いた。

 本当は少し怖くなってきたのだが、乗り掛かった舟だし、あの倒れていた男がどうなったのかも知りたい。

 できれば無事を確認し、安堵してアパートに帰りたいという気持ちもある。

 三人は路地を出て、駅とは反対の方向に歩き出した。

 雨は少し強さを増してきている。

 道路に人の姿はなく、時折車が通るだけだった。駅からそう離れていないのに寂しいものだ。


 いよいよ雨が本降りの状態になり、三人は歩道橋の下で雨宿りをする。


「こりゃ駄目だな。一度交番に戻ろう。佐藤さん、交番で傘貸しますので事情聴取だけお願いできますか?」

「はい、もちろんです……え?」


 突然、樹木が割れるような音がして、佐藤はそちらを見た。

 警官たちも同様に顔を向けている。


「雷……ですかね?」

「いや、そんな音じゃなかった」


 音がしたのは側に立つマンションの庭からのようだった。

 何かが落ちて、樹木のどれかに当たったような音。

 佐藤の頭に良からぬ妄想が広がる。


 二人の警官の後についてマンションの敷地内に入ろうとして、佐藤は足を止めた。

 ここからは警察官の仕事で、自分が立ち入る必要はない。

 しかし、何が起きたのか知りたい。でも……。


「うわああああ!」


 若い警察官の叫び声に、佐藤は反射的に敷地内に入り込んでしまった。すると、その目の前に何かが落下してきて、心臓が止まりそうになる。


「きゃあああああ!」


 女子のような叫び声をあげて、佐藤は尻餅をついた。

 落下してきたものの正体は、先ほど路地で見たのと同じ中年男性の無残な姿だった。




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