不条理な殺人 2
騒がしい音楽とブルーの光の筋が激しく動き回る、薄暗い店内で、小泉加奈はスマホの時計表示を見た。
まだ九時前、来店して一時間も経っていない。
同じサークルの先輩に無理やりに誘われた、何かのパーティーだった。
タダで飲み食いできるならと軽い気持ちで参加したのだが、肝心の先輩は彼氏らしき人と消えて戻ってこない。
例え人数合わせだったとしても、もう少し楽しめると思っていた。
子供の頃の誕生日パーティーなら経験はあるが、大人たちのパーティーは経験がない。
少なからずあった好奇心だったが、元来、人見知りで真面目な加奈にとって、ただ居心地の悪い空間でしかない。
馬鹿みたいに笑いながら、踊っている見知らぬ人の群れ。
入っていく勇気も高揚感もない。
ただ、カクテルのグラスを片手に、壁際でひとり佇んでいるだけだった。
もう帰ろう。
一時間もいたのだから、先輩への義理は果たせたはず。
加奈はグラスに残った液体を飲み干し、空いたテーブルの上に置いた。
「楽しんでる?」
突然の声に振り向くと、両手にグラスを持った男がいた。
ゆるくパーマをかけた長めの髪、胸元まで空いているシャツ、首元や手首にはアクセサリーの類が揺れていた。
「ええ……でも、もう帰ろうかと……」
「そうなの? じゃあ、最後の一杯のシャンパン。それ飲む間だけ僕とお喋りしない?」
柔らかい笑顔で細長いグラスを差し出す。
軽そうな男だと思った。
危険な感じの男だとも思った。
だけど、一人でいる自分に声を掛けてくれた優しい人だとも思った。
今から帰っても、どうせすることもない。せっかく来たのだから、もう一杯くらいいいかも。
加奈は軽く頷いて、そのグラスを手に取った。
「吉友商事の営業なんですか? 柳原さん」
加奈は柳原道夫と名乗る男と、向かい合わせでテーブルに座っていた。
「いや、だっただよ。もう辞めてしまって今は無職」
「ですよね」
「ですよね? やっぱり営業マンには見えない?」
「はい」
「そっか、見えないか」
柳原は顔をゆがめて笑った。
おどけたその様子に、加奈も吹き出す。
見た目より子供っぽい。
いや、わざとそうしている。楽しませようとしているのだ。
最後の一杯だったはずが、もう一杯、もう一杯となっていく。
「加奈ちゃんは大学生だったね。何を勉強してるのかな?」
「経済学部の商業科です。実家がパン屋なので、経営のこと勉強したくて」
「へえ~偉いね。実家を継ぐために勉強してるんだ……両親のこと好きなんだね」
両親のことが好き? そういう観点で、将来を考えたことはなかったと加奈は思った。
子供の頃はなかなか遊んでもらえないことに不満もあったが、今となっては実家がパン屋であることで得だったと感じることも多い。
パン屋を継ぎたいと思ったのは、両親が好きだからなのだろうか?
でも、嫌いなわけでないし、好きかと問われれば、好きだと答えるしかない。
「はい。好きです」
「へえ~いいなあ。親を好きだなんて……」
柳原は笑顔のまま、遠くを見るような目つきになっていた。その目の奥に何かを感じた気がした。
「嫌い……なんですか?」
「おふくろは随分前に死んだ。涙も出なかった」
「え?」
「親父はガンが再発して入院中、もう長くないってさ」
笑顔を崩さないまま、あまりにもさらっと言われたので、聞き違いかと思った。
柳原は持っていたグラスを高く上げ、さらに笑顔を深めたあと、一気に中身を飲み干した。
「そうなんですか……でも、大丈夫なんですか? お父さんが大変な時にこんなところで遊んでいて」
「全然大丈夫。ただ血が繋がっているってだけだし。でも、遺産はもらうよ」
今度ははっきりと感じた。
笑った目の奥にある冷ややかな感情。
加奈は本能的に思っていた。
この男は危ない。あまり関わるべきではないと。
時間を見る。もう、十時を越していた。
「そろそろ帰らなきゃ」
席を立とうとした。
膝が崩れてしゃがみ込む。
おかしい。そんなに飲んでないはずだ。
立とうと頭を上げると、目の前の空間が回りだした。
必死にテーブルにしがみつく。
「大丈夫? 酔ってるみたいだから、送るよ」
「いえ、ひとりで帰れますから……」
言葉とは裏腹に、掴んだテーブルから起き上がることができないでいた。
まるで海の底にいるような感覚だった。
身体は水圧に押しつぶされ、光も音も遠くに感じる。
だが、ここが本当はどこなのか加奈にはわかっていた。
ホテルのベッドの上である。
今からあの柳原という男に犯されるのだ。なんの抵抗も出来ずに。
加奈の目からは涙が溢れていた。
もう意識は闇に浸食されつつあった。
遠くでドアを叩く音が聞こえた。
「……警察……現行犯……」
誰かの声が聞こえる。
足音……叫び声……布がきしむ音……。
「……大丈夫で……救急……」
すぐ近くに人の気配、知らない女の声がする。
加奈はやっとの思いでまぶたをあげた。そこには警察の制服をきた女性の顔があった。
ああ、助かった。
その安堵感を最後に、加奈は意識を失っていた。




