兄と妹と密室 4
奈美はコンビニの袋を手に持って、自宅マンションへと歩いていた。
もともと非番の日であったため先に帰らせてもらったが、今日は色々なことがありすぎてかなり疲れている。
時計を見ると、午後八時を過ぎていた。
松山加代のアリバイが証明されたのは、ガソリンスタンドの防犯カメラのおかげだった。
広範囲でしかも画像度のよいタイプのカメラだったらしく、これによって加代の犯行は不可能となり、田所勇太の自殺の可能性が濃くなっていた。
県警本部から安田署の刑事課に捜査権が移り、明日からは自殺の原因を探ることととなる。
高校時代の友人を殺人犯として逮捕することは回避されたとはいえ、奈美は釈然としない気持ちでいた。
田所のことをそれほど知っていたわけではないが、加代が別れ際に言った言葉『先輩が自殺なんてするわけない』が耳に残る。
田所は本当に自殺なのだろうか?
加代以外の人間による他殺の可能性はないのだろうか?
奈美の頭は答えの出ない問題を繰り返している。
エレベーターを降りたところで、奈美は一瞬たじろいだ。
自宅ドアの前で、男がボストンバッグを抱えて眠りこんでいる。
「健一?」
奈美は駆け寄り、弟の横にしゃがんで、ゆすり起こす。
「なにこんなところで寝てるの? あかねはどうした?」
「ああ、奈美」
健一は尻ポケットからスマホを取り出すと
「まだ八時じゃん……ずいぶん早かったね」
と眠そうに目をこする。
「早かったって、それ嫌味のつもり? あかねのこと頼むってお願いしたでしょ。なにしてんの?」
奈美は少し腹が立っていた。
「……知らないおじさんとはお話ししちゃいけません」
「え? なに?」
「あかねさんにそう言われた……奈美、あかねさんに僕が来るって話してないだろ?」
今度は健一が眉間にしわを寄せる。
「そんなこと……あれ?」
しまった忘れてたと奈美は思い出した。
「まあ、とにかく中に入って」
奈美は鍵を開けて自分が先に入り、娘の名を叫ぶ。
「ごまかした……」
健一の声を無視して、明かりのついているリビングを覗く。
いない。
続いて、あかねの部屋のドアを開けると、絵本を枕にスヤスヤと寝ている娘の姿を確認してほっと息をした。
起こそうかと思ったが、食事の支度ができてからにしようと考え直す。
タオルケットをかけて部屋を出る。
リビングに戻ると、健一が棚の上にある二つの写真の前で手を合わせていた。
仏壇代わりにおいてあるもので、ひとつは奈美の亡くなった夫、守の写真だ。
「あかね、寝てた……食事の支度するね」
奈美はコンビニで買ったお惣菜をキッチンへと運ぶ。
「ちょっと待て奈美。なにそれ?」
「なにってコンビニのお惣菜だよ。最近のは結構美味しいのよ」
「小さな子供がいるんだから、手抜きは駄目だよ」
健一はやれやれといった顔で目を伏せる。
「明日からは僕が作るよ」
「あんた料理できるの?」
「少しはね……それよりあかねさんが寝てるんならちょうどいい。奈美に紹介したい人がいるんだ」
健一はバッグからノートパソコンを取り出す。
「紹介って、あら、かわいい娘……って人間じゃないじゃん」
パソコン画面に現れたのは、本物の人間と間違うくらい精巧な画像の少女だった。
髪が長く栗色で、セーラー服が似合っている。中学生か高校生くらいの美少女だ。
「僕が開発した推理するAI、名前はメイ」
「……」
奈美の頭に「?」が浮かぶ。
私の弟は何を言っているのか?
前からオタクだとは思っていたが、リスペクトできるところもあるし、特に偏見の目で見たことはなかった。
だが、紹介したい人がいると言って、アニメみたいな画像を見せられるとは、思っても見なかった。
「あんたねえ」
奈美は頭をがっくりと下げる。
「いくらなんでも二次元はまずいでしょ。俺の嫁とか言い出すんじゃないでしょうね。しかも若すぎでしょ。ロリコンなの?」
健一は目を丸くして、固まっていた。何を言われたのか、理解できていないかのように。
「馬鹿! 何、考えてるんだ。僕はロリコンじゃないし、そういう紹介じゃない」
健一が顔を赤らめる。
「そんなことはどうでもいいよ。さっき、『早かったね』と言ったのは嫌味じゃなくて、こんな大事件の割に呑気に早く帰ってきて平気なのかって意味だよ」
奈美は健一が何を言っているかわからなかった。
「大事件って……桜町の事件のこと? なんで健一が知ってるの?」
「ネットニュースで調べて、暇だったからメイと推理してた」
「推理?」
「話聞いてた? 推理するAI、人工知能だよ。どうせ警察は、被害者の自殺ってことでまとめようとしてるんだろ? 俺たちの結論は違う」
健一は画面のメイに向かって話しかける。
「メイ、僕の姉の奈美だ。奈美に君の推理を聞かせてやってくれ」
画面の女性、メイが頷く仕草をし、口を開く。
「わかりました、健一さん。初めまして、奈美さん」
「わあ、しゃべった。唇まで動くのね。あ! 瞬きまでしてる」
奈美は目を見開き、画面に顔を近づける。
「うるさいよ奈美。メイ、続けてくれ」
「わかりました……安田市桜町のマンションで田所勇太さんが死亡していた事件。その考察の過程と導かれる推理についてお話いたします」
推理? そういえば、健一も推理がどうとか言っていた。
「どういうこと? この娘が事件を推理した? なんで?」
「さっきから言っているだろう。奈美のせいでここに入れなかったから、暇つぶしに事件を調べて、推理させていた。僕は主に情報収集とメイのサポート」
奈美は健一の言っていることが理解できない。
昔から、パソコンとかアニメとかが好きな弟だった。
簡単なものだが、中学の頃には自作ゲームを作っていたりして、やらせてもらったこともある。
おまけに超~頭が良かったので、東京の名門高校に進学したりしていた。
なぜか大学への進学はしなかったが、健一ならこれくらいのソフトを作れるのかもしれない。
だけど、いくら暇だからと言って、こんなことするか?
「まさか、パパの事件のこと気にしてるんじゃ……」
パパというのは奈美の血の繋がった父親で、十年前に亡くなっている。
現在の父とは違う。
棚の上にある、もう一つの写真の人物だ。
「そんなこと……」
健一が目を伏せる。やはり、そういうことか……。
「あの事件のこと、健一には感謝してるよ。でも、パパが死んだのは健一のせいじゃない」
パパが巻き込まれた殺人事件。気が動転して、健一に相談してしまった。
健一は東京から帰ってきてくれて、事件解決に協力してくれた。
もう、十年前のことだ。
「僕に推理力があれば、清水さんはもう少し生きられたかもしれない」
やっぱり、気にしてる。
「何度も言ってるでしょ。パパは、病気で死んだの。健一には感謝してる。気にする必要なんてない」
「気にしてるわけじゃないよ。ただ、この次はもっとうまくやれたらと思っただけ。ただの趣味だよ」
「趣味って……」
しかも、この次ってなんだ?
奈美には、ただの言い訳にしか聞こえない。
健一はあの時のことを気にして、推理できるAIを開発したのだ。
「事件の考察の過程と導かれる推理について、お話させていただいてもよろしいでしょうか?」
メイの言葉にハッとさせられる。
「わかった。とにかく、聞いてみる」




