勇者の剣 3
東京の人混みに比べればどうということはない。
岡本健一は自分を鼓舞していた。
太陽の当たる所も、人の集まる場所も嫌いだ。
だが、あかねのためなら、少しは我慢しなければならない。
腰に付けたウエストポーチから、サングラスを取り出す。
目に入る光が弱まったことで、人との距離感が少しだけマシになった気がする。
あかねと暮らし始めてから、四ヶ月ほどになる。
だが、手をつなぐのは初めてだった。
この手を離すわけにはいかない。
もし、迷子にでもなったらえらいことだ。
奈美にだって申し訳が立たない。
最初はそう思っていた。
でも、今はあかねに連れて行ってもらわなければ、まともに歩けないほどに人の群れに酔っていた。
健一の好きなゲームキャラクターコスの人を見ても、心が躍らない。
めまいと吐き気でそれどころではないのだ。
大胆に肌を露出した女性とすれ違い、さらに症状が悪化する。
「健一、もっと早く歩いて。始まっちゃうよ」
イベント開催時間の十時はもうすぐ。
普通なら間に合う距離なのだが……。
「ごめんなさい、あかねさん……ちょっと無理かも……」
「無理じゃないよ。急げば間に合う」
あかねは健一の手を強く引っ張る。
「そうですよ、健一さん、頑張ってください。あと少しです」
「……メイ……」
メイが立体画像として映り、あたかもそこにいるように見える。
健一の連れは、あかねとメイの二人になっていたのだ。
「あかねさんがこれほどまでに楽しみにしているイベント、私も見たいです。弱音を吐かないで、もう少し頑張りましょう。あと、五十メートルほどです」
ちっとも楽しそうにしていない無表情のメイは、白いワンピースを着ていた。
その服も肌も透けて奥の景色が見えている。
まるで妖精か幽霊とでも話しているような気分になる。
あかねとメイの二人に引っ張られて……いるような錯覚のなか、ようやくイベント会場まで到着した。
どうやら、間に合ったようだ。
会場に入るにはチケットがいる。
二人分のチケットはポーチに中に……。
「え?」
腰に付けたポーチのジッパーが空いていた。
慌てて中をまさぐる。
財布はある。チケットは……ない。
別のポケットも探すが、やはりない。
「チケット……落とした……」
あの時だ。サングラスを取り出した時、ジッパーを閉め忘れたのだ。
「え~!?」
「まじですか?」
出かけるときに確認して、ポーチに入れたはず。
どこかに落としたとしか考えられない。
健一は来た道を振り返った。
人の波である。
ここを戻りながら、チケットを探すなど不可能だ。
「落ち着いてください、健一さん。今から落としたチケットを探し当てるには無理があります。当日券があるか確認しましょう。幸い、財布はあるのですから」
メイの言葉に従って、受付で聞いてみる。
当日券はすでに完売とのことだった。
恐る恐るあかねの方を見る。
「どうするの! バカ健一!」
辛辣な言葉だった。
奈美に対しては、わがままを言わない、いい子のあかねだが、健一に対してはそうじゃない。
「ごめんなさい、あかねさん。今回は見られないようです」
ごまかしの笑顔だったが、当然、あかねには効かなかったようで、健一の足を殴る蹴るの大暴れとなった。
それはそうだ。
この程度の暴力、甘んじて受けましょう。
「どうされました?」
女性の声に振り返ると、そこには中学生くらいの女の子とその母親らしき人が立っていた。
中学生女子は見覚えのある顔。
母親のほうは知らない顔だが、綺麗で優しそうなひとだった。
「あかねちゃん、こんにちは。あかねちゃんもプリプリリン、見に来たんでしょ?」
思い出した。
あかねを連れてよく行く、アニメショップで出会った女の子だ。
「かえでちゃん……そのはずだったんだけど、健一がチケット落としたから無理なの」
「あらあら」
母親が言う。
「そうだ。私のチケット使ってください。かえで、あかねちゃんのこと頼めるわね」
「本当?」
あかねが喜びの声を上げる。
「ちょっと待ってください。そういうわけには……」
「いいんですよ。私が見てもよくわからないですし、あかねちゃんに見てもらったほうがアニメの方も喜びます。かえでは中学生ですけど、しっかり者ですから、お父さんも安心してください」
「お父さんじゃないよ。健一だよ」
あかねが口を挟む。
「じゃあ、せめてお金払います」
「それも大丈夫です。私たちも貰い物ですから」
健一は少し考えた。
よく知らない人に、あかねを預けていいものかどうか。
「悪い人には見えないですし、心配ないと思われます」
メイの言葉とうれしそうなあかねの顔。
若干の不安もあるが、メイが言うなら大丈夫だろう。
「ありがとうございます。お言葉に甘えます。僕は岡本健一。この子は姉の子供で神崎あかねです」
「吉村さくらです」
「娘の吉村かえでです。あかねちゃんは責任をもってお預かりします」
明るい笑顔とはっきりした口調だった。
確かに、年齢の割にしっかりした印象を受ける。
「よろしくお願いします、かえでさん」
イベントが終わる十一時にまたこの場所で落ち合う約束をし、二人を見送った。
「それじゃあ、私もどこか静かなところを探して休憩してきます」
吉村さくらは穏やかな笑顔でそう告げると、健一のもとから去っていった。
「メイ、ごめん。今回は我慢してくれ」
本当かどうかわからないが、メイも見たいと言っていた。
健一が入れない以上、メイに見せてやることが出来ない。
「……はい」
沈んだ声色で、返事をするのはやめてほしい。
そう思う健一であった。




