不条理な殺人 7
厚手のジャンパーを身にまとい、岡本健一は病院の門の前に立っていた。
風もなく暖かな晴天の昼間だが、寒さの苦手な健一は、もう既に真冬のように着込んでいる。
サングラスをいじりながら、左右の道路を見回していた。
「ここまでする必要なんかあるのか? メイ」
「もちろんです。
彼女の考えがこの事件を解くカギとなるはずです。直接会って確かめます」
半透明のメイが答えた。
秋バージョンのメイの姿は大人びて見える。長い髪がふわりと揺れた。
「健一」
奈美の声がした。
見ると、パトカーを背に、こちらに向かって駆けてくる。
「遅いよ、奈美」
「遅いはないでしょ、急に呼び出したりして。それで? 事件の重要な話って?」
「もう少し待って。もうすぐ出て来るはずだから」
健一は病院の方に目をやる。
「ん? 産婦人科の病院……あんたまさか誰かをはらましたんじゃ」
「なんで俺がそんなことするんだよ。佐藤好美を待っているんだよ」
「……え? 佐藤好美って柳原の被害者の? なんで産婦人科に……まさか妊娠?」
奈美は知らなかったようだったが、健一はメイに言われて調べていた。
佐藤好美は妊娠している。
おそらく柳原道夫の子供であろう。
「それを奈美に確認してほしいんだ。事件を知るうえで、とても重要なことだから」
奈美の表情が険しくなった。
性暴力を受けただけでなく、妊娠までさせられていた。
被害者のことを思えば、やりきれなくなるだろう。
「でもどうして? 事件後病院での処置は受けたはずでしょ? 妊娠するなんてことが……」
「あるんだよ。緊急避妊薬を飲んだとしても、百パーセントの効果ではない」
「そんな……」
奈美の背中越しに、病院の玄関から出て来る佐藤好美の姿が確認できた。
疲れた様子ではあるが、一人でしっかり歩いていた。
「堕胎はしません。産みます。父にもそう伝えました」
公園のベンチに背筋を伸ばして座る好美は、はっきりした口調でそう言った。
滑り台で遊ぶ小さな男の子の声。手を叩いて喜ぶ母親の姿。
好美はそれらを見て、口元を緩める。
「あんな男の子供を、あなたは産んで育てるというのですか?」
奈美は眉を寄せている。
健一は黙って、好美の顔を見ていた。
レイプ被害者は精神的障害を抱える場合が多い。
正常な判断ができないほどに病んでいる? いや、そういう風にも見えない。
とても強く、気高い女性のように感じる。
「この子は生きています。私の子です。殺させはしません」
「一人で育てると?」
「はい」
迷いなど微塵もないように答えた。
健一には信じられなかった。
一人で産んで育てるのは、身体的にも精神的にもたいへんなことだろう。
ましてや、レイプされた男との間にできた子供だ。
憎くて当たり前。
なのに、愛情すら感じているようである。
「母は強しですね……」と、メイが言う。
「メイは理解できるのか?」
「理解はできません。人の感情は理解するものではなく、感じるものです」
なにか哲学的な言葉だ。どこで、覚えた?
「なにか感じたのか?」
「さあ、どうでしょう? 私は人ではありませんから……」
メイはやはり、無表情なままだった。




